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灯油の値が一気に下がる

5時33分の気温は9度で湿度は96%でした。いつものようにラジオをききながら暗いうちから公園を散歩した。ラジオから大滝詠一の「幸せな結末」という曲が流れていた。夕方、寒くなって灯油を買いに走った。1ℓ112円で一缶15ℓだけ買った。サービス券が15ℓぶんあったからです。

僕の行きつけの店では明日から2日間だけ灯油が1ℓ74円に下がるという。長蛇の列に並んで、買うことにした。なにしろ一晩で38円も安くなるのです。灯油が下がればガソリンも下がるだろう。まだまだ下がりそうです。ぎりぎりまで買わないほうがよさそうです。

話は変わるがきようの朝日新聞に「医療費むしばむ架空請求」「患者側、何も知らぬまま」「不正のツケで保険料が高くなる」という見出しの記事があった。これは東京都世田谷区の駅前商店街のある接骨院に肩こり治療に行った主婦の証言。接骨院では打撲やねんざなどケガ医療費は請求できるが単なる肩こりは対象外となっている。

「ただの肩こり」と伝えたのにこの接骨院では保険がきく。後で届いた医療費通知には、治療日数が水増しされていた。主婦は別の接骨院にも1日だけ行ってみた。ここでも治療日数が6日に水増しされていたというのである。ほかにも神戸市の主婦が歯科医院で、1日の治療で上の前歯6本を削られ神経も抜かれた。納得がいかず、神戸地裁に提訴し歯科医の不正請求がみつり慰謝料を勝ち取ったという記事があった。

もらった覚えのない薬、一連の治療なのに「初診」が2回あったり。架空の治療で医療費が不正請求されていることが多々あります。僕も昔、名古屋の歯科医でこのような治療をうけたことがあった。当時はまだ40代で若かったし仕事に追われていたので歯科医の言われるままに見過ごした。

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世界が注目する島

5時22分の気温は10.2度で湿度は78%でした。起床して朝食の7時までに1万歩をウオーキングしラジオ体操する。これは簡単なことかも知れないが毎朝続けようとするとこの時期になってくると難しくなってくる。朝の5時台は暗く寒くなってきた。ラジオから平井堅の楽園という曲が流れていた。

今朝も中国人の劉さんに質問した。冬はトーン、雪はショーアー、帽子はマウズ、学校はシュアシャウと発音すると言った。ルー大柴のルー語で中国語をトゥギャザーできないものだろうか。日本語と中国語は漢字ではほぼ同じなのに発音はむつかしいものです。

さて来年7月22日午前11ごろからおきる皆既日食についてテレビがやっていた。場所は鹿児島県トカラ列島の悪石島十島村という所である。なぜ注目されるのかというと①観測できる皆既日食の範囲条件がよいこと②皆既日食の時間が長いこと ③太陽の高度が高く条件がよいからだという。

Akuseki

2009年7月22日の皆既日食は、条件がよくその中でも一番条件の良い悪石島では皆既状態が6分25秒も続くそうだ。これは、日本はもちろん世界でも非常に珍しい好条件とのこと。時間的にも午前11時と条件が良くなっている。おまけに梅雨も明けていると予想されるなどいい条件ばかりそろっている。

来年のことながら近畿日本ツーリストでツアー客を募集するらしいが2万人ほどがこの島に世界中から殺到すると先ず宿泊する所がない。テントで宿泊することになりそうだがその張る学校のグランドも前日にもしも雨が降ればテントが張れなくなる。電力も25キロワットが不足し水も4トンが不足するという。これではお風呂やトイレの水の確保が難しいようだ。あと9ヶ月、どうなることやら今から心配でもある。

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それだけでうれしい

早朝散歩にでかける時間がずいぶん変わってきた。5時半では真っ暗です。手袋はめてウエストポーチをして時計とラジオとメモ帳を持って出かける。公園は暗いが老人たちがぼつぼつ歩いている。「おはようございます」という挨拶が飛び交う。暗いなかで毎朝、日の出風景写真を撮っているアマチュア写真家とも挨拶を交わす。

ラジオからTHE BOOMの「それだけでうれしい」という歌が流れていた。いい曲です。歌詞を調べてみた。

♪それだけでうれしい 歌:THE BOOM  作詞:矢野顕子  作曲:宮沢和史

いつも思っていることなのに 君に会うと忘れてしまう
顔を見ているとうれしい 声をきいているとうれしい
それだけで それだけで うれしい。

いつも座っているんだけれど 思い切って立ってみるよ
顔が見えないとかなしい 声がきけないとかなしい
それだけで それだけで かなしい。

夢のまんなかを歩いていよう
途切れることなく
心がひとりでいる時も
いつも愛しています。
いつも愛しています。(※くり返し)

いつだって歌っているよ 悲しみを通り越すまで
顔を見ているとうれしい 声をきいているとうれしい
それだけで それだけで うれしい。
happy01今朝5時37分の気温は10.5度で湿度は93%でした。ラジオ体操は50人も集まってきた。寒くなるとだんだんと参加者は減ってきます。ラジオ体操を終えて帰路につく5分間に劉さんという中国ホーナン省出身の男性に中国語を教えてもらった。新聞は「報子」でパーウヅと発音するそうだ。また「先生」はラオスと発音するという。劉さんと別れてから自治会のO副会長と町内の話題、行事等を話しながら帰宅する。四日市市には自治会が699もあるそうだ。町史を作ろうとしているK自治会長のプランをさぐってみた。

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こんな先生に任せられないと橋本知事が応戦

橋本知事がまたキレた。9月はあの「クソ教育委員会!」とか10月は「なぜ2週間早く芋ほりをしてくれなかったのか」と畑の所有者に言ったり、朝日新聞には「朝日がなくなれば世の中のため」とか、また高校生には「GDPはインターネットで調べればわかる!」といったキレ語録が続いていた。
そして橋下知事と府民らが教育問題について意見を交わす討論会が10月26日、堺市の大阪府大で開かれた。橋下知事が学力テストの自治体別結果を公表させたことについて賛否が寄せられたほか、職業教育の重要性や授業を面白くする必要性を訴える声があがったのです。
一方で知事の発言のたびに、現場教員らから「くそ教育委員会発言を撤回しろ」などとヤジが飛び、会場は終始騒然とした雰囲気。知事も「こういう先生に子供たちを任せられない」と発言をエスカレートさせていた。そして「必ず子どもたちの学力を上げます」と大阪府の学力向上を語っていた。
 
GDP問題で高校生を正論で打ち負かして泣かした橋下知事が今度は教員と対決していたのです。テレビで見ているほうは面白かった。この知事は言ってくれるなあと感じた。こういう状態にならないようにしたいと知事は涙声で絶叫していた。こうした熱血漢あふれる知事に応援したい。大阪府はいい知事をもったもんだと思う。

