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いつだって今が一番幸せ

4時42分の気温は20.8度、湿度98%で風速は0.8mでした。曇天からだんだんと晴れてきた。ラジオ深夜便のこころの時代は女優、小山明子さんの「いつだって今が一番幸せ」というタイトルで早口でしゃべっていた。松竹映画「ママ横をむいてて」でデビューし女優になった彼女は当時、松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合い結婚した。

翌年、松竹を退社しやがて二人の息子の母となった。夫の大島監督が脳出血で倒れてからは、その介護に専念し13年になるという。この話の続きを明日も聞きたい。大島は京都府学連委員長だった。彼は私より1才若いが学年は同じ。よくアジ演説をしていた昔を思い出す。

戦後、天皇が京大に行幸されたときに大島は首謀者となって学生を集め、天皇が乗った黒塗りの車が京大構内に入ってきたところを一斉にとり囲み騒ぐという京大行幸事件があった。僕は学生新聞の取材でいつも大島の格好いい破防法反対闘争名演説を聞き入っていた。その妻がラジオで大島との夫婦愛について語っている。野坂昭如と大島渚の パンチ騒動をテレビでみたことがあった。 スピーチを何時間も待たされた腹いせに、拳をあげた野坂が1発。 逆上した大島も負けじと2発。 会場が騒然とし中に入った明子夫人のことを思い出した。

散歩しながらボニージャックスの「あなたの笑顔」や秦基博の「虹が消えた日」の曲が流れていた。朝食のときテレビで癒しの歌姫カノンが歌っていた。学生時代ボディービルディングをしていたという。声を出すのも筋肉という。

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シジュウカラ

ラジオから「若葉のささやき」という曲が流れていた。若葉が街に 急に萌えだしたある日私が 知らないうちにあなたのことで 今はこの胸がいっぱいだから わからなかったの愛はよろこびそれとも涙 誰も知らないことなのね若葉が風とささやく街を 愛を心に私は ...
天地真理のシングルで1973年3月に発売された。季節の野鳥はシジュウカラだった。胸から腹にかけて黒いネクタイのような帯があり、白い頬が目立つ小鳥で人なつこくそばで撮影していても平気ですSijukara鳴き声は「ツー、ツー、ツー」、「チッツ、チッツ」と聞こえる。ここ南部丘陵公園でもよく見られる。

なぎら健壱の「あのころのフォークが聴きたい」では速くて聞き取れなかった。HPをみてみると「コニー・アイランド・ウォッシュボード」ジム・クウェスキン&ザ・ジャグ・バンド、武蔵野たんぽぽ団で、「ミッドナイト・スペシャル」、「もしも」などだった。今朝のラジオ体操は鈴鹿市体育館から多胡肇さんの指導で始まった。

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ラジオ体操

4時31分の気温は21.4で湿度93%でした。早朝から蒸し暑い。ラジオを聴きながらの散歩です。愛燦燦、月見草の歌、鳥の人、てんさくの花、などの曲が流れていた。鳥の人[フルコーラス]を無料で試聴してみた。曇天の下でラジオ体操を40名ほどの仲間とする。巡回ラジオ体操が明日の朝はお隣の鈴鹿市にやってくるらしい。鈴鹿市のどこに来るかは誰も知らなかった。雨天の時は鈴鹿市体育館にやってくるようだ。こんな話をしながら帰路につく。万歩計は14900歩になっていた。

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陽のあたる坂道

今朝も4時40分ころから散歩にでる。曇っていて傘をもって歩く。ラジオ深夜便の最後のほうで「たったひとつの地球」「夢の横顔」の曲が流れていた。
次いで童謡「椰子の実」が聞こえてきた。ゴスペラーズの「陽のあたる坂道」も流れていた。好きな音楽をききながらの早朝散歩をする。そしてラジオ体操を50名ほどの仲間とした。健康ほどありがたいものはない。

椰子の実
【作詞】島崎藤村
【作曲】大中寅二

1.名も知らぬ 遠き島より
  流れ寄る 椰子の実ひとつ
  故郷の岸を はなれて
  汝(なれ)はそも 波に幾月

2.旧(もと)の樹は 生いや茂れる
  枝はなお 影をやなせる
  我もまた 渚を枕
  ひとり身の 浮き寝の旅ぞ

3.実をとりて 胸にあつれば
  新なり 流離の憂い
  海の日の 沈むを見れば
  たぎり落つ 異郷の涙

  思いやる 八重の汐々
  いずれの日にか 国にかえらん

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何度でも

4時35分の気温20.7度で湿度は93%でした。公園を後にして、いつもの電車の踏切を渡って早朝の東海道へ。ほとんど人に会わないのがよい。ラジオからさだまさしの「浜辺の歌」が流れてきた。ドリカムの「何度でも」が聞こえてきた。歌詞もすばらしい。

こみ上げてくる涙を何回拭いたら
伝えたい言葉は届くだろう?

