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三重・尾鷲の旅

rain今朝は雨もあがっていたがラジオ体操は家で家内と二人ですました。昨日の午後から降り出した雨。夕べはまとまった雨が朝まで降り続いたが朝食のころから急速に晴れてきた。7時56分の気温は10.9度湿度は78%で風速3.8mでした。

shock名古屋テレビの人気旅番組「ウドちゃんの旅してゴメン」を見た。新聞には尾鷲市熊野灘の恵みと優しさ再会に感激と書いてあった。

fish三重の尾鷲を旅してゴメン!ぶらり町を散策していると、電柱に気になる看板発見した。“葉っぱがシェフ”?お店を見つけて近づいてみると、お店のご主人と玄関先で遭遇した。

restaurantその日は定休日でしたが、特別に地元の食材を葉っぱで蒸した料理を作っていただくウドちゃん!次に、新鮮な海の幸を探し豆狸さんへ向かいます。ここで様々な種類のお刺身を堪能する。

sign03お店のご主人に、お刺身に飾ってある菊の花はツマであると聞き、丸ごと食べてしまったウドちゃんでした。

sprinkle商店街でオススメを尋ねた。そして昔の番傘やで5年ぶりに再会する。番傘さして2人ともお似合いです。懐かしい再会にこころや癒されたウドちゃん。 海と山が一緒に見える露天風呂に入った。山がこう霧というか雲が立ちこめる感じでまたこれもいいもんですね。

wave尾鷲の深海415mから取水した海洋深層水のお風呂はアルカリ性と酸性2種類の露天風呂が楽しめます。ここ夢古道の湯は筆者も昨年訪ねたことがある。熊野古道センターの近くにあった。

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久しぶりに真紀子節を聞く

night4時52分の気温は8.2度で湿度は72%でした。寒中にしては温かい朝です。ラジオ体操が始まるころは8.5度になっていた。24名が体操に来ていた。散歩中、ラジオから真理ヨシコの「アニー・ローリー」や小田和正の「真っ白」の曲が流れていた。

appli02「麻生内閣の惨状は国民の誰もがあきれ返るほどだ」。田中真紀子元外相が29日の衆院本会議で初の代表質問に立った。田中氏の「爆発力」に期待した民主党が、無所属の同氏を起用したもので、久しぶりに下記のように「真紀子節」をさく裂させた。

one日ごろスタイルを気にしておられる麻生総理には即刻、潔い引退を表明されるほうがよろしいと存知ます。各種世論調査によりますと数字に若干の違いはありますけど麻生内閣に対する不支持率は80%不支持は80%台に急増しその惨状は日本国民の誰もが改めてあきれ返るほどでございます。

two他方つい数ヶ月前自らが望み恋い焦がれて就任した内閣総理大臣という重職をいとも容易に唐突に放り出した福田康夫前総理大臣やまたその後の前例を作り世間の冷笑を浴びたばかりの安倍晋三元総理のご機嫌が最近なぜか富に麗しいということに皆様お気づきでしょうか?

threeかって内閣総理大臣や閣僚といえばそのすべてが兼直高潔の氏であったとはいえないまでも威厳があり国民から尊敬される存在でありました。しかし現在、このひな壇に並んでおられる方々からは残念ながら志の高さとか発信力のかけらも感じられません。

four予算の成立これは内閣にとっての一大事に対する認識の欠如で唖然としたのは私一人ではなかったと存じます。こんなところにも政権末期の麻生内閣のゆるみが露呈していると感じました。

five更に昨日午後の施政方針演説は各省庁が持ち寄った材料による寄席木細工のようで空疎な言葉の壮大な羅列という印象を受けました。私たち国民サイドからすると、あなたはあまりに楽観的すぎて、かつ逃げているというのではなくて、はぐらかしすぎているだけな人です。

six「各省庁が持ち寄った寄せ木細工のようだ」と首相の施政方針演説をこう切り捨てた田中氏は、首相の政権運営にも言及した。「(衆院を解散せずに)醜態を天下にさらすことは、日ごろスタイルを気にする首相には似付かわしくない」とし、「今のままではただ高そうな背広を着ているおじさんのままで終わってしまう」と挑発したのです。

sign02これら対し首相は北朝鮮の拉致問題などに関する質問に「拉致被害者の一刻も早い帰国の実現に向け全力を尽くしている」などと答弁し肩透かしを食わされた格好の田中真紀子氏は本会議後、「役人が書いた文章を踏襲している」と不満そうに記者団に語ったと言う。