でも、発言中はヤジが多く、たまりかねた橋下知事は「まず人の話を聞きなさい。いい大人なんだから」「夢や希望を持っていない子どもたちの率がものすごく高いんです」続いて「こういう先生方に子供たちを任せておくことはできない。中山前国交相の発言こそ正しいじゃないですか」と持論を述べると、知事の発言を支持する他の参加者たちから大きな拍手がわいていた。

「参加した教員の質が悪すぎる」「明らかに教育より政治運動に重きをおいてる糞教師は困ったモンです」と知事は言った。そして知事のお母さんは息子の「クソ教育委員会」発言について、そんな行儀の悪い子に育てた覚えはないと知事を叱ったというが親だったら当然でしょう。でも知事の一連のキレ語録に僕は拍手を送りたい。
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新型インフルはこの自衛策でGO

JA2KPR見聞記はテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌、本、街角でちよっと小耳にはさんだ話題などから書いていることが多いのです。すぐここにしたためておけば後で検索できる。そんな思いがあって軽い気持ちで毎日綴っている。新聞は朝日、たまに中日、毎日なども読んでいる。新聞はさらっと目を通すだけでもよいのです。

今日の話題は宇都宮市の主婦が新聞に投稿した記事です。それはこれから大流行するといわれている新型インフルエンザについての不安、疑問から始まる。なにしろ死者7100万人と推計される新型インフルです。この主婦は毎朝、元小樽市保険所長の外岡立人さんのホームページ(http://www.superinflu.com)をチエックしている。新型インフルエンザに変異する「鳥インフルエンザ」の世界の最新情報が日々更新されているからという。

この若い主婦が外岡さんのHPを見るようになったきっかけは人から人へ、くしゃみなどで爆発的に感染が広がる事態を描いたテレビ番組だった。そしてその夜は一睡もできなかったという。自分や家族に確実に降りかかる問題として真剣に考え、ネット情報を調べるうちに外岡さんのHPを知ったという。

国や自治体の情報では具体策が見えない。自分と家族を守るには今から情報を集め自衛が必要と思ったという。外岡さんは北大とドイツで学んだ医師だった。市立小樽病院を経て8月まで小樽市保険所長をしていた方です。国より早く「一般市民のための新型インフルエンザ対策ガイドライン」を書いた、いわば専門家だった。

先生は毎朝3時すぎから海外の報道や科学論文、研究者の発言などをネットで調べ翻訳して海外情報として05年1月から掲載している。各国の感染状況、ワクチンの開発や接種に関する情報も豊富という。鳥インフルエンザの段階でウイルスを封じ込めるという危機管理が日本では遅れている。これについての情報が連載で載せられる。この記事を読んでいちはやく自衛策をたてようじゃありませんか。

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工業大学のイメチェン

いま工業単科大学がダサイと言われている。といっても私立大学の工科大学の話である。なぜか大学名から「工業」の二文字をはずしたりしている。工学離れが続いているという。こうして大学名を改称したりキャンパスを良くしたりして受験生をとりこもうとしている。工業大は大きく変身しつつあると新聞は報じていた。

名古屋南区にある大同工業大は来年度から大同大に改称される。志願者の減少が続いているからだ。最近は受験生の首都圏志向が強まってさらに減った。この大学は1964年に設置されたから創立44年にしてこのありさまである。このままでは定員の確保すらできず経営が苦しくなるという。

どうも受験者は単科大学はダサイと思っているらしい。総合大学でないといまどきの学生はやってこない。特に女子は大学名に「工業」が入っているだけで来ないという。だからどこも女子が好む文系学部を新設するなどして定員を確保しようとしている。

東京世田谷区にある武蔵工業大学も来年度から東京都市大という大学名になる。ここは東横学園女子短期大学と統合して文系学部を新設して総合大学を目指すという。こうしてどの私大工学部も受験者が総合大学に流れる傾向を阻止しようと懸命になっているのである。

神奈川工科大学ではキャンパスにおしゃれな施設を次々と建設している。学生会館の3階は女子専用のフロアにして一人一個のロッカーやシャワールームやパウダールームを完備して卒業研究で遅くなった学生のために仮眠室まで設置したという。さらに情報学部棟、自動車工学棟や学生サービス棟などが次々と完成しているという。

芝浦工業大は東京江東区豊洲に移転して大人気。江東区豊洲はこれから築地市場がきたりオリンピック開催ともなると一躍脚光を浴びる街になる。豊洲のイメージが急上昇して芝浦工大は単科大学ながら志願者がふえると予想される。東京でも将来性のある江東区豊洲にどこよりも早く移転したメリットは大きい。

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ラジオ体操の効用と多胡さんの思い出

今朝も6時半から10分間のラジオ体操を公園でした。5時46分現在、曇天で気温は15.7度、湿度は77%で風速1.3mでした。南丘ラジオ体操会は今朝も45名が参加していた。ここは南部丘陵公園北部ゾーンのライオン像広場です。公園を散歩する人が気象電子掲示板を見てゆく所にある。

四日市特別気象観測所は無人でデータを刻々と津地方気象台へ衛星経由で送っているようです。詳しくは知らないが衛星アンテナが津方角に向いているからアマチュア無線の知識から勝手に想像するのです。

ライオン像広場にはオス、メス2基のでっかいライオン像が鎮座している。その間に芝生や樹木や休息所がある。このライオン像広場北にはさらに樹木や芝生で格好の体操ができる広場になっている。この公園が出来たのは私が東京から帰ってきて間もなくだった。最初は7名だった会員数がぼつぼつ増えていまでは120名になっています。

広場で毎朝6時半から始めるラジオ体操には、めいめいがポケットラジオ持参で集まってきます。雨天以外は毎朝、お盆もお正月も関係なく一年中、やっているのです。これから暗くなっていく冬場は6時半ではちょっと暗くて顔すらよく見えないこともあります。ここに集まるのは人と会話したい。なんとなくぶらり歩いて体操して、また、ぶらりと家路につく、そんなお年よりが主流です。

帰宅時にはわざわざ遠くに周り道を登って、雑談をしながら歩く人が多いのです。毎朝会う人と親しく付き合うコツがあるようです。野菜や果物や旅行したおみやげを配ったりする人もいます。なにげなく語り合い世間話をして帰る人もいれば、カラオケや小旅行をする友達作りもできるのです。友人に会って話をすることがとてもいいのです。

車できて駐車場まで歩く人もいるが大抵は家まで歩きです。その道中いろいろの自然に触れることがいいのです。朝一番のきれいな空気を吸って歩く。ラジオ体操の消費カロリーは少ないが全身運動ですから毎日続けるとよいのです。肩やふくらはぎ、太ももの筋肉を使います。腕を横や上に振る運動が多いから肩がよく動き肩こりに効きます。

またラジオ体操は負荷が軽いため、けががしにくいのです。僕は天候の悪い日は家の中で一人でします。第一よりも第二ラジオ体操のほうが消費カロリーは高い。第二は跳躍する運動が多いためらしいが僕には詳しいことはわからない。姿勢がまっすぐになるし、ダイエットにもなります。毎日続けて心身の若さを保つことで長寿にもつながるのです。