誰かや何かに怒っても出口はないなら

何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
きみの名前声が涸れるまで
悔しくて苦しくてがんばっても
どうしようもない時もきみを思い出すよ

10000回だめでへとへとになっても
10001回目は何か変わるかもしれない

口にする度本当に伝えたい言葉は
ぽろぽろとこぼれて逃げていく

悲しみに支配させてただ潰されるのなら

何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
きみの名前声が涸れるまで
落ち込んでやる気ももう底ついて
がんばれない時もきみを思い出すよ

10000回だめでかっこ悪くても
10001回目は何か変わるかもしれない

前を向いてしがみついて
胸掻きむしってあきらめないで叫べ!

何度でも何度でも何度でも立ち上がり呼ぶよ
きみの名前声が涸れるまで
悔しくて苦しくてがんばっても
どうしようもない時もきみの歌を思い出すよ

この先も躓いて傷ついて傷つけて
終わりのないやり場のない怒りさえ
もどかしく抱きながら
どうしてわからないんだ?伝わらないんだ?
喘ぎ嘆きながら自分と戦ってみるよ

10000回だめで望みなくなっても
10001回目は来る

きみを呼ぶ声力にしていくよ何度も
明日がその10001回目かもしれない…

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ほおずき

4時42分の晴天で気温は18.4度、湿度96%でした。ラジオを聴きながら公園をでて小学校の方へと歩く。小学校の西門のところに「つらいときそばにいるのは家族です」と書かれていた。ラジオからさだまさしの「ほおずき」という曲が流れていた。

                    帰りの地下鉄車内でほおずきの鉢を持った人もちらほらお見かけします。

♪ほおずき 
作詞/作曲 さだまさし 1975年(昭和50年)
 いくつかの水たまりを残して
 梅雨が駆け抜けてしまえば
 しめった風の背中越しに
 きみの好きな夏が来ます

 あの日きみにせがまれて
 でかけた小さなお祭り
 綿菓子の味 アセチレンの光
 きみは赤いほおずきを買った

 ため息でまわした ひとつのかざぐるま
 とまらずに とまらずに
 まわれと二人 祈っていたのに

 きみの下駄の鼻緒が切れた
 ひとごみに まかれて 切れた
 僕の肩にすがり うつむいたきみは
 おびえるように 涙をこぼした


 走馬灯に照らされて
 僕はほおずきをかんで
 風鈴の唄に合わせてきみが
 団扇で そっと風をくれた

 僕の肩越しに
 子供の花火をみつめ
 きみは小さくつぶやいた
 消えない花火があるなら欲しいと

 たわむれに刻んだ
 二人のたけくらべ
 背のびして 背のびして
 つま先立っても とどかない

 あの日のお祭りに
 今夜は一人で行ったよ
 想い出のほかに ひろったものは
 誰かが忘れた ほおずきをひとつ
 
東京に住んでいたとき、浅草のほおずき市へ行ったことがある。。大変なつかしく当時のことがよみがえってくる。このほおずき市のときにお参りをすると四万六千日((しまんろくせんにち)」お参りをしたのと同じご利益があるとされている。

そのご縁日にちなんで、毎年7月上旬の2日間、浅草寺の境内一帯に約200店の
「ほおずき屋」、たくさんの露店が並び、夜を徹して多くの人で賑わっています。

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あれから20年

ラジオ深夜便で美空ひばり集、港町十三番地、一本の鉛筆、人生一路、悲しい酒などをうつらうつらと寝ながら聞いていた。ひばりは平成元年6月24日に52才で亡くなった。今日で満20年がたった。平成元年7月22日に青山葬儀所で葬儀があり多くの人がつめかけた。

