そうか、もう君はいないのか

sun5時46分の気温は4.6度で湿度は68%でした。6時28分では気温3.6度で湿度は72%になった。ラジオ体操は26名が参加していた。ラジオから荒川知子の「小鳥」や西六郷少年少女合唱団の童謡「港(みなと)」の曲が流れていた。

kissmark著者に聞きたい本のツボは石田千さん(40) だった。福島県生まれで国学院大文学部卒の作家。いつも「店じまい」を中心にエッセイを書く人である。

happy01手芸屋、文房具店、銭湯、自転車屋……あなたの町にもきっとあった、あの店この店。日常のふとした瞬間に顔を出す懐かしい記憶の断片を、瑞々と綴っていく作家といわれている。

book「そうか、もう君はいないのか」は城山三郎の遺稿を編集したエッセイである。妻の容子さんと結婚後の日々について記されている。2007年3月22日、著者の城山三郎没後に次女の井上紀子と新潮社編集部によって、遺されたメモ、原稿から編集出版されたようです。

enterこれはテレビドラマでも放映されたがもう一度、再放送してほしいと思う。この「そうか、もう君はいないのか」の読書感想を読んでまた、この本が読んでみたくなった。

sign02老いの葛藤、余生の自覚、やわらかな軽みの境地。最愛の妻が倒れる前年から、自身が世を去る三ヶ月前まで、九年間に綴られた感動の記録を読んでみようと思う。「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」いいタイトルだと思う。

dangerさて明日から陽春3月です。学校では卒業式があり、自治会でも総会があって新年度4月を迎える準備をする。JA2KPR見聞記も今日限りで終わります。

penguinアマチュア無線局の免許は平成26年4月4日まであるが僕自身の命はそれまで持つだろうか。たぶんこの世にいないと思う。もし生きていればそんなころ僕は83才になっている。そうか、もう君はいないのかと思ってください。

Dxccs

|

アニマル浜口、向島1万歩の旅

rain5時15分の気温は5.7度で湿度は79%でした。霧雨が降っていた。ラジオから増田めぐみとコロンビアゆりかご会の「あめふり」や川嶋あい「旅立ちの日に」の曲が流れていた。ラジオ体操は家で一人でした。

downスギ花粉症で目や鼻がムズムズする。早めに薬を服用しているが症状はよくならないのです。パタノール点眼液を1日4回、ピトス点眼液は1日2回点滴しているが目がかゆい。

club副作用があるから、あまり長く使えない。用事以外は外出を避けたりしてそれなりに花粉症対策はしているが毎年、この時期は大変です。

trainアニマル浜口が向島の街を散歩していた。道沿いに展示されている電車の車両を見つけて「新しい発見しましたね!新しい発見ひとつ!」と大興奮していた。

run向島を散策していたアニマル浜口が、娘の京子アマチュアレスリング選手とのランニングコースに来た。「朝走ってると寒いでしょ。すると女房が長いコートを2つ持って自転車に乗って向こうからやってくるのよ。あったかいじゃない温もりというか、家族の力というか…、母親の偉大さというか」と、川沿いの道を歩きながらしみじみと語っていた。

appleこの向島は33年前に母と暮らした思い出の街である。向島百花園、隅田公園、やアニマル浜口トレーニングジムなどを歩いていた。プロレスを引退してからこのジムを浅草に開設したという。

shockアニマル浜口の本名は浜口平吾、9人兄弟の8番目として島根県浜田市で生まれた。父親が事業に失敗したため、小学5年生の時、母親と妹と一緒に親戚の住む大阪府堺市に移り中学卒業後は家計を助ける為、高校進学を断念。工事現場を転々とする毎日だったという。

P1010016s P1010011s P1010009s P1010008s P1010006s P1010005s_2 P1010003s_2 P1010002s_2 P1010001s_2 

|

東大院卒でも雇用不安、低収入の訳

sign02きょうは何の日か?  2・26事件が起きた日です。当時の僕は5才だったから知るよしもないが本なんかで或る程度のことは知っている。陸軍の部隊が反乱し決起した日である。若い諸君はこんなことは全く知らないかもしれないが僕たち戦前派の世代は関心があるのです。

night5時28分の気温は6.5度で湿度は63%でした。1時間後の6時28分では5.5度になった。ラジオ体操はN県議など25名が参加していた。ラジオから音羽ゆりかご会の「ちんから峠」や宇多田ヒカルのCan You Keep A Secret? (キャンユーキープ ア シークレット)という曲が流れていた。