今朝も多胡さんの元気な声がラジオから聞こえてきた。ラジオ体操の多胡肇さんが四日市にこられてから2年がたってしまった。彼が後ろの高台から「みんなの体操」を見ていて「オイオイ四日市は大丈夫か」と言われて大変な恥をかいたことがあった。まん前でやっていたのが僕でその当時「みんなの体操」はまったく知らなかったのです。

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北海道・富良野の旅がしたくなった

今朝5時30分の気温は18度と暖かく湿度は92%で曇天でした。ラジオからタンポポ児童合唱団の「秋の子」や、松たか子作詞作曲の「夢のしずく」という曲が流れていた。自治会のO副会長と話をしながらS中学の周辺をまわって公園に来た。公園のあけびの実が4個もぶら下がっている。かなり熟してきたが高い棚にぶらさがっていて簡単には採れそうもない。

ところが昨日の午後2時ごろ高枝鋏をもって周辺をうろつく老人がいた。どうもこの人が盗もうとしたようである。毎日、公園にくる人が「今になくなるだろう、誰か高枝鋏を持ってきて採りそうだ」と話していた矢先のことです。案の定です。でも、この公園の産物を盗ったとしても罪にはならないのだろうか。ねたましいことは考えないことにした。

朝食後にNHKテレビの生活ほっとモーニングという番組で北海道・富良野の旅をみていた。NHKならではの贅沢な旅だと思った。とっておきの旅、プロレスラーの高田延彦さんと行く秋の富良野極上の旅です。紅葉絶景と雲上の名湯や、絶品ワインなどを見ていた。富良野は北海道の真ん中にある。車ならR38かR237号線に近いように思った。

車でジエットコースタの路を走ってみたくななった。素晴らしい景観です。かみふらの八景が続く。深山峠、日の出ラベンダー園、旭野やまびこ高原、千望峠、和田草原とどんぐりの郷、そしてキタキツネが迎えてくれた。北海道らしい。しばらく走ると十勝岳温泉卿に到着した。富良野は10月上旬がよさそうだ。

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ストリートビューで遊ぶ

グーグルでストリートビューを利用してみた。操作法はストリートビューでプラウザーを起動しアドレス入力欄に、グーグルのアドレスを入力し→(移動)ボタンをクリックします。地図上部の「ストリートビュー」とある枠をクリックすると、地図上にカメラ型のアイコンが出ます。アイコンがある地域に自宅があれば、ページ左上の「Googleマップ」マーク右側の入力欄に住所を入れ、右の「地図を検索」ボタンをクリックします。

地図上から伸びたふきだしに、小さな風景写真と「ストリートビュー」という文字がある。クリックすれば自宅付近の写真が表示される。大事な操作法はマウスのドラックです。写真上にマウスカーソル(マウス操作で動く矢印)を置き、マウスの左ボタンを押しながら動かすことをいう。これで写真の向きが変わり、自分の家がどう見えるかをさまざまな角度から確認できます。現在では全国12地区、31地区の映像が見られるが今後、地域を拡大されるようです。

360度撮影できるカメラで街の様子が詳細に写しだされる。路上から撮影した画像をネットで公開するグーグルのストリートビュー(http://maps.google.co.jp/)とロケーションビュー(http://www.locaview.com/)があるのでどちらも試用してみよう。 これらを使えば、初めて行く場所の街並みを事前に調べられます。僕は東京の練馬区、目黒区、渋谷区、江東区や大阪に居住していたから興味もありいろいろと使ってみた。昔、住んでいた街がなつかしく見られる。

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大人の時間はなぜ短いのか

「大人の時間はなぜ短いのか」という本がでている。タイトルからして僕は読みたくなったのです。年をとると、なぜ時の経つのが早いのか。この本の著者の年齢はいくつかなのか。そしてどんな経歴の人か知りたかった。僕たちが中学生のころは激しい戦争が続きやがて男は兵隊にとられ戦死することしか考えられなかった時代でした。希望も何もなかったのです。

僕は戦後の混乱期に満足な就職口もなくやっとの思いでサラリーマンになった。給料も少なく30歳ころまでは早く定年になって隠居さんになってみたいと思っていた。苦労の毎日でゆっくり休日を楽しむこともできなかった。日曜日も仕事でした。だから、あのころは早くトシとってゆっくりしたいものだと思っていたのです。

77歳の今になると反対に一年がすごく早くたってしまうのです。著者の一川 誠さんは1965年宮崎県生まれとある。大阪市立大学文学研究科博士課程を出て千葉大学文学部行動科学科准教授とある。先生は文学博士でこんなことを実験研究している専門家だった。そして弱冠43歳です。こんな若い先生が後期高齢者の心理までおわかりだろうか。失礼しました。

楽しい時間はあっという間に過ぎるのに、退屈な会議は、どうして終わらないのか。時間をめぐる身近な不思議を読み解き、上手に付き合うヒントも伝授! 大人になると、子どもの頃より、なぜ1日や1年が短く感じられるのだろうか? あとは本書を読めと言わんばかり。事例や図版を挙げながら分かりやすく書いてあった。

忙しい現代社会で、時間とうまく付き合う方法も伝授するとある。いやいやますます買って読みたくなるものです。それで書店でぺらぺらと立ち読みしてきた。僕は後期高齢者です。一日一日がとても大事になってきた。余命いくばくもないのだから僕にはのんびりしている時間もない。


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長野県王滝村の借金日本一

秋はウオーキングにぴったりな季節です。来月は尾鷲市の熊野古道の三木峠~羽後峠をハイキングすることにしている。苔むした岩石の続く峠道は古道気分を満喫できることだろう。羽後峠から延々とつづく猪垣の長さは、この地方では最長といわれており、見応えがあるそうだ。2時間から2時間半位のコースをゆっくり歩いてこようと思う。

さて、あとでゆっくり読もうと貯めてあった新聞を読んでみた。どんなことが書かれていたか。長野県王滝村の借金が2年連続全国一の最悪という。87人いた村の職員は村長以下45人にまで減り、約17キロの村の主要道41号線は穴があったり盛り上がったりガードレールも折れ曲がっていて、この補修費に金がかかるから大半は村職員が穴や亀裂だけは修理しているという。村内の街灯も半数に減らしたという。

ストーブ代もかかるので石油ストーブから廃材を燃やすストーブに節約しているらしい。王滝村はスキー場や御岳山の登山道入り口にあった。村は巨大ダムの保証金約2億円をもとに木曾御岳山を切り開いて村営おんたけスキー場を作り、人口降雪施設、ゴンドラにお金をそそぎこみバブル期にはかなりの利益を上げていた。