当時、私は目黒区碑文谷に住んでいて青葉台のひばり家までは近かったから行ってみた。レポーターなどの姿も近くで見かけた。青葉台の下のほうの路地でたくさんのひばりを見送る人の中にいたのです。その日は晴天でした。その日の無線業務日誌にはインド(VU)、クレタ(SV9)、ギリシヤ、トルコ(TA)、アメリカ、フィンランド、ブルガリアと無線電信で交信していた。クレタと交信したのはうれしく忘れられない。

今朝、4時27分の気温は18度で湿度は95でした。ラジオから「浜千鳥」や美空ひばりの「真赤な太陽」の歌が聞こえてきた。そして先月5月26日、京都嵐山美空ひばり座へ行ってみた。1200円で入場できたのです。Kyoto24sjpg

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沖縄民謡・芭蕉布

大好きな早朝散歩、いつものようにラジオを聞いて歩く。伊波千恵子の沖縄民謡「芭蕉布」が流れていた。「芭蕉布」は1965年に琉球放送のラジオ歌謡として発表された。作詞の吉川安一は、中学校の国語教師だったそうです。作曲は普久原恒勇でNHKの「名曲アルバム」に取り上げられ知名度アップし、全国に広まった。芭蕉布は、沖縄固有で世界的にも希少な織物である。沖縄民謡では涙そうそう(夏川りみ)しか知らなかったがこの芭蕉布もいいものだ。

1.海の青さに 空の青 南の風に 緑葉の
  芭蕉は情けに 手を招く
  常夏の国 我した島 沖縄(うちなー)

2.首里の古城の 石だたみ 昔を偲ぶ かたほどり
  実れる芭蕉 熟れていた
  緑葉の下 我した島 沖縄(うちなー)

3.今は昔の 首里天加那志(しゅいてぃんじゃなし)
  唐ヲゥーつむぎ はたを織り
  上納ささげた 芭蕉布
  浅地(あさじ)紺地(くんぢ)の 我した島 沖縄(うちなー)

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交流戦の優勝はどこか

4時53分の気温は22.5度で湿度は99%曇天で蒸し暑かった。雨が降らないうちにラジオ片手に歩いた。公園はN夫妻が仲良く歩いていた。気象観測所から坂を下って県道44号に沿って下っているとポン吉くんとであった。さらに県立医療センター前で例の運輸会社の奥さんから声がかかった。 「最近は公園でお見かけしませんね」「はい、今は毎朝神社からひなが地区を歩いています」と。

やはり毎朝、公園を一年中歩いていたから変に思われたのだろう。実際その通りで毎朝同じところを歩くと同じ人に出くわすから5月1日から、あえて神社以東から小学校付近までになった。今朝は「東海道名残りの一本松」に触ってみた。貫禄がある。この大きな松も風雪に耐えてマツムシからも逃れて健在だった。市のほうで管理しているようだ。

6時過ぎからとうとう雨が降り出してきた。ラジオ体操は一人、畳の上ですませた。毎日していることは継続することが秘訣と思う。軽い体操は毎朝続けたほうがよい。さて、昨夜の交流戦で日本ハムと巨人が勝ったため、敗れたソフトバンク、阪神の4チームが交流戦の勝率で並び、この4チームのすべてに優勝の可能性が残った。そして勝率が同じ場合は昨年の交流戦の順位で決まるから日本ハムが優勢になったようだ。さあどうなるか今夜の交流戦は面白い。

なぎら健壱のトーク「あの頃のフォークが聴きたい」ではシンガソングライター中沢厚子の話だった。1970年20月吉田拓郎のデビューアルバム「青春の詩」の中で“男の子女の娘”を拓郎とデュエット した話をしていた。また丸山圭子の「どうぞこのまま」をとりあげていた。

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June Bride

ラジオを聴きながら散歩しているときトワ・エ・モワのジューン・ブライドの曲が流れてきた。「6月の花嫁」は幸せになれるというが日本ではどうもあてはまらない。ヨーロッパの6月と日本の6月はまったく違う。ハワイの6月は素敵ですが日本では梅雨でなにもこんな時期に結婚式をあげることもあるまい。6月はハワイで結婚式をあげればよい。私たちは昭和32年4月に質素な結婚式を挙げた。これといった思い出になることはなくゲストは親戚だけだった。著者に聞きたい本のツボは「中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす」の著者、遠藤誉さんでした。

 

