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監督の動作が面白い

3時台のラジオ深夜便を聴いて寝ていた。懐かしき歌声、往年の声学系歌手作品集だった。鉾をおさめて、庭の千草宵待草、ふるさと、旅愁、などでした。雨がやんで4時50分から公園へと歩く。5時57分の気温は15.3度、湿度は99%で風速1.2mでした。曇天下、傘を持って公園を歩き回った。ラジオ体操は16名しか集まらなかった。雨がいつなんどき降ってくるかもしれない小康状態の中で無事に体操が終わってほっとした。

さて、プロ野球がここにきて面白くなってきた。オリックスがパ・リーグ3球団で日本シリーズ出場権を争うクライマックスシリーズ初進出を決めた。5月に指揮官が代わった。コリンズから大石監督に代わってから快進撃を続け、なんと11年ぶりの2位が確定した。大石監督は選手たちに「勝ちたいんじゃなく、勝とう」と言ったそうです。指揮官が代わるとこうも変わるものだろうか。

それにひきかえ巨人の原監督なんか何かを食べ飲みながらやっている姿がテレビに映る。のんびりしていて悲壮感が微塵も感じないのです。あれで勝てたらたいしたもんだと思うのです。阪神の岡田はしきりに首をひねる。まるでニワトリのように左上へ右上へと振っている。そうかと思うと今度は帽子を脱いで頭を掻いている。ホームランを打つと笑って選手を迎いに飛んでゆく。原もそんなときだけは選手を笑顔で迎えている。

監督の姿がテレビに大きく映し出される。これを見ていると監督の心中が伝わってくるようです。また、巨人の上原投手の疲れきった様子、肩で息しているようでえらそうだ。フゥーフゥーと何度も大きく深呼吸してもうダメだと言わんばかり。そんなとき必ず打たれている。セ・リーグはこれからが一番面白い。阪神、巨人どちらが勝つか、そのときの指揮官や熱心なファンの顔が浮かんでくる。阪神ファンの千秋、巨人オヤジの徳光の応援ぶりも面白いのです。専門家の予想もここにきてまちまちだ。いったい誰を信じてよいものか。

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小泉元総理の親ばか

テレビで小泉純一郎元総理の次男の進二郎氏を拝見した。率直に言って好青年のように見えた。短い挨拶だったが好感がもてた。関東学院大学経済学部を卒業しコロンビア大学院に留学されたようですがちょっとそのあたりが不可解に思うのです。学歴にケチつけるのはいけないが小泉総理の御曹司ということで縁故でコロンビアに入学されたのかどうかを知りたいものです。

難関のコロンビア大に入る人はそういないはずです。昔、私の義兄が大阪外大からコロンビア大へ留学した。あの野村サッチーが留学したとか言って騒がれたこともありました。とかく格好のいいものです。その大学院に日本の総理の次男だからということで、そう簡単に縁故で入れる大学なんでしょうか。縁故でなければ関東学院大時代から優秀な学生だったのか?

まあ、長男の幸太郎君は父が総理の時に俳優になった。そこで次男の進二郎君を政治家にするために先ず有名な米国の大学へ入れたかった小泉さんの野望がなんとなしにわかってきた。変人だと言われてもやっぱり人並みの父親だったんだ。まあ、そんなことはどうでもよい。その先は選挙民が決めることである。でも、僕はやはり学歴と人柄が気になる。その次にどんな家庭で育った人であるかを調べる。

世間には苦労して政治家になった人も多いはず。そしていわゆる二世議員の人も多い。まあ医者の子は出来が悪くても医者の跡継ぎをさせようとする。そのために莫大なお金を投資して私大の三流医学部に入れようとする。バカでも医者にしょうとする。国家試験さえ受かれば、三流大学だろうがいいわけです。 政治家は選挙で国会議員になれる。選挙、つまり顔形の見てくれと、お金の力で議員になった人も多いはず。僕の偏見だろうか。P1010008s

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アマ無線に熱中したころ

4時42分の気温は14.3度で湿度は70%でした。3.3mの風が吹いていていささか涼しい。満天の星空に下半弦の月が浮かんでいた。今朝からコースを変更して住宅街の街灯の明るい道を歩くことにした。ラジオ体操は40名が参加した。中国人、劉さんの姿は今朝はみられなかった。