ところがやがてブームが去り、スキー客は減り始めたが村は入浴施設の建設などの投資を続けた。バブル経済がはじけるなんて、地方の村長にはわからなかったと前村長は反省している。やがて経営は赤字になり借金は約21億円にまで膨らんだという。村は近隣町村との合併に賭けるがこれも裏目にでてしまった。日本経済がさらに冷え込めば、地方交付金が減らされる不安もあるという。

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なかなか物の整理ができない

書斎にあるいろんなモノの整理をしたい。たくさんあるアマチュア無線の交信カードは捨てがたいが僕以外の者にとってはこのQSLカードは何の興味も価値もないのである。片づけ事は他人に頼めと言うけれど自分では何を残し何を捨てるか判断に迷うものです。愛着のある趣味の物は保存したいから作業は一向に進まない。そしてカードの量がばかにならない。ダンボール箱3箱ほどになりそうだ。

僕が死んだらこのQSLカードは妻が誰かにたのんで処分することだろう。一枚一枚ダンボール箱に詰め込んでおくのが忍びがたい。珍しい国や地域と交信し苦労したQSLカードを捨てがたく一枚一枚、懐かしく見ていると整理どころではない。こんなことしていたらいつまでたっても片付かないのです。

片づけ事というのは、細かくチエックしていてはできない。見ないで行わないと、どうしょうもない。ましてや、どこの国でどんな地域の局の発行したQSLだろうと読みだしたらだめである。私が亡くなればこのQSLカードはゴミとして捨てられるに違いない。この趣味は自分一代限りで、後に残す必要はないのである。

当用日記が32年分どっさりある。僕の半生記です。表紙がしっかりした博文館製の厚さ3cmもあるものです。これだけは捨てることが出来ず焼却場所もないから僕が亡くなったら、そのまま残ることになる。きっと息子たちが処分すると思うが私が今からこれを処分することはどうしても耐え難い。若き日の自分の日記はこうして全部残すことになった。人生とは、そんなものです。

未練あるものは親族にたのんでおくしか仕方がない。日記以外には私の大事にしている衣服がどっさりある。これは自分しか寸法が合わないからどんどん着て捨てるしかないのです。老いるとは死と隣り合わせになることである。老いの支度は、死の準備にほかならない。そしてどんな人でも死は身ひとつで迎える。だからトシとったら、そんなに衣服は持たないことである。でも、これとて実行が難しい。人生とはそうこうして終わっていくものです。

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白石一文の作品を読んでみた

386211 作家、白石一文氏の新刊「この世の全部を敵に回して」という単行本を読んでみた。この人は私の長男と同じ年頃で妙に親近感がわいてきた。手記で私という人間は、生まれてこなくてもちっとも構わなかったと書かれている。いまどきの人間失格を描いていると評する人もいるが僕にはそのことがよく理解できないのです。

白石氏についてプロフィールを見ると彼は58年に福岡市に生まれ、早大の政経をでて出版社に入社し社員時代に「一瞬の光」でデビューしたという。その後「どれくらいの愛情」が直木賞候補になったとか。 これはすごい作家だと思うがこの本を読んでいるうちに僕の頭は錯乱してしまった。なんべんも読み返してみたのです。

人間は、どこから来て、どこに向かうのか。生き甲斐とはどんなことかと考えされられる作文と紹介されいた。しかし妻も子も愛さないと言い切る53歳の男の手記のかたちで綴ったこの作品は正直、私のような凡人では理解できないのです。白石一文氏はこの文章を今の若い人々に読ませたいと思ったと小学館の編集者にK氏の手記を持ち込んだいきさつを書いていた。

そうだったのか?僕のような年寄りが読んでも錯乱するだけだ。そしてウツというのは僕にとってはある種の若返りなのであると彼は書いている。読んでいるうちにウツ病と闘ったことが理解できるようになった。「私が最も恐れるのは突然の事故死である。死ぬための準備もなく突発的に死なされるのだけはごめんこうむりたいと願っている」とある。私は、私たちの人生を語るのではなく、その始まりと終わりについて語りたいとも書いている。読んでいるうちに興味津々もっと先を読みたくなってきたのです。

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95歳に学ぶ僕なりの視点

あの日野原さんの「95歳からの勇気ある生き方」という本を読んでみた。僕には色々と反省点もあります。先ず早起きについて先生は早起きは三文の得で早起きの習慣はお金では評価できない価値があると言われる。そして早朝幹部会を開いていたことでサリン事件の時に対応できた良い例を述べておられる。おっしゃる通りで僕は今まで早起きだけは先生の言葉を実践してきた。でもトシとれば勇気ある朝寝もいいのではないかと思うのです。

先生は粗食で上手に年とれと言われている。肥満は健康上よくないことはわかる。古くから腹八分目と言われてきたが先生はさらに腹七分目にした生活をされている。反対に僕は腹いっぱい食べている。やはり一日の摂取カロリーを1300~1400キロカロリー程度に制限すべきと思う。このことは大学教授している息子も腹6分にしたらどうかと言ったことがある。でもこれは僕にとっては至難のことです。

年をとったらさっぱりした外見やセンスのよい衣服を身につけるように努力すること。つまりよい身だしなみをすることを先生は力説している。老人でも顔の形成手術をする人がいるらしいが僕はここまですることもないと思う。やはり身だしなみはトシとればトシとるほどに気をつけたほうがよいと思う。

意外と思ったことは日野原先生がプロ野球ファンだったことです。先生は山口県生まれの関西育ちで阪神フアンだった。ところがあることをきっかけで巨人ファンになった。それは巨人の内野手岡崎郁君の仲人をしたことが理由だった。私も長嶋邸や川上、王、原、篠塚などの邸宅を見てまわったり多摩川グランドでの練習風景を見たりしているうちに巨人軍フアンになってしまった。

先生が関西学院が母校だったということは知らなかった。関学は西宮の甲東園にキャンパスがある。私が甲東園に住んでいたころは毎朝の散歩コースがこの関学近辺でした。先生は関学の思い出を書いているが私にとっては関学はクリスチャンの学校で関関同立、どこも似たり寄ったりという偏差値で評価している。

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僕の散歩道、ナンキュウ公園

5時34分の気温は10.9度、湿度93%でした。ラジオ体操はN県議など43名が集まってきた。僕は最近、ちょっと明るくなってから歩くことにした。今朝はでっかい満月が西の空に輝いていた。そのために南部丘陵公園は明るく、もうこの時間帯になると散歩人がいる。たいていは年寄りですが犬づれの若い女性もいる。ラジオから芹洋子の「里の秋」や竹内まりやの「元気を出して」の曲が流れていた。7時に帰宅すると万歩計は1万歩ジャストだった。

南部丘陵公園は秋から冬の夜景が素敵です。僕はこの公園を省略してナンキュウ(南丘)と呼ぶようになった。南丘は南部ゾーンと北部ゾーンとに県道44号線で南北に区切られている。僕はめったに南へは行かない。ここでは北のほうが広くて散歩人も多いのです。キタとかミナミとか言いますと北朝鮮と韓国のようですが僕たちがラジオ体操をしている所は韓国のソウルのようなもので公園のど真ん中、ここから下り坂になって44号線です。