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生きにくい世になった

ラジオ深夜便の「にっぽんの歌こころの歌」を聞きながら、うつらうつらと寝ていた。
古い昭和46年の流行歌です。由紀さおりの歌で、生き甲斐、小林旭の歌で、ついてくるかい、ざんげの値打ちもない水色の恋、わたしの城下町、傷だらけの人生、さらば恋人など。5時ごろから40分ほどいつもと違うコースを歩く。雨がざぁーと降ってきて帰宅。ラジオ体操は一人、家ですました。

さて、07年の自殺者は3万3093人で3万人台が10年連続となった。過労や仕事の悩みからうつ病になり死を選ぶ人が絶えないそうだ。早朝から深夜まで働かされて追い詰められた人もいる。悩みを家族に打ち明けられず相談する人もなく自殺した人もいることだろう。働き盛りの人を死に追いやったのは誰か? 過剰な労働を規制しなかった職場や国にも責任があるだろう。生きにくい世になったものだ。国はこうした悩める人たちへの対策をはやくこうじてほしいものだ。

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そして僕は途方に暮れる

4時50分の気温は21度で曇天、湿度は95%で風速2mでした。テレビから大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」が聞こえてきた。この曲は1985年にリリースされた。大沢誉志幸のデビュー25周年を記念し、この曲のセルフカバーバージョンが発表され、話題となった。銀色 夏生(ぎんいろ なつを )は、宮崎県出身の詩人です。そして銀色は「ひとつ残らず君を悲しませないものを君の世界のすべてにすればいいそして僕は途方に暮れる」と言う。

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Yさんの思い出

5時3分の気温は21.2度で湿度は94%でした。早朝から蒸し暑い。ラジオからひばり児童合唱団の「ほたる」ゃ米米クラブの「君がいるだけで」という曲が流れていた。今朝ラジオ体操の会場でA夫人から、あまはね きこの著書「地球一周夢つむぎ」の本をいただいた。ご主人の作られた「トパーズ号 船旅スケッチ帖」は昨年の春、CDにしていただいていた。この本で船内の生活も書いてあった。船の揺れは凄まじく足の不自由な人は難儀していたと書いてある。そして船内の空気は悪く、若者たちの騒音が夜通し音楽をかけ踊るなどするので眠れない様子も書かれている。本にはYさんがスケッチされた絵が載っていた。

A夫人のご主人Yさんは帰国後、入院されてガンでなくなられた。この本を読んで、このような環境下での船旅で命を落とされたのかと思うようになった。Yさんと最後に話したのはYさんご夫妻が明日、横浜港から乗船する前々日だった。船の中か、寄港地からメールするよと言われて元気に別れたのが最後だった。メールは待てど待てど来なかった。Yさんが亡くなられたのは帰国後、しばらくした07年5月14日だった。入院先の市民病院でガンと壮烈な闘いをしておられたようだ。世界一周の船旅を楽しまれ、好きなスケッチを行くとこ行くとこでされて、天国に召されたYさんのお顔が浮かんでくる。京大卒でスポーツマンのYさんだった。長い船旅で命を落とされたように思えて仕方ない。静かに思いいづるときわれ君を忘れじ。ご冥福を祈る

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ローレライ

今朝は5時から散歩にでた。ゆっくり寝ていたのです。今までは少し歩きすぎでした。やはり朝寝したほうが一日がなんとなしに楽です。ラジオから土居裕子の「ローレライ」、そして春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)の音楽が流れていた。ラジオ体操は50名ほどの仲間たちとした。人生を豊かにする音楽の聴き方とは? 脳科学者の茂木健一郎の「すべては音楽から生まれる」という本を読んでみる。

音楽はあらゆる芸術をつかさどる。そればかりではない。生命原理と創造性の本質にも通じているのだ。わたしたちはみな楽器であり、音楽家である。脳の中では、常に交響曲のような働きが起こっている。耳をすませば、世界を満たす豊饒な旋律が聴こえてくるだろう。
そして人生とは、自分だけのハーモニーを奏でることなのだ。

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昔の小学生と今の子どもたち

きのうから息子はハワイの学会にでかけた。今ごろは、あのワイキキのヒルトンホテルで英語でスピーチしていることだろう。例年のように世界の学者800人が集うのだろうか。6月のハワイはまた素敵です。さて、明日の午後は近くの小学校で4年生に南部丘陵の動植物について語ろうと思う。野鳥や昆虫、樹木や草木は子どもたちのほうが詳しいかもしれない。