down「東大院卒で雇用不安、低収入の訳」をテレビがやっていた。国策で貧乏博士が急増している。大学院卒なのに年収130万円という。大学で非常勤講師を務める南雲和夫さん(43才)は年越し派遣村は自分もいつもそうなってもおかしくなかったと言っていた。

downwardleft南雲さんは実家がなんらかの事情でなくなっている。住めなくなっている。そういう状況だから自分も野外生活していたかもしれない。

xmas大学院のマスターを出て経済学のマスターの学位を持っているからといって社会的にそれが通用したっていうことはなかった。非常勤講師には研究費はない。

clubもう一つの学校ではお蕎麦を食べています。唯一の週1回のぜいたくです。自分の専門だけしかやっていけないわけではない。割と多方面で業績をあげてきた。現在の職は1年契約という。

mobaq母ミユさん(71才)は昔私たちくらいの人が若かったらそれこそ上にまつられるような感じだったんだけど現在は厚生年金に入ることも認められていないと不満を述べておられた。

up「現実に学生が聞きにきて質問したり、自分が非常勤講師だからって言い訳できませんよね。それであればそれなりの責任と重さにふさわしい待遇、報酬をきちんと保障するのが教育機関に携わる人間の責任としてやることではないか」と言う。

sign01博士過程修了者の約4割は就職できていない。筑波大学大学院修士課程終了し東京大学大学院で博士号取得したという、国策で博士になったのに雇用不安の東京理科大学で研究員を務める高橋真哉さん(35)はうぬぼれているって言われるかもしれないけど東大大学院で博士課程まで出た人間がこういう状況っていうのはちょっとおかしいと言う。

pen問題はその後の職、ポスドク(ポストドクターの略称で博士課程を修了、大学や研究機関に任期つきで雇用された人たち)のあとが用意されていなかったことの1点につきますと言う。

cherry博士課程修了者数は1991年6.201人だったが2008年では16.281人と約1万人増になった。そして助手、助教授(准教授)のポストは約5000人分しか増えなかった。

shoe東京理科大学で研究員を勤める高橋真哉さん(35)は35才くらいまでの人を募集するということが非常に多い。名前のある大学ですからそこで博士課程に進めるっていうこと自体が自分にとっては栄誉なことでしたと言う。

snowboard文部科学省大学振興課の橋本博司課長は専門能力については非常に高い評価があるのですがコミュニケーション能力とか業務遂行能力とかチームワークとか社会人、職業人としての能力に課題を求める声があります。

restaurant教育機関として目的と同時に終了したらどういう能力が身につくかを明確にし、そのためのカリキュラを開発する。全国に流通させる取り組みを考えないといけないという。

fuji文部科学省が大学などに委託し若手研究員などを海外での研究開発のため海外企業と国内企業に共同で研究開発する。現在10大学で実施し1大学8000万円(上限)で委託している。

P1010001s P1010008s P1010010s P1010026s P1010035s P1010040s P1010041s P1010043s P1010048s

|

お一人様を楽しむ人たち

sprinkle今朝も雨のため早朝散歩はできずラジオ体操を一人、室内ですませた。ラジオから内田裕子の「春の小川」やNOKKO(ノッコ)さんの「人魚」という曲が流れていた。

rain「アカシアの雨にうたれて泣いてた 春風の中で月が登るまで その笑顔をしぐさをいとしくて 本気で思った 抱いて抱いて抱いて」NOOKOさんの自作歌詞です。

busきのうの朝、生活ほっとモーニングという番組をみた。一人暮らしをイキイキと暮らしている人を取材していた。お一人さまバスツアーに密着していたのです。

houseまた、自宅の一室を図書館にして他人に開放している人もいた。蔵書は約1万冊あるとのこと。お酒に関する本が多かった。でも、本を借りに来る人ってそうはいないと思った。結局は自己満足かと思う。

snowboard僕の知人で博物館を作った人がいた。この場合はアマチュア無線家からの寄贈で無線器機や無線雑誌の博物館を作ったが入館者は少なく今はどうなっているかわからない。

cherry65歳以上のひとり暮らし世帯が年々増えている。1985年では100万人だったが2006年では500万人になった。2009年の今ではもっと増えているだろう。お一人様を楽しむ人が増え続けているのです。

happy01ゲストはエッセイストの岡部まり氏、経済ジャーナリストの荻原博子氏が出演していた。リポーターは石井かおる氏だった。 老後のお金はいくらかかるか荻原氏が試算していた。

sign05一人で安心に暮らすにはどうしたらよいか。東京・多摩ニュータウンで一人で暮らす女性は隣に住む人と普段から仲良く交流していた。自宅の鍵までその人に預けている。「鍵と携帯は命の綱」と言っていた。 緊急入院パックもいつでも持ち出せるように準備していた。