僕たちが毎朝6時半からラジオ体操する広場の隣が無人の特別気象観測所です。時間、気温、湿度、風速などがわかる気象電子掲示板がある。これを見に立ち寄る散歩人も多い。雄、雌2匹のライオンズ像の広場がある。この広場周辺一帯が南丘ラジオ体操会場です。つい先日この近くにある桜の木で若い女性が首吊り自殺しました。しばらく広場に近寄るのが怖かったが、ここは照明が明るく6時になれば行き来する人もいます。

南丘の夜景が楽しめるのは、秋も深まった今ごろから冬場です。東屋の所から75段の階段を登ると、ここから東方に見る四日市コンビナートの夜景は素晴らしい。さらに階段を下りて東屋から少し北東に歩くと、ここからもコンビナートや中部セントレア空港の夜景が楽しめる。近くに市民壇がある。市の中心部、諏訪公園にあった市民壇が平成7年にここに移設されて翌年、平成8年にステ-ジが完成しました。

これから冬場はここを歩きながら一人夜景を楽しむ。飽きてくると下の修景池をぐるり回って再びこの夜景が楽しめる高台へと歩く。東京にいたころは駒沢オリンピック公園が毎朝の散歩道でした。四日市に帰ってからはずっとこの南丘が僕の散歩道になってしまった。この公園は僕が東京からこちらに住むようになってから完成した。「僕のために作ってくれたありがたいパークだ」と思って感謝している。

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僕がパソコンオーナーを辞めたわけ

僕は2008年10月4日付けで四日市パソコン同好会というサークルのオーナーから自発的に突如身をひいた。会員数120人8クラブあって日永地区と四郷地区の2市民センターで6年3ヶ月にわたってサークル活動してきた。クラブの設立、ホームページ作り、講師さがし、会員募集と一人でやってきた。誰に相談することなくやってきた。そして突然に誰にも相談することなく辞めることになった。

ちょつと早い辞職。まだまだやれそうだが潮時があるように思った。それと嫌気がさしていた。場所は役所である。その公共の場所で市の管理しているパソコンを使う。従ってサークルが終了すると清掃、冷暖房のスイッチ点検、窓の施錠、パソコン保管ケースの施錠、そして鍵の返却です。また、サークル開催日は土・日だから役所がオープンしている時間にパソコン収納の鍵を借りておかねばならない。こうした小使い仕事は誰しも嫌がるものです。

各クラブに統括と事務局を置いた。しかし、この鍵の授受が面倒です。そんなことは最初からわかりきったことといえばそれまでですが官庁というところは融通がきかない。まあ色々とあって僕は77才という高齢も重なって今が辞める潮時だと思った。後のことなんか考えずさっさと辞めようと2ヶ月前から決行の日を模索していた。そして四日市パソコン同好会はこれからどうなっていくのだろうか。

四日市市は23地区に市民センターがある。東京23区じゃあるまいし多すぎる。11月に市長選挙がある。市長が代わればこの23地区市民センターがそのまま続くとは限らない。しかも、今あるパソコンは古くなって故障も生じるし使えなくなるときもやってくる。みんながみんな自分のノートパソコンを持ってくるわけもないし、講師だって3時間3000円ですから、そう簡単にはなる人がいなくなる。

今こそ引退すべき時です。そしてこれからは読書もしたいしアマ無線もしたいし、旅行もしたい。土曜日曜というときはスーパーのショッピングも行きたくなる。まあ、いろいろと総合的に判断して思い切って辞めることにしたわけです。僕には役所の一方的なやり方には耐えられないしこまめに人のお世話が出来る人間でもないし、さっさと辞めたほうがみんなのためになる。

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苦難の乗り越え方

僕はあの「オーラーの泉」で有名な江原啓之氏の著書「苦難の乗り越え方」を読んでいる。彼は1964年生まれだから僕より33才も若いが輝いて見え考え方に敬服です。苦難をどうとらえるか。この世のすべては因、縁、果の法則で成り立っている。信じていいものは自分だけと彼はいう。失敗や災難も自然に受け止めて人生を楽しむことですと書かれている。

人生讃歌です。何においても楽しむということがすごく大事である。 失敗も成功のもと、人生は失う、得るということの繰り返しだから、それを楽しんで受け止めることが大事である。何があっても「ケ・セラ・セラ」になること。艱難辛苦が降ってきたときに「つらい、苦しい」と思うな、これは自分自身へのプレゼントと思えと説いている。

絶対にしてはいけないことは人と比べることです。これほど時間のムダ、無意味なことはない。自分にないものを人が持っているとうらやましく思わないこと。隣の芝生は青く見えるものです。人と比べたらダメです。よく家柄をねたんだりするが名家に生まれたら生まれたで苦しみもある。この人の本をこうして読んでみると、僕はいい本にであったものだと思った。

病気、お金の悩み、トラブル、会社がつまらない、楽しい仕事がない、こうした執着を捨てること。これが苦難の乗り越え方ですと結んでいる。あの「ホームレス中学生」の本が売れて印税が2億円入ったという田村裕(麒麟)の自叙伝の話を聞いたことがある。おりしも夕方のテレビが「自殺者10年連続3万人」というタイトルで報じていた。東尋坊で飛び降りて自らの命を絶つ人が毎年20人もいるという。元警官が自殺しょうとする人を保護説得していた。

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身近に三浦氏を見た日

三浦和義容疑者がロサンゼルス市警の留置場でTシャツで首をつって自殺したニュースを知り驚いた。なんと新聞の号外まで出たという。私の古い日記によると「三浦和義」の顔を身近にみたのは、三浦ヒーバーも下火になりようやく世間の噂から忘れられたころでした。僕は東京地裁で平成4年(1992)4月28日、富士見産婦人科事件の民事を傍聴しょうとしたが満席だった。そこで何気なしに刑事裁判を傍聴することになった。

刑事事件の傍聴席は少なかった。入廷すると右手前席の三浦氏にぎょろりとにらまれた。その距離は約4メートルほどです。彼はこの人物は何者かと言わんばかりに僕を見つめていた。それもそのはず、僕は途中から入廷し傍聴席に腰掛けたからだ。彼は弁護人の前の椅子に腰掛けていた。しきりに後ろ席の女性弁護士と打ち合わせしていた姿が目に浮ぶ。弁護席はたしか、この女性弁護士とほかに3人ほどの弁護士がいた。

僕が練馬にいたころ三浦氏のロス疑惑は毎日、大きく報道されていた。それから何年かたち僕は目黒に移り住んでいた。僕はこの日は銀座で胸部レントゲン検査を受け終わってから新橋~有楽町~日比谷公園へと歩いた。日比谷公園のイチョウ並木のすばらしい風景をみてから東京高等裁判所に入った。あのとき、ぎょろっとにらまれた三浦氏の顔は今もわすれられない。