さて私のマチュア無線局の免許期限が来年の4月始初めに切れる。なんとか更新したいと思う。最近、アマチュア無線局を運用している人は僕の知る限りはJA2OJ星崎さんしか知らない。僕は若いころはこの趣味ひとすじだった。休日には朝から晩まで交信にふけっていた。ワンデーWACといって朝から北米、南米、オーストラリア、アジアと交信し夕刻からヨヘロッパ、夜はアフリカと交信してQSLカードを手に入れる。

6大陸の交信カード(QSL)を集めると、次の目標はDXCCだった。これは世界各国、植民地、離島から100局以上のQSLを集めてアメリカのDXCC事務局に申請します。こうして苦労してDXCCのアワード(賞状)を手中に収めるのが何よりの楽しみだった。僕は3アマ免許だから50ワットの出力しかなく、そのためにCW(トンツー、つまり万国共通のモールス符号、略語)で根気よく頑張るしかなかった。

アンテナのマッチングをよくしDX稼ぎに熱中したものです。そのためにはアマチュア周波数をよくワッチして珍局を探したものです。トンツーは世界共通ですから語学は知らなくてもコンディション(空中状態)さえよければ交信できるものです。ノイズばかりの日もありました。CQを出している局を探し、それがどこの国かを先ずいちはやくキヤッチしなければなりません。たとえばそのCQを出している局がアフリカだったらアンテナを手早くアフリカへ向けてコールします。

一発で応答あればしめたものですが中にはQRZ(誰かわからない)という。再びこちらのコールサインJA2KPRを打つ。やっとこちらの微弱な電波をとってくれた時は天にものぼったような気持ちで嬉しかった。PSE QSL VIA BURE 「どうぞ、あなたのカードをください」と電信で打つのが精一杯です。相手局からOK QSL VIA BUREと打ってきたらしめたもの。こうして私はDXハンティングに夢中になっていた。

その僕も77才です。今はアマチュア無線は免許だけになりました。衛星通信やパケットに熱中したこともありますが、やはりDXに熱中した若いころが一番よかった。トシとった今ではホームページ作りが一番の楽しみです。ホームページも上をみていたらキリがありませんが自分流で楽しめばいいんじゃないでしょうか。

      私のJA2KPR無線局免許状

  昭和41年(1966年)JA2KPRを開局し現在まで42年間アマチュア無線免許を
  継続してきた。資格は第3級アマチュア無線技士と第2級陸上特殊無線技士。


  無線局の種別  アマチュア局  無線局の目的  アマチュア業務用
  運用許容時間   常時      免許の年月日  平成16年4月5日
  免許の有効期間 平成21年4月4日 
  通信事項      アマチュア業務に関する事項(宇宙無線通信を含む)
  通信の相手方   アマチュア局
  移動範囲     陸上 海上 上空
  無線局の設置/常置場所 三重県四日市市

  周波数   空中線電力   電波の型式  
   1.9M    50 W       A1A.
   3.5M    50 W       3HA.
   3.8M    50 W       3HD.
    7M    50 W       3HA
   18M    50 W       3HA
   21M    50 W       3HA
   24M    50 W       3HA
   28M    50 W       3VA
   50M    50 W       3VA
  145M    50 W       3VA
  430M    50 W       3VA.
 1200M    10 W       3SA
 2400M     1 W       4SA
 5600M     1 W       4SF.

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旅をしながら原稿を書く

生活ほっとモーニングで作家、五木寛之を見た。旅する作家、五木が“うつ”の現代を生きるヒント をNHKアナウンサーの永井伸一が聞いていた。五木と永井は同じ早大文学部の出身ということで永井はいささかうれしそうだった。五木は自分の年齢を85歳と言ってみたりちょっとボケていた。私もこの人が好きでラジオ深夜便の歌語りを聴いたり、五木の著書も読んでみた。

五木の「よろこびノート」を見た。毎日、一行だけ書くという。短く書くことが長続きさせるコツらしいのです。うつの時代を生きる知恵について語った。ラジオ深夜便で五木といつも語っている須磨佳津江の映像もはじめて見た。あのように深夜便でやっていたのかと興味津々。五木は書斎を持っていないとのこと。本当だろうか。