今の子どもと大昔の自分たちの子ども時代とはどんなところが違うか。昔の机は2人用ですべて木製だった。また私たちの小学生時代は英語は禁止されていた。それなのに今の子どもたちは小3から英語を勉強している。今は給食があるがわれわれの時はなかった。弁当箱をストーブにのせて暖めていた。臭いたくわんの匂いが教室にひろがったこともあった。

学校には二宮金次郎の銅像があった。また、紀元節や明治節には饅頭を学校でいただいたことも覚えている。食べるものがなくて運動場はさつまいも畑だった。そんな貧しい時代でしたが、心はみんな純真でよかったように思う。さて、明日はうまく授業ができるだろうかちょっぴり心配になってきた。

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新幹線はうんと速い

今朝4時49分の気温は15.1度、湿度は88%でした。ラジオを聴いていると「新幹線はうんと速い」という唄をなぎら健壱が紹介していた。初めて聞く曲だったので歌詞を調べてみた。僕は東京に10年ほど住んでいたことがあった。そのときは単身赴任だったから新幹線ひかり号で毎月2回、東京~名古屋を往復したものだ。当時のひかり号は速かった。次にのぞみ号が走りだし今や新幹線はN700系になってから「うんと速い」ととい言葉はピンとこないのです。

「名古屋に止まらない」から新幹線は速いとは名古屋に失礼すぎる。名古屋の発展は、あの地球博が愛知県で開催されてから加速度をあげた。いまや名古屋に新幹線が停まらない新幹線はないのです。僕は名古屋からN700系に乗って東京へ行く。新横浜や品川に停車しても名古屋から東京にでかけ、ゆっくり日帰り旅行ができる。こんな歌なんかどうでもよい。

新幹線はうんと速い
新幹線はうんと速い
うんとうんとうんとうんと
うんとうんとうんと速い

新幹線はうんと速い
新幹線はうんと速い
だけど雨や風には
うんとうんとうんと弱い

新幹線はうんと速い
新幹線はうんと速い
ほら名古屋にとまらずに
東京までいっちゃった
新幹線は1時間以上おくれると特急料金
がはらいもどしになります

新幹線はうんと速い
新幹線はうんと速い
たとえどんなことがあっても
59分以上はおくれません

新幹線はうんと速い
新幹線はうんと速い
うんとうんとうんとうんと
うんとうんとうんと高い

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誇り高き男

4時38分の気温は16.4度で湿度は77%でした。童謡「歌の町」がラジオから流れていた。そのあと「誇り高き男」が聞こえていた。赤軍派9人が起こしたハイジヤック事件は1970年3月31日、羽田発福岡行き日航機で起こった。あのよど号事件の容疑者が帰国する可能性がでてきた。北朝鮮は彼らを保護し、ピョンヤン郊外にある「日本革命村」で暮らしていたのだ。そして彼らの中にはヨーロッパで日本人拉致事件にもかかわっているという。有本恵子さんらの拉致などに3人がかかわっている。38年昔のことがわかってくる。事件当時20代の若者たちは今、60代の初老になっている。日本よりも北朝鮮で過ごした人生のほうが長くなってしまった彼らの余生はこれから調べられて裁判にかけられる。

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フォトグラフ

4時53分の気温は13度で湿度は92%だった。少しひんやりしていて朝の散歩には最適です。そして晴天で気持ちよく散歩ができた。ラジオからシンガーソングライトの岡野宏典の「フォトグラフ」という曲が流れていた。「少し肌寒い風に シャツの襟を立てて 新しい季節の気配を感じてる 君とよく待ち合わせた.」と 作詞、作曲、歌と一人でこなしている。

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大切なもの

朝から弱い雨です。ラジオを聴いて寝ていた。ラジオ体操は多胡肇さんの歯切れのいい声を聞きながら家の中で無事すませた。「映画「ドルフィンブルー フジ、もういちど宙(そら)へ」主題歌」となったAIさんの「大切なもの」が流れていた。大切なものは、あたたかい人の優しさで僕はそれに答えられるだろうかと書かれていた。いい歌で何度も聴いてみた。

「大切なもの」歌詞


 泣かないで そこにはほら
 かけがえのない大切なもの
 目を閉じれば 夜空に映(ウツ)る
 優(ヤサ)しい想い出たち

 