この日は火曜日で晴天でした。霞ヶ関から目黒の碑文谷に帰宅してから大岡山、緑ヶ丘、中根などへと散歩している。当日は晴天で2万歩ほどウォーキングしたと日記に書いている。今から16年半ほど昔のことがよみがえってくる。三浦氏は61才での自殺だったから当時の彼は45才だったのです。そして裁判を傍聴したときの僕は61才でした。61という数字にも因縁があるようだ。

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お金に支配されずに生きたい

今朝は孫たちの運動会の予定だったが弱い雨で中止になってしまった。早朝から弁当つくりしていた家内はがっかりしている。たくさん作ったお寿司や果物はそっくり孫3人の元へ。そして明日に順延になったので再びお肉やお寿司の材料、果物を買いに走る羽目になった。結局、雨のために運動会が2回もあったも同然におカネがかかってしまったのです。

カネによって人間が支配されているといってもよいこの世の中です。日本人4氏ノーベル賞でおめでたい話題と同時に金融危機が深刻さを増し、株安が止まらない。いま国内的にも国際的にも大きく揺れ動いて、日々混迷の度を加えている。ニンゲンがカネを支配する世界をつくり出そうとあせりもがいている。あせればあせるほど、もがけばもがくほど、カネの支配力は大きくなって、ニンゲンどもはカネにふりまわされている。

ワシントンで開かれているG7では金融システムの安定化には公的資金注入が必要ということで合意したようだ。僕は経済のことはよくわからないが、なぜ公的資金で不良資産を救うのだろうか。個人の損害は救ってくれないが破綻した大和生命のような大きな損出をだした企業は救わないと政府が苦しい立場になるのだろうか。

経済はよくわからないが、おりしも先進七ヶ国の財務相や中央銀行の総裁が世界経済の直面している諸問題について協議している。次から次へとカネが世界中を駆けめぐってむずかしい問題を生じているのを解決してほしいものだ。10月になって物価が値上げラッシュになり弱い人たちの預貯金が目減りし、生活は苦しくなってきた。

もうすぐ灯油を買わねばならないが今日は105円にちょっぴり下がっていた。1缶18リットルで1890円ですがまだ、もっと下がるかなあ~と思案の末に2缶、買ってきた。お金があればケチなことを考えなくともよいが貧乏人たるがゆえに生活防衛上、仕方がないことです。こうしてカネに支配されて生きている。せめて心のなかだけでもカネに支配されずにカネを支配して生きたいものです。

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物を減らすことに専念したい

このブログのタイトルはごらんのようにJA2KPR見聞記です。JA2KPRとは私のアマチュア無線局のコールサインです。世界に同じものが2つとないのがコールサインです。だからこのコールサインではJAは日本国で2は東海管内ということはわかります。見聞記はテレビ、ラジオ、新聞などで見たり聞いたりした私の手記、つぶやき、記録ということになります。

そのJA2KPRもアマチュア無線では、華々しい空中戦を展開してきた。空中戦といっても海外局といかに多く交信(QSO)したかです。若いころはDX局と交信し交信カード(QSL)を集めることに熱中していた。そのころはパソコンもケータイもデジカメもない時代ですから楽しみは趣味の王様といわれたアマチュア無線オンリーだった。さらにアマチュア衛星通信、パケット通信へと広げていった。そんなころは無線機器やアンテナも買いあさっていた。

ホームページを作成したいと思ったのは今から11年前の平成9年11月だった。そして完成したのは平成10年1月でした。当時はIBMのホームページビルダーVersion3でした。そのころは高価なビルダーでしたが僕はこの便利なものに頼らざるを得なかった。 あれから10年がたち77才になった今もホームページ作成は楽しいが、トシとともに記憶力はボロボロに低下し、製作意欲も下り坂です。

どんなに大事にしたものでも死ねば人間は万事休すです。僕は最近、思い切ってパソコンのサークル活動から引退した。喜寿を過ぎてぼつぼつゆったりとした日々を送りたいと思うようになった。好きな読書もしたいし旅行もしたい。そして少しモノを減らす時だと思う。どんなに大事にしていたものでも死ねばみんなゴミです。人生のエンディングにむけて、少しずつ身辺を整理しておきたい。これからはモノを減らすことに専念したいと思う。

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もみじマークの義務化に反対

今朝6時13分の気温は16.6度で湿度は96%でした。昨夜は巨人対阪神の野球をテレビ観戦していて就寝は11時になってしまった。まだ巨人が優勝するとは断言できないが一歩、優勝に近づいたことは確かです。一時は阪神に大きく差をつけられ今年は阪神かと思った。そのとき或る記者が原監督にぶっつけた。「もう、自力優勝はかなり難しくなりましたね」というような質問でした。むっとした監督は「それがどうした」と言い返していた。今になってその一言の意味が理解できる。

さて話は変わるが今朝の新聞に僕と同じ考えの記事が載っていた。それは75才以上の車に「もみじマーク」をつけることを義務づけたことによって起こるかも知れない別の不安です。もみじマークが貼られた車に対する犯罪が多発しているとのこと。高齢者であることを示して、つまり年齢をさらけ出して車は走っているのです。僕も罰則がイヤで仕方なしに貼っている。

高齢者とみて因縁をつける「当たり屋」の餌食となる恐れもあります。新聞には「もみじマークの後をつけ、生命にかかわる犯罪を誘発するようなことはないでしょうか」と書かれている。ここまではまったく僕が予想していたことが書かれていた。世間には同じことを考える人もいるものだと思った。犯罪が起こってしまってからでは遅いのです。

そして現に8月下旬に信号待ちしていたもみじマークの車に、後ろからつけていた車から降り立った男が乗り込み、押しつけまがいの商売を強要した事件が発生していた。「シルバー運転者なら金があるだろう」と脅されたらしい。このようにもみじマークをつけた車が格好のカモになることは、これからも十分予想できるのです。

もみじマークをつけていない車に対して警察は、やがて手厳しい罰則を適用することでしょう。いやでもつけねばならないもみじマークです。もみじマークの車をみて75才以上の高齢者だとわざとイヤがらせする人もいないとは限らない。もみじマークの車を表示していたがゆえに前後を不審な車にはさまれて当たり屋的な犯罪が起きそうです。もみじマークをつけたからといって高齢者の事故は防げるもでもないと思う。僕はもみじマークの義務化には反対です。

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本当に理解してくれるだろうか?