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現役東大生タレント

note5時12分の気温は2.5度で湿度は94%でした。今朝もラジオを片手に広い公園を往来した。ラジオから土居裕子の「冬の星座」や大塚愛の「愛」の歌声が聞えてきた。ラジオ体操は25名が参加していた。まだまだ寒くて冬ごもりのメンバーも多いのです。

sign02先日、朝日新聞のおやじを語る「おやじのせなか」欄にでていた八田亜矢子はときどきテレビで見るがまだ大学生だった。それも東大生とか。さらに調べてみるとミス東大生でもあった。

up理科Ⅰ類が工学部で理科Ⅲ類は医学部だから理科Ⅱ類と言えば理学部か農学部かと思っていたら健康科学・看護学科となっていた。一体この学科を出るとどんな職につくのだろうか。看護士か理学療養士だろうか。東大では駒場の教養学部で進振り制度があり、2年間の成績次第で本郷での専門学部が決まる。

bagミス東大にも選ばれ芸能界でももてもてのようだが、芸能界の仕事が忙しくて留年したと書いてあった。そりゃそうだろう。「二兎追うものは一兎も得ず」というから現役東大生タレントも悩むことだろう。進振りで希望の学部学科に進学できなかったら悩むのも当然と思う。教養学部の2年間しっかり勉強したものが結局、いい学部学科に進むからだ。

bud彼女の出た桜陰中は中高一貫の超有名女子校である。ところが彼女は桜陰高校にはなぜか進学しないで筑波大付属高校に入学している。桜陰で6年頑張ったら東大に入れる確率が高いのにわざわざ筑波にしたのも、このあたりで何かあったのかもしれない。

happy01大学を卒業したらキャスターとかリポーターとか物事を伝える仕事につきたいという。まあ他人のことでどうでもいいことだが芸能界で有名人になるのも一つの選択かと思う。美人で頭脳明晰だからさぞかし成功するに違いない。

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教師が生徒の指紋採取したことに思う

chick5時29分の気温は氷点下1度で湿度は91%だった。いつものことながら6時27分では氷点下2.9度まで気温は下がっていた。ラジオ体操は20名が参加した。散歩中、ラジオから内田裕子の「冬の夜」やハナレグミの「家族の風景」という曲が聞えていた。

sign01さて拙宅からも近い海星高校で紛失物の盗難を疑った担任の教師(57)が、生徒の指紋を集めていたことが分かりNHKニュースやみのもんたの朝の番組、ミヤネヤの番組でも報道された。この教師は紙を渡し、生徒一人ひとりに指紋を押させ、クラスほぼ全員の23人分を取っていた。

enter海星高校によると、1年の男子生徒が去る1月21日、体育の授業中に貴重品袋に入れていた携帯電話からメモリーカードが盗まれたと申し出た。担任の男性教師はクラス内での盗難事件と疑いましたが、誰も名乗り出なかったことから、一部の生徒を除く23人に紙と朱肉を回し、指紋を押させた。

sign03海星高校の西田校長は「盗難問題を早く解決したかった。指紋を取って調べれば、いずれ分かるんだから、早く言いなさいということでやったそうです」そして男性教師は、「生徒の指紋を警察などに出すつもりはなかった」と話していた。

bud学校は処分を検討するというがこの教師はいつもこんなことを考えていたとしたら人権軽視も甚だしく問題ですが、単なる脅しでやってしまったようだから厳しく処罰するのは可哀想です。父兄たちの意見も聞いて穏便にすましてやってほしいと思う。

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世界街歩き

Dubrovniks 5時32分の気温は1.5度で湿度85%風速1.6mでした。6時25分には氷点下0.5度になった。散歩中ラジオからタンポポ児童合唱団の「とんび」や、ゆずの「飛べない鳥」という曲が流れていた。そしてラジオ体操は25名が参加していた。

世界ふれあい街歩き」ドブロブニク編を見た。昨日の月曜日の夕方45分間、放映されたのです。この番組ははじめて見た。僕にとっては大変興味ある番組でこれからも見たいものです。

ドブロブニクはどこにあるのか古い世界地図ですが載っていた。ところが僕の世界地図によるとユーゴスラビアになっている。昔はユーゴスラビアだったんだ。僕はユーゴスラビアとアマチュア無線で交信していたことを思いだした。

よくよく昔のログで調べてみるとユーゴスラビア(YT)とは4局、クロアチア(9A)とは6局と交信していた。そして確かにQSLカード(交信証)も届いている。それだけに大変懐かしく思うのです。