 桜散る その旅にまた
 門出の涙 流したけれど
 涙散る その度(タビ)にまた
 笑いあえた 僕たちがいた

 泣かないで そこにはほら
 あなたを包む 大切な人
 一つ一つ 流した涙
 その理由(ワケ)を 忘れないで

 あたたかい 人の優しさに
 僕は答えられているのだろうか
 この旅が 終わる頃には
 その答えも見えてくるだろう

 この空の下 同じ星見上げて 悩む僕らは
 夢をにぎったまま 泣き笑い支えあい信じてく



 桜散る その旅にまた
 門出の涙 流したけれど
 涙散る その度(タビ)にまた
 笑いあえた 僕たちがいた

 かわりゆく日々が 僕らに不安の色をもたらそうとも
 そまらずに今は 歩く自分の意志道しるべに

 この空の下~~~

 この空の下 かけがえのない大切なもの

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笑ってみせてくれ!

4時41分の気温は20.6度で湿度は94%でした。ほとんど無風で蒸し暑く曇天です。公園を早く抜け出て中学校が小学校裏道から東海道を通る。再び電車の踏切を渡って神社に着いた。いつもの女性二人が石段を掃除している。神社から県立医療センター前を通って家に着く。6時前です。新聞を読んでから再び公園へ。ラジオはダークダックスの「春風」や堀江淳の「メモリー・グラス」の曲が流れていた。小田和正の「笑ってみせてくれ」という音楽も聞こえてきた。

この曲は「音楽のもつパワーでオリンピック日本代表選手を応援したい」という音楽プロデューサー佐橋佳幸の呼びかけにより、小田和正、トータス松本ら3名が中心となって応援ソングを制作。さらにこの企画に賛同するアーティストの参加を募り、北京オリンピック日本代表選手団応援のためだけのスーパーバンドを結成して、レコーディングしたそうだ。この曲は、勝利した人はもちろん、頑張った全ての選手に「最後には、笑ってみせてくれ!」というポジティブなメッセージを送るものとなっている。

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初花凜々

今朝4時40分の気温は15.2度で湿度は99%でした。ラジオから「夏の思い出」の曲が流れていた。またSINGER SONGER(しんがーそんがー)の「初花凜々」という曲も聞こえていた。今日もピュアでローヤルゼリーの話を聞いた。公正マークがあって承認番号のあるものを買ったほうがよい。一日の摂取量は7000kg以上でデセン酸の含有量は一日に6~9グラム摂取すべきと言う。また副作用はないと言う。明日はピュアの天翔の華3600をPRするようだった。一年間も飲み続けばよいが相当、高価なもので買う気になれなかった。貧乏人は健康からもみはなされそうだ。 今日は梅雨間の晴天だったが明日からまた梅雨空に戻るようである。

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そして僕は途方に暮れる

今朝は5時7分の気温14.7度で湿度は98%でした。ラジオから日本女性合唱団の「夏の思い出」や大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」という曲が流れていた。歌詞を読んでみた。この曲は1985年にリリースされた。日清カップヌードルのCMソングにも採用され、ヒットしたという。午後から新しいホームページの作成に時間がかかった。

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再び東京五輪の夢

東京オリンピックがもしかしたら2016年に再び東京で開催されるのだろうか? 来年10月には最終決定される。立候補を申請した7都市中、東京を含めた4都市を立候補都市として選定した。予選を1位で通過しただけでもうれしい。

立候補都市として選定されたのは、東京(日本)、シカゴ(アメリカ)、マドリッド(スペイン)、リオ・デ・ジャネイロ(ブラジル)の4都市でバグー(アゼルバイジャン)、プラハ(チェコ)、ドーハ(クエート)は選外となった。

4都市のなかでも強敵はシカゴと思う。 1964年の第18回の時は私は33才だった。でも仕事に追われていてオリンピックどころでなかった。2016年はもし生きていたら私は85才です。85才になってみなければわからないが恐らく東京まででかけるのも大変だろう。8年後はどうなっていることやら。

でも東京なら息子一家が住んでいる。なんとかなるんじやないか? また、この年に孫が順調にいけば大学生になっている。 オリンピックは子供たちに夢を与える。できれば再び東京で開催してほしいと思う。

世論は現時点で59%の支持率らしい。なぜなら施設整備に2400億円、大会運営費に3000億円、合計5400億円の巨費が必要だからだ。 でも石原都知事は強気だ。東京は選手村とメーンスタジアムが近くて警備面でも東京が一番よいのです。でも世論がソッポ向いては強気な石原都知事でも大変かと思われる。がんばってもらいたい。