ドイツのKurtさん夫妻に送ったドイツ語のメールが無事届いたと返信があり嬉しかった。
これに気をよくした僕は再び次のようなドイツ語でメールを書いた。Kurtさんもドイツ語で受信したほうがよいだろうしこちらも、わざわざ英文で書くこともないと判断したからです。
ドイツと日本では時差8時間です。ドイツへ楽々メールが送れるようになったら僕にとっては夢実現です。
今まで書きたいことも書けなかった。それが翻訳ソフトでいとも簡単にメールが書ければ本当に嬉しくなってくる。
アマチュア無線交信よりも楽しく且つ画像まで送れるから最高です。
スカイプもよいが言葉が苦手な僕にはこのほうがいいのです。でも、このドイツ語、ほんとうに理解できるだろうか。
大丈夫だろうか。 まあ、文章が関西弁でもなんでも向こうにうまく伝わっていればいいのです。世界中にいるアマ無線局とメール交換してみたい。
Eine E-mail von liebem Kurt & Ilse heiratete Ehepaar, daß Ihnen ist sehr nett.
Ich kann Deutsch in Japanisch übersetzen.
Ich E-mail es in Deutsch wieder.Es ist ein herrliches Foto.In Japan wird so eine Landschaft nicht gefunden.
Sorgen Sie sich nicht in dem, was ich hier übersetze, auch wenn ich Sie es mir von Ihnen in Deutsch schicken lasse.
Um deutsch zu sein ..... wird sein, sich schon in Herbst vertieft zu haben.
Die Temperatur von 5:40 war diesen Morgen ein wolkiger Himmel bei 16.1 Graden Yokkaichi in dieser Stelle.
Ich bummele jeden Morgen in dieser Zeit im Park.
Mineko der Frau geht mich allein in den Innere, der fest schläft.
Ich bummelte in 15.000 Stufen, aber werde ungefähr 10,000 Schritte jeden Tag, als es Winter von jetzt auf ist.
Es ist ein Hobby, daß die Frau Fernsehen bewundert.Ich schreibe jetzt eine E-mail an Sie ins gleiche Zimmer.
Es interessiert die meist der Klänge vom Fernsehen nicht.Ich bin vollständig benutzt worden.
Ich sehe auch auf verschiedene Weisen fern.Ich schätze heute abend professionellen Baseball von 18:00.
Mein Gunstteam ist Yomiuri Giants.Heute abend konfrontiert ihm Hanshin Tigers vs. der Yomiuri Giants.
Ich bin wirklich froh wenn Yomiuri Giants Gewinne.
Es sieht wie es aus; wenn es folgt, ist das gut, wird Sie wieder morgen informieren.
Ich mache es E-mail nicht, wenn Yomiuri Giants verliert.
Beten Sie bitte für Yomiuri Giants, der darin gewinnt, zu Gott ......
Dann auf Wiedersehen.

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僕の賞味期限

賞味期限がうっかりしていたら切れていた。そんなことがよくあります。酢、蜂蜜などが買ったままになっていた。ピュアとかウエルネットという自然食品のお店で買ったものです。何しろ安く買ったものが机の上にでかんと置かれたままになっているのです。安く手にいれるとこのように駄々草に扱われます。作った日があれば、どんなものにも賞味期限はあるはずです。

先日、テレビで有馬稲子の話を聞いていた。「老後は身軽に」するほうが良いという話だった。有馬稲子流の小さな暮らし3ヶ条とは①しまいこんだものはいらない。②気長に楽しむ。③ものは少なく心は豊かに。なるほどと思った。彼女は大きな豪邸に住んでいたが今は小さなマンション暮らしに変えたという。P1010021s

なんでも欲深く貯め込む習慣の僕にとってはいい教訓です。ものを捨てることはもったいない。戦時中の物資欠乏したころに育った僕はものをそう簡単に捨てきれないのです。有馬流にものは少なくしたいものです。だったら捨てるものは最初から買わなければいいのだ。そんな簡単なことが出来ず、ついどんどん買ってしまう。だからモノがあっという間にふえて賞味期限が切れた事も忘れている。

生まれてきた人間にも賞味期限があるだろう。トシとってボケてきた。昨日のことでも今日になるとすっかり忘れている。する事が多いのではない。簡単なことでもメモしておかないと忘れる。メモした用紙がどこかえ消えたこともある。喜寿を過ぎてますますボケが始まっている。人間の賞味期限切れはいくら頑張ってもどうしょうもない。僕の人生の賞味期限はもうとっくに過ぎている。だからじっとしておれない。すばやく対応しなくちゃ。

アマチュア無線局の免許が来年4月4日に切れる。これだけは再免許申請することにした。JA2KPRというコールサインは永久保存にしておきたいからです。アマチュア無線局JA2KPRはお金では買えない僕の財産なんです。こればかりはさっさと捨てることが出来ない。昔のように面倒な無線局事項書も工事設計書も不要になって簡単に再免許申請ができるようになった。役所も、こうしてなるべく無駄を省けばよい。

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嬉しいドイツからのメール

ドイツのデトモルトに住むKurtさんからメールと写真が昨晩、届いた。2週間もバルト海のヴストロヴビーチで長いバカンスを楽しんでおられた様子です。2週間は日本人からみたら長いバカンスと思うが彼にとっては短いようです。私たち日本人はトシとって仕事から解放されてもなかなか長期旅行はできません。Kurtさんは元ドイツ空軍の教官でした。私よりずっと年輩で、たしか85才です。ハンブルグに娘と孫が住んでいて、バルト海方面のバカンスによく行かれるようです。彼とはアマチュア無線の電信で交信してから知り合った。それからずーと長いつきあいです。ドイツ語でもなく日本語でもなく英文ですが私はこれを翻訳して返事を書くのに時間がかかります。でもKurtさんの便りは嬉しく今か今かと待つようになりました。

Guten Abend liebe Freunde Alidoro & Mineko

Good evening dear friends there in Yokkaichi
I hope that your both are keeping well and family is good.
Now I have a moment rest to write you.
We are back fom our short trip there on baltic sea since two weeks.
the town called Wustrow exactly near the beautiful
beach there I could go to bathe.the water was very cold only
16 centigrad the wave sometimes very strong.
The area there is very interesting naturale village and in the near
are the resting place for many thousend birds of crans.
there the crans find food for the fly to spain or africa.
we wait here when the crans fly over Detmold.
The weather here is raining and cold,the trees lost foliage.
all for my dear friends,have a nice day
Auf Wiedersehen..........Sayonara
Kurt & Ilse    (写真はKurtさんご夫妻とバルト海のヴストロヴビーチ)
Wustrow16s Wustrow22s

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僕の生き甲斐で夢だった

僕は昨日でサークルのトップ役員を引退した。もっともっと早く辞めるべきだったがなんやかんやで遅れていた。ねんごろに6年3ヶ月かけて作った四日市パソコン同好会は僕にとっては生き甲斐で夢だった。先ずサークルの場所作りで前途真っ暗になったこともあった。パソコンが拝借できて尚且つインターネットができるようになってから会員はどんどんふえた。