P1010001s_4 P1010002s_4 P1010003s_3 P1010009s_4 P1010010s_2 P1010027s_2 P1010028s_2 P1010032s_3

|

ブタペストの街歩き

sprinkle5時11分の気温は6.3度で湿度は76%でした。この時間帯からポツリポツリ細かい雨が降ってきた。ラジオから土居裕子とタンポポ児童合唱団の「どこかで春が」や森山直太朗の「風花」の曲が流れていた。ラジオ体操は雨のため一人で家の中でする。

house昨日も世界街歩きブタベスト編を見ていた。ドナウ川の東側にあるペストの街。街一番の繁華街「ヴァーツィ通り」の入り口から歩き始めました。

waveまだ開店前の通りを散歩する赤いスカーフのワンちゃんを発見。飼い主の方は「ブダペストは世界で一番美しい街」だと教えてくれました。

building確かに街を歩くと、19世紀末にウィーンと繁栄を競い合って建てられた華麗な建物が目につきます。でもペストの面白さは、実はその建物の中。

yachtぽっかり空いた入り口を入ると美しいステンドグラスを天井に抱いたアーケードや鉄とガラスの巨大な空間をもつ市場、さらに床がブナの木でできたかつての荷物の降ろし場まである。

night建物の外と中が異空間のようです。19世紀ハプスブルクの皇妃エリザベートも愛した街。いたるところに栄華の歴史を物語る建物があり、その中に面白いものがたくさん隠れている街でした。

P1010052s_2 P1010048s_2 P1010046s_2 P1010045s_2 P1010041s_2 P1010038s P1010035s P1010034s_2 P1010031s_2 P1010029s_2 P1010027s_2 P1010025s_2 P1010023s_2 P1010021s_2 P1010020s_2 P1010018s_2 P1010016s_2 P1010015s_2 P1010014s_3 P1010011s_3P1010013s_4 

|

自分が変わる生き方

sprinkle今朝は雨で散歩もままならずラジオ体操は室内で一人ですませた。ラジオから東京放送児童合唱団の「富士山」やいきものがたりの「茜色の約束」という曲が流れていた。天候が回復してからのんびりと公園を散策した。9時43分の気温は10.2度でした。

crownさて、映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞したという快挙でテレビはこのことばかり報じている。「おくりびと」は英語でDepartures出発・旅立ちを意味する。僕自身も「おくりびと」になって、この世から飛び立つ日がやがてやってくる。

sleepy宮崎がWBCで大フイーバーだった。この寒い中で徹夜して整理券を求める人たちが大勢いた。イチロー選手を一目見ようと集まったようだった。

bookきょう吉永みち子さんの著書を読んだ。「40代。自分が変わる生き方」というタイトルです。僕は40代どころかもう78です。今さら変わることもないが「夫婦の会話を業務連絡でおわらせない」ということが気になった。

toilet夫婦で会話がはずまない。ほとんど業務連絡のみになっている。一緒にいても何かつまらない。夫がいる休日より、家にいない平日の方がずっと楽。ゴロゴロしている姿を見ているだけで何だかムカつくと書いてある。

lovely女同士が寄り集まると、配偶者への苛立ちを全開させるのは一種のストレス解消なのかも。しかし、ダメさ加減自慢で何かが変化するわけでもなく、家に戻ればため息が倍加するばかりだ。

apple僕自身は東京や大阪での単身赴任が長く、たまに妻と会うとしゃべっていることがおおかった。今、思うと単身赴任していてよかった。一人で自由に大都会を旅行できたし、いろいろと経験できないことが出来たのも単身の自由気ままな生活だったからです。

tvこの本は読んでいくうちにいろいろといいことが書いてある。吉永みち子さんはテレビでもよくお目にかかれる。読んでいるうちに彼女の顔がおもい浮んでくる。

down僕は昨年10月に自分で作ったパソコンサークルがわずらわしくなって脱会した。そうすると今まで自分の周りに吹いていた風が変わった。風向きも変わった。

sign03サークル活動でも職場でも、いろいろな人がいる。気の合わない人だって当然多数います。サークルそのものは楽しいが、すごくイヤな人もいます。でもなぜイヤなヤツだと感じるのか考える。それは自分を知ることにつながるからです。