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ベストセラー症候群

テレビが出版不況と本のランキングについてやっていた。「声に出して読みたい日本語」などのベストセラーを連発した出版社の草思社が、今年の年明け早々に破たんした。今や「不況に強い」と言われた出版業界の神話が崩壊しつつあるようだ。

あの草思社がなぜ倒産したのか?  ベストセラーに頼りすぎたからだった。

回転資金に困り始めた同社は「苦しくなった分を補おうと、ベストセラーを狙ってさらに発行点数、発行部数を増やす」というベストセラー症候群に陥った。結果的には、部数を増やした分、すべてが返品率の増加にはね返る形になったという。返品率の危険水域はおよそ4割と言われるが、同社は4年連続で4割を上回ったといわれている。

第5回「2008年本屋大賞」の発表会が4月8日に行われ、 大賞作品に 『ゴールデンスランバー』 伊坂幸太郎著(新潮社刊)が決定した。2007年の大賞は佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』だった。ところが2位以下はあまり知られていない。たとえば2008年4位の吉田修の「悪人」など知っている人は少ないといわれている。

ランキング依存が止まらないという。本屋の売り上げランキングはその店の売り上げに過ぎない。そして最近は中小書店数が減ってきた。本を買う人が減ってきている。年に1冊から3冊しか買わないようになった。本屋大賞に選ばれた「ゴールデンスランバー」が果たしてよい本がどうかわからないが、とにかく大賞になった本だから読んでみようという人もいるようだ。ベストセラーになったものが必ずしも自分のためになるとはかぎらない。

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白い色は恋人の色

ラジオ深夜便を寝ながらうつらうつらと聴いていた。2時台の歌は「私のアテネ」、「アメイジング・グレイス」、3時台の「白い色は恋人の色」、「耳をすましてごらん」、「草原の輝き」、
木綿のハンカチーフ」などが流れていた。今朝も4時20分ごろから散歩にでかける。4時36分の気温は15.8度で湿度は97%です。曇天でした。東京少年少女合唱団の「われは海の子」久保田早紀の「異邦人」という曲が流れていた。 午前中、自然食品のピュアという会社へ出かける。店長がコンエンザイムQ2の化粧品を売り出した。これは安いから、買う人もちらほら。酵素の次は何を売出すことだろう。ここに来る人たちは100円の特価品に引かれてくるだけで高価なものは買いそうもない。お昼ごろ晴れ間もあった。

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京都から博多まで

深夜便を聴いていた。2時台のロマンチックコンサートではポピュラー名曲アルバム: コンチネンタル・タンゴで「夜のタンゴ」、「ジェラシー」、「イタリーの庭」、「黒い瞳」などが、3時台のにっぽんの歌こころの歌では、藤圭子の思い出のヒット集で「女のブルース」、「命預けます」、「京都から博多まで」という曲が流れていた。

雨の中、南部丘陵公園の気象観測所まで歩く。5時8分の気温は15度で湿度は97%でした。しとしとと弱い雨が降っていた。ラジオからMY LITTLE LOVER(マイ・リトル・ラバー)のアイデンティティーという曲が流れていた。作詞はakkoで 作曲はTakeshi Kobayashiです。

台風5号が北上し関東地方はこれから大雨になりそうだが、関西では弱い雨が降っている。ラジオ体操は一人、家の中ですました。体操の指導者、多胡肇さんの元気な声が聞こえてきた。こちらに来たときの多胡さんのお顔が浮かぶ。

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花の首飾り

4時52分の気温は17.3度で湿度は94%でした。曇天で午後から雨になるという予報である。ラジオから「彼女にもう一度あえるなら」ザ.タイガースの「花の首飾り」、beginの「誓い」という曲が流れていた。もう梅雨入りしたような天気です。ラジオ体操はN県議など45名が参加していた。

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知床旅情

4時30分の気温は11.9度、湿度は97%でした。今朝もラジオ朝一番を聞きながら散歩していた。あのころのフォークが聴きたいでは七里ガ浜の哀歌、トワ・エ・モアの早春賦、真白き富士の嶺、琵琶湖周航の歌、加藤登紀子の知床旅情などが流れていた。また、溝口肇の「太陽の祈り」という演奏も聞こえていた。さて、今日は電波の日です。無線局免許状は平成21年4月4日まで空中線電力50Wで許可されている。50ワットでも電波は飛んでゆく。

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