会員がふえると講師をさがすのに一苦労した。なかなか講師はみつからず縁故をたどって必死にお願いした結果、みんな安い謝礼でも引き受けてくれました。こうしていい講師にも恵まれ今では120名の会員を4人の講師でやってもらうようになった。120人を8クラブで均等割りにすれば15人。講師1人で15人を担当しますから4人の講師で大体いいわけです。

講師はベテランの熟年がよい、若い人もよい、女性講師もよい、ということを念頭にさがしサークルにふさわしい陣容で同好会は、大きな事故もなくやってこれました。でも、大波、小波はありました。センターの館長に叱られたこともあった。公用パソコンを落下させ壊して全額弁償してほしいと言われたこともあった。そのほかパソコンの保管キーを受けに行ったり終わると返却にいったり、余分なこともせねばならない。

まあ、得することは何もなかったが、最後にお別れの挨拶をしたとき、いつも僕に反抗的だった人が拍手してありがとうと言った。それがとてもうれしかった。僕も「ありがとう、お世話になりました」と言うのが精一杯で涙をぐっとこらえた。寝てからもその人の顔が浮かんできた。まあ僕のようなものでも気力だけでやってきた。みんながこれからもっともっと楽しい雰囲気でサークルを楽しんでいただけば本当に僕はうれしい。

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負けちゃった

とうとう中日に負けちゃった。1点差でも負けは負けさ。ただちらっと調べてみると阪神がヤクルトと2対2になっていた。6回だからこの先どうなることかわからないが阪神とて、ここにきてちょっと元気がないようです。明日があるさ。巨人は明日の試合にかける。

グライシンガーもよくやったが山本昌も久しぶりの登板で頑張った。今日は何も言うまい。中日だって、あのクセモノが復帰したしどうしても今日は勝ちたかったのです。クルーが一発に沈んだのは、あのおばあちゃんのご機嫌がちょっと悪かっただけ。

まだまだ10月8日のGT決戦が楽しみ。小笠原、ラミレス、慎之介、坂本の一発に期待して今夜は阪神の結果はどうなっていてもいいのです。でも明日の新聞はみたくない。スポーツニュースも聞きたくないのです。

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スカイプで交信した中国の女性たち

5時30分の気温は13.2度で湿度は95%になっていた。これからは、この時間帯に歩くことにした。だんだんと寒くなってくるから無理することもあるまい。一日1万歩を歩けばよいのです。このトシになって若いころと同じように歩くのもよくない。トシ相応に歩けばよいのです。

さて、少なくとも一日に3人以上の人と話するようにしょうと思う。ラジオ体操が終わって帰途につく僅か5~6分の間に中国河南省少林寺の近くで生まれた劉尊立さん(63才)にインタビューした。日本に来て20年とのこと。まだ少し日本語があやしいが話は充分通じる。先ずは挨拶程度で「バイバイマタアシタ」と言って別れる。

私はスカイプで中国の若い女性と相手の姿、顔を見ながらいろいろと話してきた。中国の人はなぜか年輩者には「○○先生」と呼んできます。それに気を良くして調子にのって話すと先生、先生といって相談ごとにのってくれという。日本の企業向けの挨拶文を書いている女性から「この文章を見て悪い箇所を訂正してください」と言われたこともあった。

王美娼さんという女性から写真も送ってもらったこともある。蘇州の理奈さんは当時21才だった。スカイプ名、寒露さん、宮小嵐さん、桜ちゃん、温州の桜花さんなどなどの顔が今も浮かぶのです。スカイプで1時間2時間と交信しているといろんなことがわかってくる。中国では仕事中でもスカイプで呼んでくる。まあ、いろいろと事情があって心許して話をしてくる若い女性の話を聞くのも悪い気はしない。

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秋の日はつるべ落とし

今朝、5時50分ころから公園へ出かける。6時12分の気温は12.2度で湿度は95%でした。2日ぶりの晴天で35名ほどが集まってラジオ体操をする。N県議も参加していた。終わってから自治会のO副会長とお祭りの行事の事など聞きながら帰途につく。久しぶりに駅前の百貨店へでかけお菓子類を買ってきた。美味しいそうなものを見たのが運のつき、買わずには帰れないのです。「赤福」ゃ「桑名の時雨」を東京へ宅急便で送る。昼食後、睡魔に襲われ午睡をとること1時間ほどで頭がすっきり回復した。

「秋の日のつるべ落とし」と言いますが夕方6時には、もう暗くなっています。真っ暗です。5時から6時へかけてはあっという間に日が暮れていきます。僕は子どもの頃は外遊びばかりしていた。真っ暗になるまで遊んでいたものです。6時には我が家では夕食です。早く食事すましておいて、後はゆっくりテレビを見るのが楽しみです。特にこれからはプロ野球から目が離せられません。

きょうは桜井よしこ氏の「世の中意外に科学的」とう本を読むことにした。私なんか科学に縁遠く、なぜこの本を読むことになかったかというと桜井さんの人柄というか、この人の話しぶりも好きで、この本を読むことになった。桜井さんの本は何かが伝わってくるのです。今夜にかぎって野球中継もないし昼寝をしたおかげで秋の夜長を読書で楽しむことになった。

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GT決戦の日が楽しみ

セ・リーグは2位の巨人が勝ち、首位阪神とのゲーム差を0.5とした。そして広島がヤクルトに敗れたため、3位中日のクライマックスシリーズ(CS)マジックは5になった。そして今日から中日は関東遠征5連戦である。阪神も3日から8日まで関東遠征6連戦です。先ずヤクルトと4連戦、その後、横浜とやってから8日に東京ドームで巨人と直接対戦する。阪神はこのロードで一気にラストスパートを決め込み巨人から逃げ切ろうとしている。

阪神は新井の復帰で打線は上向きであるが、かたや巨人もラミレス、小笠原、イ スンヨブ、阿部、ヨシノブの好調打線が爆発すれば、かなり有利です。「10.8」が優勝の行方を決する大一番になりそうだ。まさに天王山である。巨人はグライシンガー、上原、高橋、金刀の先発と、越智、山口らの中継ぎ、豊田、クローンの抑えが活躍すればかなり有利。阪神は下柳、安藤の先発とウイリアムス、久保田、藤川の抑えがどこまで頑張れるかである。

そして阪神も中日も遠征5連戦、6連戦になるから、これが微妙に左右する。巨人は4日、5日に中日との連戦をうまく勝てば中2日休んで「10.8」決戦にのぞめるから、かなり有利です。4日と5日は午後2時から東京ドームで巨人戦です。山本昌、川上、岩瀬の出来次第では巨人は苦戦を強いられることになるだろう。

今夜の京セラドームでのソフトバンク対オリックス戦をテレビで見ていた。4番清原が2塁打を打った。清原の引退試合にイチローが観戦している。何度も清原に拍手を送っていた。桑田真澄も来ていた。「清原、23年間の勇士忘れません」というフアンの 字幕も見られた。こうした声援が後押ししてオリックスが4対1で勝利をおさめた。 終わってから清原の引退セレモニーが見られた。P1010007s_3

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