五木は原稿を思いついた場所ですぐ書きしたためていた。忙しい作家はあのようにして書いているのかと思った。あのようにして場所を問わず書いているのだろうか。またパソコンができないと言っていたが今の作家にしては珍しいことだ。パソコンで自由自在に作文できないと大変かと思った。彼は85才まで旅をしながら原稿書きをするという。

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今夜の結果はどうなることか

ベットの中でラジオ深夜便、ロマンチックコンサートを聴いていた。ポピュラー名曲アルバム、70年代ポップス・ヒット集です。追憶、名前のない馬、イフ、恋の魔法使いなどの曲が聴こえていた。3時台のにっぽんの歌こころの歌は思い出の歌謡スター、西田佐知子集です。女の意地、コーヒー・ルンバ、裏町酒場、エリカの花散るとき、 ベットで煙草を吸わないで涙のかわくまで、の曲が流れていた。

4時半から公園へ。4時43分の気温は14.2度で湿度は85%です。ジーパンと長袖シャツ姿です。ぐーんと涼しくなった。下半弦の月がでていてまだ暗く誰もいない公園です。すばやく公園から一般道に出る。S通りにでて旧東海道へ。やはり慣れた道を歩くと安心です。ラジオから「どこまでも行こう」、はっぴーえんどの「風をあつめて」の曲が聴こえてきた。

さて、今夜6時から始まる、阪神対横浜戦と広島対巨人戦が楽しみである。昨夜、巨人の東野投手が見事に完投勝利をおさめた。まだプロ2度目の先発で2勝目をおさめた。この東野のおかげで巨人の中継ぎ陣も休息ができた。阪神は打撃不振でずーと戦列を離れていた今岡がでてきて逆転2ランで救った。もう残り試合は10ばかり。お互いに首位譲らないGTですが今夜の結果はどうなることか。

 

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77歳誕生日に思う

今朝もラジオ深夜便をベットで聴いていた。2時台のロマンチックコンサートや3時台の思い出の流行歌です。ライム・ライト、夕陽に赤い帆、学生王子のセレナーデ、湖愁、わが愛を星に祈りて、新聞少年、下町の太陽などです。

今朝は少し遅く家を出た。5時の気温は21.9度、湿度は64%で風速6.2mでした。気持ちよい風が吹いていた。今朝から新しいコースを歩く。公園をでて住宅街の街灯の明るいところを歩く。T小学校前~海軍道路~東海道名残りの一本松、それからバックして県立医療センターへ。これからはこのコースにしょうと歩きながら考えた。ラジオから「旅愁」が流れていた。

さて麻生太郎新総裁が提案した「森喜朗幹事長構想」に森氏は「晩節を汚したくない」と断ったという話が新聞に書いてあった。首相経験者に対する異例の要請は実らなかったのである。そして王監督が辞任を表明した。成績不振で体調も万全ではなかった。私は今日77歳になった。最近は物忘れが増えて白内障も進み、クラブのオーナーもやめたくなった。ヤル気がなくなってきた。八十路までは頑張ろうと思ったが引退したほうがよさそうだ。好きな読書や旅行で余生を過ごしたい。

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どんな解散になるのだろうか

ラジオ深夜便3時台のにっぽんの歌こころの歌を聴きながら寝ていた。堀内孝雄集だった。愛しき日々、君の瞳は10000ボルト、秋止符、ガキの頃のように、置き手紙、などが流れていた。4時半から公園へ散歩にでかける。半月と満天の星がきらめいていた。ラジオから「男じゃないか」「追伸」「人生はあなたに絶望しまい」「約束の橋」などが流れていた。

自民党の総裁に麻生太郎氏が決まり民主党の小沢一郎氏と総選挙の役者がそろった。仮に小沢氏が過半数をとれば麻生政権は終わることになる。小沢氏にとっても今回の総選挙は「最後の戦い」に違いない。そして昨日は麻生氏の祖父吉田茂の生誕130年だったそうである。あのバカヤロウ解散した人である。

1953年2月28日の衆院予算委員会で、吉田茂首相と右派社会党の西村議員との質疑応答中、吉田首相が西村議員に対して「バカヤロー」と暴言を吐いたことがきっかけとなって衆議院が解散されたことは有名である。直後に吉田首相は発言を取り消し、西村氏もそれを了承したものの、結局は解散になった。麻生さんが祖父と同じような轍を踏むまいと思うが何か暴言を吐いて解散しないとも限らない。どんな解散になるだろうか。

