5時52分の気温は2.7度でした。ラジオを片手に広い南部丘陵公園を歩く。一青窈の「はじめて」という曲が流れていた。今朝も浜松市から帰郷してきた一家がラジオ体操に来ていた。小学生たちは元気に体操をしていた。みんなの出席表にサインする。9時から買物にスーパー2店をはしごした。
本日限り灯油が1リットル当り56円という。1缶(18リットル)1008円です。これ以上は安くならないと思ってとりあえず4缶72ℓ買って来た。10月末で1ℓ112円だった。そして11月1日では1ℓ74円になり、11月19日から1ℓ69円と下がったのです。そしてとうとう年末56円まで下がった。でもこれ以上は下がないだろう。
メ~テレで年末特別番組「世界の村で発見 ! こんなところに日本人」をやっていた。僕はこのような番組に興味がある。マサイ人と住む日本人女性を訪ねたのは千原せいじ。極寒氷点下38℃の北極圏の町に暮らす日本人を訪ねたのは城咲仁&猫ひろし。そして南米・世界最南端に住む85歳の日本人女性を訪ねたのは堀越のり。
「マサイ族の村にたった1人で住む日本人女性」の話。マサイ・マラまでナイロビからバスで約7時間。小型バスに乗り込んで、マサイ族の集落に向かう。途中のバス停からは、鶏を持ち込む人も乗り込んできて、さすがのせいじも度肝を抜かれた様子。それでも持参したお菓子を皆に振舞ったりと、バスは大賑わい。
マサイ族の村は、同じ村でも集落がいくつもあり、日本人探しは難航。もう、これまでかと思ったとき、1台の車が止まっているのを発見。近づいてみると日本人女性、滝田明日香さん(age32)の獣医だった。彼女はナイロビ大学獣医学部に入学し獣医になった。こうして千原せいじはアフリカの大自然を満喫した。
次は「極寒氷点下38℃北極圏の町にくらす日本人」の話。カナダのイヌビックという町は極寒の地。城咲と猫は、日本から飛行機で15時間かけてカナダのホワイトホースという街に着く。到着するなり、マイナス1℃の寒さに「体が痛い」と音を上げる2人は、早速イヌビックを目指して再度飛行機に乗ろうとするも、1日に1便しか飛んでおらず、まずはホテルで1泊。
翌朝、改めて空港に向かい、飛行機には乗れたものの、今度は新たなトラブルが。目的の空港には到着できず、途中の町、ドーソンシティに降り立つことに。何とかしてイヌビックに向かおうとする2人は、慣れない英語を使ってレンタカー屋を探すが、「ない」という答えが返ってくるのみ。
あきらめかけていた二人に、まさかの幸運が。そしてやっと、日本人男性が住むというイヌビックに到着する。人口3500人の町で、「日本人を見たことがあるか」と聞き込む2人だったが、日本人に関する情報はなかなか見つからない。
寒風吹き荒む中、何とか手に入れた地図を頼りに、2人は日本人が住んでいるという場所へ向かう。そして遂に日本人の小泉英昭さん33歳と出会った。彼はなぜこんな所に住んでいるのだろうか。彼はキャトリンさん平成18年に結婚していた。可愛い子どももいた。また、地球の偉大さを体感できるオーロラの映像は素晴らしかった。
「世界最南端の地にたった1人で住む日本人女性」に会うために堀越のりが向かったのは、南米アルゼンチン。本人曰く「生まれて初めての遠出」は、30時間かけて首都ブエノスアイレスにたどり着く。タンゴが街にあふれる情熱の国は、日本とは逆で、今は夏。
「寒い」と思い込んでいた堀越は、30℃という予想外の暑さに思わずビックリ。早速、ブエノスアイレスを散策しながら情報収集する。現地の人が飲む健康茶、苦いマテ茶を飲んだりしながら、日本人女性が暮らす世界最南端の町、ウスアイアへの行き方を聞き込みする。
目的地であるフェゴ島のウスアイアという町までは、飛行機と長距離バスで行くといいという地元女性のアドバイスに従い、堀越は飛行機に乗ってリオガジェゴスへ。しかし、空港に到着したとたん「寒い、寒い」を連発。それもそのはずで、ブエノスアイレスとリオガジェゴスは、北海道と沖縄ぐらい離れているのだ。
早速バスに乗ろうとする堀越だったが、なぜかバスの前面にはフェンスがついていて、何やら前途多難な旅を予感させる。バスは、何もない広大な大地をひた走る。「景色が何も変わらない。人の気配もないし家もない」と少し不安げになってくる堀越。途中チリとの国境を行き来しながら、バスごとフェリーに乗ってマゼラン海峡を渡る。
フェゴ島に入ってからも、バスは舗装されていない道を進むだけ。ウスアイアの町に着いたのは、日本を出発してから70時間以上経ってのことだった。海岸には、子育てにやってくるマゼランペンギン。世界最南端であることを感じさせる風景がそこにはあった。
早速、日本人女性の家を探す堀越。住所を書いた紙を手に、堀越のりは聞き込みをしながら女性の家を訪ねていく。ウスアイアは人口約7万人の町だった。上野綾子さんは85歳だった。昭和38年にアルゼンチンに移住したという。ご主人の信隆さんとアルゼンチン各地を転々としたという。
堀越のりが「なぜこんな遠くにたった1人で住んでいるのか」と聞くと昭和57年にウスアイアへ移住し夫婦で上野山荘を始める。ところが平成14年に信隆さんが他界した。私は主人と二人で始めた思い出が詰まった大切な場所で死ぬまでいますと綾子さんは心温まるエピソードを語っていた。
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