クロアチアのアドリア海に面している。赤い瓦の屋根と石畳の坂道が多いところでテレビで見ているうちに行ってみたくなってくる。でも、言葉が通じなくては楽しい旅行も半減するに違いない。世界でも珍しい女性版「小便小僧」も見られた。

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なにごともホドホドがよい

note今朝も3時過ぎから「にっぽんの歌こころの歌」歌謡スター・思い出のヒット:前川清集をベットで聞いていた。東京砂漠、長崎は今日も雨だった、花の時・愛の時、そして神戸、中ノ島ブルース等の曲が流れていた。

happy015時28分の気温は氷点下2.9度で湿度93%でした。それから1時間後の6時28分では氷点下3.2度になった。ラジオを聞きながら暗い公園を歩く。川田正子の童謡「春よ来い」やMISAの「約束の翼」の曲が聞えていた。ラジオ体操は22名が参加していた。

down古新聞を再生ゴミに出すべく整理していたらコラムニスト天野祐吉さん朝日新聞の「CM天気図」にこんなことを書いていた。「なにごともホドホドがいい。風呂の湯加減じゃないが、いいかげんがいちばんだ。

cherryこの半世紀、ぼくらは働きすぎた。豊かさを測るモノサシは、カネ尺だけじゃない、ヒマ尺も必要だ。職を失うのはもちろん困るが、働きすぎもいい加減にしなくてはいけない。

sign05ヒマができれば、乾きがちな自分の心に水やりをするゆとりもできるし、仕事を分け合うワークシェアリングだってやりやすくなる。

appleそれじゃ食えなくなるというのもわかるけれど、ここはひとつ、「おてんと様と米の飯はどこへでもついてくる」という昔の人の言葉を信じるしかないだろう。

t-shirtヒマすぎるのも考えものだが、ヒマ人がいないような世の中は、とかくギスギスして、ロクなことはない。

up何事もホドホドがいい。僕も本当にそう思う。いい加減がいいのです。働きすぎもよくない。適当に中庸を行くのがいいのです。

book城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。この本は妻の容子さんがガンで倒れる前年から自身が世を去る3ヶ月前までの9年間に綴られた感動の記録でした。僕たちはもう、余生いくばくもない。死んだらなにもかもなくなる。そして、あちらへはみんな手ぶらで行くのです。

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青空文庫活用法

music5時39分の気温は氷点下3.8度で湿度は89%でした。ところがラジオ体操が始まる時間になると氷点下5.1度まで下がった。ラジオ体操は19名しか集まらなかった。今朝もラジオを聞きながら広い公園を歩く。「クリスタルの恋人たち」や重実徹の「青い影」の曲が流れていた。

upきょうの「朝日新聞てくの生活入門」に青空文庫で入手困難な文学作品を読む。ネット図書館活用法が載っていた。
happy01新聞に書いてある「青空文庫」とは何かと検索してみた。青空文庫は、著作権の消滅した作品や、著者が「自由に読んでもらってかまわない」として作品を、パソコン上で無償で読めるインターネット電子図書館です。
 
club芥川龍之介や夏目漱石など、著作権の切れた著名作家の主要作品が網羅されています。また、絶版作品や市販本に収録されていない入手困難な作品を読めることから、本好きな人や研究者に重宝されています。
down青空文庫には、7千以上の作品が登録され、1日あたり1万を越える人が利用しているそうです。青空文庫のサイトからすぐに自分のパソコンに電子化されたファイルをダウンロードできる。
heart01図書館で捜す時間がない場合などは、青空文庫はありがたい存在です。直木三十五の「南国太平記」も青空文庫では簡単に入手できる。
cherry「azur」というソフトを使えば、縦書き表示で快適に読める。しかしこの場合30日間の試用期間後も継続して使用する場合は税込み2100円の登録料金が必要ですと書いてある。無料のソフトがよい場合は、「azur」と同じボイジャーという会社が開発した「T-Time」や、フリーウエアの「smoopy」や「PageOne」がよい。
tulip青空文庫で入手困難な文学作品も読めるとはこれは朗報です。僕なんかここ10年、市の移動図書館を利用してきた。朝日新聞が書いたネット図書館活用法は僕にとっては朗報である。何はともあれ青空文庫にアクセスしてみょうと思う。