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あなたとは違うんです

去る9月1日福田首相は突然の辞任会見をした。そのときの首相の言葉を録画してあったので再現してみた。後でわかったことだが、あのとき福田首相に最後の質問したのは広島県の中国新聞東京支社報道部の37歳のキャップだった。この記者は「総理の語り口を聴いていたら国民には「ひとごと」のように聞こえる言葉だったのでこれをキーワードにあえて率直に質問しただけ」と語っていた。

記者から会見が「ひとごとのようだ」と批判されると首相は「私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」と怒りをあらわに切り返したのです。感情を表に出すことが目立たなかった首相だけにこの最後の発言には驚いたが辞任会見で最後に発した名言だと思う。「あなたとは違うんです」は今年に流行語になりそうだ。

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秋の気配

雨のために今朝もラジオ深夜便を聴きながら楽寝していた。にっぽんの歌こころの歌で、懐かしの歌謡スター、三橋美智也の歌で古城、ああ田原坂、ギター鴎、星屑の町などです。さらに、こころの時代では「難病からの再出発」と題して薬剤師で生活評論家の境野米子さんの話を聴いていた。

阿武隈山系の山里に佇む、築150年の茅葺きの古民家でおいしい水が湧き、 囲炉裏があって、四季折々の恵みの中で病弱な長男の子育ての話。食べものの安全性に目覚めたこと、膠原病の一種の結合組織病にかかり、両手指が腫れ、炊事や洗濯などの日常生活もままならなくなり仕事も辞めた。医者から「治療法はない」と宣告されたが食事療法で治ったこと。60kの体重も47kまで下げたという話だった。明日の続きが楽しみになった。

6時半からのラジオ体操を一人我が家の居間ですました。多胡肇さんの元気な声が聞こえていた。ラジオ体操は全身を動かすように計算しつくされた運動です。姿勢がよくなるしダイエットの効果もあるので心身の若さを保つためにも毎日続けたいものです。こうしたことが長寿につながると思う。

さて、近所の住宅街沿いのイチョウの木の下に、ギンナンの実が落ちていた。路上に落ちたギンナンの実がつぶれてくさい独特のにおいをかもしだしていた。秋を身近に感ずるようになった。今朝はオフコースの「秋の気配」という曲が流れていた。小田和正の作詞、作曲です。これはいい曲で好きになった。

あれがあなたの好きな場所
港が見下ろせる小高い公園
あなたの声が小さくなる
僕は黙って外を見てる
眼を閉じて 息を止めて
さかのぼる ほんのひととき
こんなことは今までなかった
僕があなたから離れてゆく
僕があなたから離れてゆく

黄昏は風を止めて
ちぎれた雲はまたひとつになる
「あの歌だけは 他の誰にもうたわないでね ただそれだけ」
大いなる河のように
時は流れ 戻るすべもない
こんなことは今までなかった
別れの言葉をさがしている
別れの言葉をさがしている

ああ 嘘でもいいから微笑むふりをして
僕のせいいっぱいの優しさを
あなたは受け止めるはずもない
こんなことは今までなかった
僕があなたから離れてゆく

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わかってください

ラジオ深夜便をベッドの中でうつらうつらと聴いてねていた。青春の歌:思い出のフォーク&ポップスでした。白いブランコ秋でもないのにあの場所から旅の宿などでした。今朝もいつもの時間に公園へ。満月で公園は明るく先日、首吊り自殺のあった近くも平気だった。4時23分の気温は18.4度で湿度は97%になっていた。

ラジオ聴きながら国道1号線へと歩いた。風と落葉と旅びと山羊にひかれて遠い世界に 夕暮れ時はさびしそうわかってください、そして玉置浩二の「スター」などが流れていた。

ラジオを聴きながら満月を眺めながら早朝の古い東海道にやってきた。ここから県立医療センターまで来ると救急車が到着した。女性らしき人が担架で運ばれていった。いったん帰宅して6時10分から再び公園へ。ラジオ体操は45名ほど集まった。