sign02うまくいかないという関係は、おおむね、自分こそが正しいと双方が自分本位にしか考えられなくなった時に生まれる。うまくいかなくて当たり前。当たり前のことにカッカしていてもしょうがない。こんな風に吉永さんは摩擦の解消する方法を書いていた。

|

硫黄島で託された写真が世紀を越え祖国へ

wave特集・わが人生の歌語りで五木寛之のリクエスト曲で久保田早紀の「異邦人」が聞えていた。5時10分の気温は氷点下1.7度で湿度は92%でした。6時24分では気温は氷点下2.8度まで下がった。寒い朝でしたがラジオ体操は25名が参加した。

heart01昨夕、報道特集で「硫黄島で託された写真が祖国へ」の番組を見てとても感動した。太平洋戦争末期、日米激戦の地となった硫黄島で、捕虜の日本兵から米海兵隊員の父親に託された写真が何人かの関係者を経て遺族のもとに返ってきた。

snowboard米カリフォルニア州フオールブルック在住の弁護士スティーブ・ロパルドさん(54)は、2004年に他界した父親の元米軍中尉、フィオレンツォさんから写真を受け取った。

sign01写真は手札判で、日本人男性と女性、子供の3人が肩を寄せ合っているものなど2枚。裏には「サカイ・タイゾー」「スミコ」と署名があった。

sign02ロパルドさんが知人の静岡市の元教員、塩沢伸介さん(当時72)に寄せた手紙によると、中隊を指揮していたフィオレンツォさんは1945年3月中旬、捕虜になった日本軍の通信担当者のサカイ曹長を尋問。その際、妻子と撮った写真を「あなたに持っていてほしい」と渡されたという。2人は塹壕で約3時間、フランス語で語りあったという。

sign03硫黄島元アメリカ海兵隊フレッド・ヘインズ少将はサカイ氏は私たちに「バンザイ突撃に気をつけろ」と警告してくれましたという。

impactロパルドさんは「父は死去する前に幾度も、サカイ氏との出会いを畏敬(いけい)の念を込めて語り、写真を家族に返すことは非常に重要なことだと話していた」と手紙につづってあった。そしてロバルドさんは長女るみさんの住む横浜に写真を約束どおり返却するためにやってきたのだった。

cherry1945年3月26日日本軍の組織的戦闘が終結した。サカイ氏の本名は坂本泰三さんでした。坂本さんは画家を夢みてフランス語を学んだという。そして1984年坂本泰三さんは他界した。享年68だった。

sign05ロパルドさんが入手したアメリカの公文書では、サカイ氏は当時28歳で、住所は「東京淀橋柏木1丁目163」となっているという。

camera写真は出征直前に東京・板橋区赤塚で撮影されたものだった。「60余年の時を越えてお預かりした写真を約束どおりお返しします」とロバルトさんから受け取ると長女るみさん(60)は「あなたのお父様がずっと誠実にこの写真を返そうと思っておられたことに感謝します」とお礼を言って受け取った。

P1010005s P1010006s P1010009s P1010014s P1010016s

P1010026s P1010028s P1010030s P1010032s P1010038s P1010039s P1010047s P1010070s P1010075s P1010076s

|

鎌倉散歩~春の梅景色

sun5時38分の気温は2.6度で雪がちらついていた。ラジオから「朝日は昇りぬ」やマイペースの「東京」という音楽が流れていた。

trainリリー・フランキーのベストセラー小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』がドラマ化され、放映された。その主題歌が秋田出身のマイペースが、70年代にヒットさせた「東京」です。著者に聞きたい本のツボでは岸本葉子さん。ラジオ体操は16名だった。

xmas今朝のテレビで名古屋市の耳鼻咽喉科医師の伊藤博隆先生が花粉症予防対策として①髪や服についた花粉を落とす②朝シャンプーより夕シャンプー③扉や窓を開けない③洗濯物・布団を外に干さない④外出時にマスク・めがね・帽子⑤うがい・洗顔をする。以上について語っていた。

cameraレディス4 で鎌倉梅絶景を楽しむことができた。紅白&しだれ禅寺で水仙と梅の競演をしていた。番組で取材した店と散歩コースは北鎌倉駅~・東慶寺・荏柄天神社・円覚寺・瑞泉寺・宝戒寺など。