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こんな本に出会った

cherry3時台「にっぽんの歌・こころの歌」をベッドの中で聞いていた。追悼・フランク永井と吉田正の歌で「有楽町で逢いましょう」「東京ナイトクラブ」「おまえに」「フランス航路」「公園の手品師」「ラブレター」「東京しぐれ」等の懐しいムード歌謡を楽しむ。吉田正のメロデーで「異国の丘」「いつでも夢を」「美しい十代」も聞えてきた。

run5時2分の気温は2.6度で湿度は60%で風速は4mほどだった。昨日は3月下旬ころの暖かさだったが今朝は一転して寒くなった。ラジオから「赤い花」や「山口さんちのツトム君」や吉田栄作の「心の旅」やチャイコフスキーのワルツが流れていた。「虹と雪のバラード」も聞えてきた。今朝も寒中ラジオ体操に22名が参加していた。

heart04午後は直木賞作家、高井有一の著書「夢か現か」を読んでいた。僕の書斎はテレビの音声も聞えてくる。後ろをふりむけばテレビが見える位置にある。でも、すっかり慣れっこになってしまってあまり苦にもならない。高井さんは僕とほぼ同年代の人です。

crown昭和30年代について、高井さんは暮らしは貧しいが心は豊かだった時代で老いも若きも未来に夢を持てた時代と囃す声を聞くと、私は何だか落着かない気分になる。あのころがもはや、古き良き時代になってしまったのかと懐古する。

tulip新制大学を卒業してやっと社会人になったころです。昭和30年代のあの頃、町の家並みは押しなべて屋根が低く、空は広かった。高井さんは昭和7年生まれ。僕は昭和6年生まれ。30年代が「貧しく暗く寒かった」という実感はない。そして本当にに「貧しく暗く寒かった」20年代、特にその前半は、懐かしいなんてまったく思わないという。

apple「夢か現か」を僕は一気に読み耽った。僕が本を選ぶには何か面白いことが書いてないか先ず目次に目を通す。好きな季節の終わり、わが郷里、老いてゆく、いやな感じ、友情について、ささやかな文学散歩、人を想う心情、身近な生と死、日記にみる時代の色、玉音放送の周辺、お国のために戦った兵士、冬の終りに、吉村昭さんの死などの目次にひかれた。

wineそれもそのはず、この本は「筑摩」に36回連載されたものだった。いい本に出会ったものだ。そして同年代を生きてきたものとして親近感もある。こんな随筆集が僕は好きです。

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みんな夢持って生きよう

rain5時39分の気温6.9度で湿度は99%でした。温かくて少ししぐれていた。ラジオからタンポポ児童合唱団の童謡「きしゃ」やスキマスイッチの「冬の口笛」やエンドレ・ヘゲドシュの「愛の夢」が流れていた。午前中は晴れて温かかったが午後からにわかに曇ってきた。

happy01昨夜は日テレのモクスペ(Special on Thursday)を見ていた。紳助VS100人の子ども達、 親の知らない仰天世界ドキドキ初体験SPで2時間を楽しむことができた。いまどきの子ども達はわれわれの子ども時代とはまったく違う。

apple「恋」や「友情」「ケンカ」「試練」など、子どもたちが初めて味わう”ドキドキ体験”に密着していた。管野圭祐君は8歳で63kの巨漢だった。お父さんは迷わず「将来の横綱」を夢見て、わんぱく相撲道場へと入門させた。

shoeしかし、体は大きいのに泣き虫なのが玉にきず。連日の厳しいけいこに泣いてばかりで、実力もそれほどではない。そんな圭祐君に好きな人ができた。クラスのマドンナ的存在のミナミちゃんだ。そのミナミちゃんと「次の大会で優勝する」と約束してしまった。

bud旅芸人の子は2ヶ月ほどで学校を変わる。親友がなかなか出来なかったが友達が村の祭りに誘ってくれた。嬉しくて芸のセリフを覚える時間もなくなるまで友達と遊んでしまった。そして父に叱られて懸命にセリフを覚える。でもなかなか覚えられない。

spaチビッコ旅芸人はお礼にはじめてできた親友を呼んで一緒に遊ぶ。そして僕がもっとも感動したのはチビッコ旅芸人が初めての親友が出来て別れる時だった。別れる時「みんなからのプレゼント」と言って学友たちがかけつけた。去っていくチビッコ旅芸人一行の車をみんなが走って追っていた。

up紳助は言った。「イジメの問題は親の問題。親に言えばイジメを解決できると思っている子どもは親にちゃんと話をする。でも親に言っても仕方がないと思っている子どもは一人で抱えてしまって、命を落とす場合もある」
sign05「親に必要なのはイジメに対する態度である。自分だったらどう解決するのかのノウハウを常に子どもに話しておくことが必要で子どもがそれを理解していれば万が一のときにも親に話をするだろう」

tulip紳助は小学生に「オッチャンの話を聞け!」と一喝し「今キミたちに伝えたい事は学校は勉強しに行っている場所ではない。みんな夢を持って生きよ!」と励ました。あの紳助がいいことを言ってくれた。
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新聞を毎日読もう