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♪そして…めぐり逢い

3時台のラジオ深夜放送を聞いて寝ていた。「にっぽんの歌こころの歌」は作家で綴る流行歌で中村泰士の作曲集だった。北酒場、今は幸せかい、砂漠のような東京で、大阪のひと、わたしの青い鳥、そして・・・めぐり逢い、昭和時代のおやじ達ち、喝采、などをリラックスして聴いていた。そのあと「めいめい子山羊」、徳永英明の「夢を信じて」の曲が流れていた。朝の雨は6時ごろにあがったが、ラジオ体操は一人で家ですました。あの多胡さんの元気な姿が目に浮かんでくる。昨夜は巨人が横浜に勝ち、阪神も中日に勝った。そしてセリーグ3位は中日と広島が同率になった。クライマックスの3位がどこになるのだろうか。

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敬老の集い

敬老の日です。テレビが百歳バンザイスペシャルの番組をやっていた。えなり君が司会をしていた。百歳を超えた老人は全国に3万人はいるという。百歳を超えた人たちの写真集、にっぽん百歳ファイルを見た。そこには若い頃学校の先生をしていた人、数々の苦労を乗り越えながらも、8人の子供とたくさんの孫に恵まれた人もいた。

また離れて暮らす子や孫、ひ孫の誕生日を忘れないように誕生日カードを書くのを忘れない人もいた。野菜作りが大好きな101歳のおばあちゃんは畑仕事が終わっても、家へ戻って今度は豆むきをするなどしていた。これも子どもや孫の存在があるからという。

今年テレビで紹介された人々を全部みたかったが途中から泊塚原町自治会第11回敬老の集いに参加した。町内の小学生たちと「世界にひとつだけの花」と「とんぼのめがね」を一緒に歌った。そして子供たちからか花のプレゼントがあった。カーネーションとリンドーの花を老人たちは受け取ってから小学生14名の「つんつく踊り」を見ていた。泊塚原YOSAKOI梅つんつくチームはわが町の山口久和さんが日永地区市民センターで教えたのです。

Photo

今年の参加者45名と記念写真。昼食のあとでビンゴゲームがあった。これがまた楽しみでした。お土産をいただき今年の敬老会は午後1時ごろお開きとなった。私は77歳でもう7回目の参加となった。写真は今年の春の梅まつりの時の「つんつく踊り」です。

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時の過ぎゆくままに

ラジオ深夜便の歌を聴きながら4時までベットで寝ていた。竹内まりや集だった。セプテンバー、色・ホワイトブレンド、幸せのものさし、駅などが聴こえていた。

そして4時半ごろから早朝散歩にでる。ラジオから沢田研二の「時の過ぎゆくままに」ガロの「学生街の喫茶店」や小林旭の「熱き心に」や島倉千代子の「他国の雨」という古い歌が流れていた。

6時半からラジオ体操に参加した。参加数40名だった。3連休のど真ん中でもこれだけきてくれた。午後はヤクルト対巨人戦を見ていた。今日も最後はクルーンで1点差を守りぬいた巨人。明日から横浜戦である。どうなることか。

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ファンと選手をつなぐ曲

今夜も阪神対広島戦を見ていた。0対0のままで10回表から阪神は藤川球児投手がマウンドに立った。阪神の守護神と言われている。新聞に書いてあったようにリンドバーク゛の歌声が甲子園球場に流れていた。ファンと選手をつなぐ大切な曲となている。今夜も阪神が勝った。巨人も勝ったらまだまだわからない。

ロックバンド「リンドバーク」が96年に発表したシングル曲「every little thing every precious thing」は作詞はボーカルの渡瀬マキさんである。「あなたがずっと追いかけた夢を一緒に見たい」と大合唱になった。藤川投手もテーマソングでマウンドに迎えられるようになった。幸せな男だとおもった。そして巨人のクルーン投手にもおばあちゃんに捧げる曲を作ったらいいのにと思った。P6260002s

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法曹の質の低下

4時31分現在で公園の気温は17.7度で湿度は91%でした。照明があるものの自殺現場から僅か20mほど離れているだけに気持ち悪い。この時間帯は歩いている人がちらほらいたが今では誰も来なくなった。すぐに一般道まで引き返して中学や高校のほうへと歩いた。もう汗をかくこともなくなった。

新聞に新司法試験kの結果が載っている。合格率33%連続ダウンと書かれている。前年の40.2%から33%と下がっている。これらの合格者が検事や弁護士になるのかと思うと大丈夫かと思う。合格者を毎年3千人に増やそうという政府の計画らしいが質の低下が問題だ。今年、合格者がゼロだった大学が3校あった。