P1010014s P1010016s P1010020s P1010022s P1010023s P1010024s P1010028s P1010033s P1010037s P1010043s P1010044s P1010048s P1010053s P1010054s P1010065s P1010073s P1010080s P1010084s P1010085s P1010086s P1010088s

|

健康の味は健康が損なわれた時に味わえる

rain朝は雨だった。歩くこともままならずラジオ体操を家の中でする。早起きの習慣がついていて5時からは寝ておれなかった。

waveラジオから倉本祐樹の「美しい季節」や小鳩くるみの「山の音楽家」、くるりの歌で「春風」の曲が流れていた。午後、天気が回復し公園散策にでかける。13時46分の気温は12.5度でした。

book南伸坊さんが雑誌「壮快」に連載した「健康の味」が本になって白水社からでている。どんなことが書いてあるか以下に抜粋してみよう。

hospital健康の味は、健康の時に味わえず、健康の損なわれた時にはじめて味わえる。病院に出かけてみると、まず「イヤ」というほど待たされた。「病院は人を待たせるなあ」と私は最近の病院事情を勉強した。

run健康の味は、健康が損なわれて、そして回復できた、ほんの短い期間にのみ味わえる味である。健康が常態になった時、人はすみやかにその味を忘れてしまう。

sign02健康なときよりも、死にそうだと思っているような時の方が、美しいものが美しく見える。自分にご都合いい主義の楽天人生。健康の味は喉越しの味かもしれない。喉元をすぎれば忘れてしまう。

up徒歩もけっこう体重減に効くと思う。そんなにタイソーな距離を歩かなくとも、なるべく歩くようにするだけで体重が減るようだ。

flair病気なんて、びくびくしていたら、カンタンに本格化してしまう、というのが私の考えで、病人をびくびくさせる医者は信用できない。

punch病気になる前に、今ムリしている人に、生活を変えるか、ガンバリすぎない生活をするっていう選択肢があるっていう、そのことだけがつたわったらいいなと思ってます。

|

加藤登紀子が東大の街を歩く

night5時39分の気温は3度で湿度は63%でした。そして6時26分では気温1.9度まで下がった。ラジオからタンポポ児童合唱団の「春の小川」の曲が流れていた。ラジオ体操は24名が参加しました。

trainおもいッきりイイTVで「おときさん」の加藤登紀子が東大の街、駒場1万歩の旅をした。学生時代の想い出の街である。僕も駒場へ何度か行ったことがあり、大変に懐かしかった。

school加藤登紀子は懐かしの母校、目黒区大橋の都立駒場高校を訪れた。第三高女で女子の名門だった。吉永小百合も同窓生の一人。放送部で活動していた。この日、彼女は懐かしい放送部室から音楽を流した。

crown1962年(昭和37年)東京大学教養学部へ入学。現役東大生歌手だった。東大紛争で運命の人、反帝全学連委員長の藤本敏夫氏と知り合った。おときさんは満州生まれの京都育ち。藤本氏は同志社大学を中退している。

sign0587年、歌手活動20年を迎えた加藤登紀子は、夫、藤本氏の活動拠点・鴨川で結婚式をあげる。結婚するまで、またそれ以降もけっして平坦ではなかった。

cherry藤本氏は2002年7月31日、肺炎で58歳で亡くなった。おときさんは亡き夫への想いを語った。そして愛する人に捧げた著書「青い月のバラード」を出版した。私はおときさんの「百万本のバラ」や」「知床旅情」などおときさんの歌が好きです。

up言うまでもなく、誰にとっても人生っつうのはキビしいもの。悲哀/絶望/虚無の連続である。本当に大変だ。しかし、そうとばかりも言ってらんない。せっかくこの世に生を受けたのだから、やっぱ熱く生きたい。

bell渋谷区大山町の東京ジャーミイを訪れた。ジャーミイというのは「集会」という意味です。遠くから見える尖塔に興味を持って、礼拝堂の中に入っていた。ここはイスラーム寺院でした。

camera学生時代の5年間を過ごした、思い出の駒場、昔、よく食べたパン屋を訪ねたり、カラオケをしたり、加賀百万石前田家第16代当主の邸宅跡など、1万歩の旅は終わった。できれば東大キャンパスをもっと歩いてほしかった。

P1010005s P1010007s P1010008sP1010019s P1010025s P1010027s P1010028s P1010029s P1010031s P1010035s P1010036s P1010041s 

|

«南丘マンドリンの森~哲学の道