このままでは仕事をやめて法科大学院に学び弁護士先生をめざす人はどうなることか。5年以内に3回まで受験回数が制限されていることから、ますます3度不合格者がふえて受験資格をなくして、せっかく法科大学院をでても法曹界に入れない人がふえることになる。

法科大学院の合格者順位は①東京②中央③慶応義塾④早稲田⑤京都⑥明治⑦一橋⑧神戸⑨東北、立命館、同志社⑫関西学院⑬上智⑭大阪⑮首都大東京⑯九州、関西⑱千葉⑲大阪市立、北海道。名古屋や法政が21位と続いていた。

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くちなしの花

4時43分の気温は18.5度で湿度は88%でした。公園を歩いていると暗闇からポン吉に呼ばれた。彼は先日の首吊り現場を見たから、あの桜の木のほうへは明るくなるまでは気持ち悪くて近寄れないと言う。自殺者は20代の若い女性とのこと。彼と少し話を聞きながら歩き自分は公園をでていつものコースで歩いた。ラジオから渡哲也の「くちなしの花」が流れていた。

さて、私も検索エンジンGoogleで毎日何かを検索している。検索ボックスにキーワードを入力すると、瞬時に情報が一覧表示される。何を調べるにもGoogleの窓を使うようになった。世間ではいつの間にか、検索することを「グーグる」という動詞で表現するようになっています。しかし、インターネットは辞書ではないのです。言葉の使い方ひとつとっても答えが書いてあるわけではなく、誰が何を発したのかがわかるだけです。

時には語学学習のために英語をグーグることもある。簡単な計算もグーグルことができる。検索の基本は、とにかく単語を並べることです。単語を羅列するだけでいいのです。どうしても出てこないこともあります。覚えている単語をスペースでつないで検索すればよいこともあります。

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時には昔の話を

今朝も気象掲示板まで行くのが怖くなり公園から早く抜け出ていつものコースを歩いた。あの自殺者のことは新聞にも載っていなかった。いったいどこの誰がどうして公園で首吊り自殺をしたのか知る由もない。ラジオ体操に来た人も会場のそばだからこのことが気になる。

ラジオから宇野ゆう子の「サザエさん」、「風のララバイ」「太陽がいっぱい」「旅人よ」「他人酒」「セプテンバー」加藤登紀子の「時には昔の話を」が流れていた。 歌を聴きながらの早朝散歩もいいものです。いつものように神社へ。靖国神社遥拝所から今日も東京に大地震など災害のないことを祈り、孫たちの無事を祈願する。

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季節の推移に万物も流れる

4時33分に気象観測所の掲示板前についた。電灯で周囲は明るいが怖いのです。昨日の早朝、若い女性が首吊り自殺した現場が見える位置にあり気持ち悪いのです。気温は18.1度で湿度は76%で風速0.6mでした。やっと夏は終わって涼しくなりました。僕は誰もいない怖い公園を一目散に走って一般道にでた。ラジオから浪花水滸伝の「時は流れていく」、麻生詩織の「恋唄綴り」、岩崎宏美の「思秋期」、鮫島有美子の「赤とんぼ」などが聴こえていた。

天声人語は「徒然草」の兼好法師は、「季節の推移に万物の流れる姿を見た。~春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。 春はやがて夏の気をも催し、夏よりすでに秋は通い~」 同様に、死はすでに生の中にひそんでいると、哲学的な思索もめぐらせる。そして政界も、自民と民主の「ゆきあい」の風景だ。夏が生き残るか、秋が勝つか、天下分け目だろうと結んでいる。

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公園で首吊り自殺

今朝はいつもより20分ほど遅れて公園の気象観測所前に着いた。4時50分の気温は21.3度で湿度は96%でした。風速1.3mです。晴天ですが周囲はまだ薄暗い。気象観測所の前は公園のライオン像広場です。ここ南部丘陵公園では毎朝6時30分からラジオ体操をしている。この広場には桜の木があって夏場は格好の木陰です。今朝も40名ほどが集まって木陰で体操をした。

そして今朝の暗い時間帯にこの桜の木で首吊り自殺があった。それを警察に通告したのはSさんだった。Sさんは毎朝4時過ぎに、この公園の一角で能楽の練習をしている。終わってからラジオ体操して帰る。Sさんが第一発見者ということで何をしにこんな早朝に来ていたのか持ち物まで調べられたようです。自殺したのは若い女性でした。私はこのことをSさんから聞いてびっくりした。ちょうど自分が気温を見にきたときに、すぐそばでこの女性は死んだのかもしれない。桜の木のそばまで行き思わず合掌した。

日本全国で年間3万人の自殺者がいるという現世です。この若い女性の身に何の悩みがあったのか。さて、今朝もラジオ聴きながらいつものコースで歩いた。帰宅すると万歩計は14.567を指していた。ラジオからトワ・エ・モアの「あの素晴らしい愛をもう一度」やBAND FOR SANKA の「笑ってみせてくれ」の曲が流れていた。

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自分だけの秘密の部屋

ラジオ深夜便で湖畔の宿、おしゃれ娘、一杯のコーヒーから、などの懐かしい歌を聴きながら寝ていた。蒸暑くて扇風機をかけていた。4時15分から暗い公園へとでかける。4時35分の気温は21.9度で湿度は98%でした。今日は白露です。白露とは「野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が混じり始める」と書かれているが朝から残暑厳しい。それでも、いつものコースをラジオを聴きながら歩いた。

このごろ無用なものは捨てたくなる。老いてからはシンプルにしたいのである。机に座ってさあ読書しょうとするが無用なものが周囲においてあると気が散る。集中して本を読みたいがここではテレビの音声がやかましい。妻はいつもテレビを見ている。テレビから離れた書斎がほしくなる。狭くてもよい「自分だけの秘密の部屋」があったらよいと思うが、そんな贅沢はわが家では許されない。

僕は原則として本を買わないことにしている。買うといつでも読めるからつい積んどくことになる。それより市の移動図書館をせいいっぱい利用します。返却期限がせまってくるとあわてて本を読むものです。1ヶ月たっても読めなかったら更に1ヶ月借りる。僕には本のコレクター趣味はない。本当に手元においておきたい本はたったの数冊です。

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70歳からの読書

今朝は小雨模様だった。5時26分に公園の気象観測所前に着いた。気温23.9度で湿度は97%です。今週はずーと天候は不安定でした。ラジオからポール・モーリア・グランド・オーケストラの演奏曲「エーゲ海の真珠」やEPO(本名:佐藤 榮子)の「音楽のような風」や沢田研二の「追憶」という曲が流れていた。

本、読もっ!というタイトルの本がある。なんとなく面白くぺらぺらと読んでみた。今はケイタイやパソコンに走る人が多く「本離れ」が進んでいるようです。都会では本はどこに行ってもすぐ手に入り簡単に買うことが出来る。そして本のジャンルが増えて選ぶのに苦労します。本がありすぎてありがたみがないのです。

私は70代になってから一番本を読むようになった。「いい本との出会い」があるようにと市の移動図書館がやってくるとまっさきに飛んでいく。狭い車の中ですばやくみつけるには苦労します。たいていはタイトルと著者で決める。家にもちかえっておもむろに読むのですがすばやくぺらぺらと読むようにしています。そうしないと雑念が入りめんどうくさくなるからです。

高校のときもあまり本を読まなかったし、大学時代は新聞作りの雑用に追われ、社会人になったら転勤、転勤で書斎を持てなかった。机の周囲はアマチュア無線の本しかなかった。私は69歳からぼつぼつ本を読むようになった。でも一年に15冊ほど読むだけでパソコンに熱中してしまった。最近はパソコンで良書を検索できます。いい本をもっともっと読もうと思う。

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大分県教委は甘い!

3時ごろから雷雨になった。ベットで寝ながらラジオを聴いていた。にっぽんの歌、思い出の流行歌、ムード歌謡集です。東京ナイトクラブ、コモエスタ赤坂、六本木ララバイ、新宿の女、池袋の夜、雨の西麻布、ラビュー東京などです。 雨は一向に止まずラジオ体操は家の中ですました。毎日、歩行数とラジオ体操の記録簿を続けているから一回でも休むわけにいかない。

大分県教委が夏休み中にしてほしかった採用取り消しが5日から7日に延期になった。当初は5日をめどに決めると発表しておきながらこの始末。大分県教委はどうかしていると思う。理由はいろいろあるだろうが延期したこと自体、不正の重大さにまだ目覚めていないと言わざるを得ない。不正に合格したとされる21人のうち、1人だけ辞職しただけである。自主的に退職届を出さない反発している先生がいるという。甘やかすにも限度がある。

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♪新しい日々

4時43分の気温は21.3度で湿度は95%でした。能に打ち込んでいるSさんが公園であちらこちらに小さな三角旗をたてて大きな長刀を振っていた。弁慶だろうか。能面が少し見えた。こんな早朝の暗闇で一人、毎朝のように稽古に励んでいるSさん。これが終わるとラジオ体操にも参加される。

ラジオを聴きながらいつものコースを歩く。「不思議な港」ゃ杉並児童合唱団の童謡「かがし」、渡辺美里の「新しい日々」という曲が流れていた。歌手、渡辺美里の作詞、作曲で彼女らしい素直でいい曲だと思った。

「まっすぐに見える道を 走り続けたあの頃 うまくいかない時には たまに道草するのもいい 今日おきた出来事さえ 誰に話せばいいのか まわりの人の やさしさにふれて 急に泣きたくなったよ  いつも誰かと比べる度に 小さな勇気見失ってた」

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自分史を書きたい

夕べは蒸暑かった。今になって冷房かけて寝ていた。早朝の空模様が暗くてわからず5時から散歩です。いつもより40分ほど遅れて家を出た。5時11分の気温は23.6度で湿度は98%でした。ラジオ体操は38名しか集まらなかった。この地方にも大雨警報がでていた。

いま自分史を書く人がふえているらしい。本を書きたい気持ちは誰にもある。自分も思いつくままに書き連ねてみたい。生い立ちから今日までを書くのはむつかしいものです。長いようで短い人生の中で、いくつものアクシデントがあった。そのことを次の世代に遺しておきたい。自分しか知らないこと、家の出来事、仕事のこと、自分の考えや思想、信条について書きたいものです。

八十歳を越すと体力、気力、そして知力もガタッと低下すると言われます。幸いとまだ77歳、早く書かないと、このまま人生が終わってしまう。八十五歳までは介護なしで生活したい。書き始めて一年間で仕上がる人は65%で二年間では90%とか。人は人、自分は自分です。ホームページにすればうまくできそうだ。CDに収録すればよい。

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突然の首相辞任に思う

昨年の安倍前首相辞任と同じように福田首相も突然の退陣表明をした。なぜ辞任なのか。今の首相には辛抱が足りない。難関に立ち向かういわゆる根性がないのだ。一生懸命に困難に向かう姿勢がみじんもない。あとは誰かがやってくれるだろう。麻生さんに任そうかと考えていたように思う。いい加減で悪くなったらいつでも投げ出すことしか考えていない。忍耐、しぶとさがない。こんな弱い根性のない人が日本の総理になっていたのだ。しぶとさ、タフさがなく、投げ出すチャンスをうかがっていたようだ。

選挙はくりかえされる。こんな自民党や公明党にまた投票する人も根強くいます。結局、もっとひどい目にあわないと人間はこりないものだ。民主党が勝っても、どうせ長続きはしない。われわれ後期高齢者の医療制度、高い保険料天引きは決して忘れてはならない。75歳以上のドライバーに、もみじマークの義務化も屈辱だ。何が敬老の日か! 戦時下の困難な時代を生きてきた人たちの忍耐さが今どきの首相にはみじんも感じられない。どうせ民主党の世の中になっても変わるはずがない。

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里の秋

4時31分の気温は23.6度で湿度は96%でした。風速1mで周囲は暗い。いつものコースをラジオ聞きながら歩いた。夏川りみ「涙そうそう」、タンポポ児童合唱団の「里の秋」などの曲が流れていた。きょうから9月で今年も3分の2が終わった。そして2学期が始まった。東京の孫は25日から2学期が始まっているが同じ都内でも私立女子中の孫娘のほうはきょうから2学期です。方やこちらの市立小・中の孫たちも今日始業式です。

不正に合格し今までばれずに先生をしてきた大分県の教員21人が採用取消される。その期限が9月5日だという。でも自主的に退職するものはいないようです。期限ぎりぎりまでいて、できることなら退職しないで臨時講師として残りたいのだろうか。大分県教委の態度も世間の嵐が吹き止むのを待っているように思えてならない。新学期が始まっているのに県教委の結論が出ないというのもいかがなものか。

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