5時41分の気温は2.2度で湿度は98%でした。ラジオから土居裕子の「エーデルワイス」やBUMP OF CHICKEN の「スノースマイル」の曲が流れていた。 ラジオ体操は21名が来ていた。今朝は10.800歩しか歩けなかった。

さて今、若い人たちが、特に大学生が新聞を読まない。というより読めないそうです。新聞の読み方や時事問題の解説する人がいないからだろうか。そのくせ学生たちの活字メテディアへの関心は高いといわれている。

そして新聞はテレビのように毎日は見ていないが新聞記者という仕事には興味があるという若い人も結構いるようです。つまり、あまり新聞は読んでいないが、新聞記者という仕事はやってみたいと思っている。事件記者なんか傍目にはよく見えるようです。

今、若い人の関心はケイタイ、テレビ、インターネット、そして新聞である。私が学生のころはケイタイもテレビもインターネットもなかった。私は学生時代、大学新聞を作っていた。昭和26~30年ころです。新聞部で広告取り、取材、販売までしていた。当時は1部5円で校門のところで売っていたものです。

学生運動を取材したり、テストの傾向を教授から取材したり、大学近辺の書店で広告を取ったりしていた。 そして卒業後は新聞社に就職するつもりだったが夢は実らなかった。今、もしも学生時代に戻れたら新聞社に入り政治部記者をやってみたいと思う。

政治記者になって総理大臣や幹事長を追いかけるようになってみたい。でも、記者には休日も何もない。新聞各社の競争の中で大変な仕事です。体力も大事なんです。現に僕の義兄は新聞記者だった。新聞社からテレビ報道の仕事に変わり局の重役までなったが68歳の若さで亡くなっている。

取材し記事を書く。当たり前ですが一人で取材できる範囲には限界がある。グループでも締め切りまでに複雑な問題の全体像や見通うしを把握することは大変なんです。時間との戦いです。深夜でも休日でも事件記者は現場にかけつけねばならない。

僕は趣味のアマチュア無線の月刊誌「モービルハム」のエデターを12年ほど担当したことがある。原稿の締切り日が気になるし本職の仕事をしながらだったから、それは大変だった。でも、記事が本になってくる日だけは楽しみの日だった。

新聞記事や広告は社会の縮図です。今日も新聞を見て世の中がどうなっているのか。オバマ大統領や麻生総理がどんなことを言っているか。自分からは遠い存在にも思うが世界が日本がどうなっていくのか見据えたいと思う。

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島田紳助の魅力、生き方

4時53分の気温は0.5度で湿度は90%でした。ラジオから内田裕子の「冬景色」やMy Little Loverの「My Painting」の曲が流れていた。6時24分の気温は氷点下0.7度になっていた。ラジオ体操は22名が参加していた。まだまだこの時間帯は薄暗いのです。

オバマ大統領就任式で歌った女性ソウル・シンガーのアレサ・フランクリンはアメリカ・テネシー州メンフィス生まれ。彼女が歌った「アメリカ」がとてもよかった。

きょうは午前中に庭師たちが手入れに来てくれた。そして予報どおり午後3時過ぎから雨になった。雨のため「島田紳助はなぜ好きな事をして数十億円も稼ぐのか」という本を読んでいた。芸能人として大活躍しながら事業家としてもそれに劣らず成功している紳助の魅力、生き方が面白い。

その紳助が東大受験したことがあった。うわさには聞いていたが本当だった。紳助が東大理Ⅲ(医学部)を竜介は東大文Ⅰ(法学部)を目指した。

この二人が当時の「共通一次試験」に顔を見せたときテレビのリポーターから「受験生に迷惑になると思わないか」と質問されると紳助は「俺が受けたらアカンのかい」と詰め寄り、受験票を破り捨て結局は受験しなかったという。

ほかにも恩人の葬儀に出なかったりして薄情な人間だと言われたりしたことがあった。好感度ランキングの低い紳助が意外にもコマーシャルによくでている。和田アキ子と共演のリーブ21などである。この本を読んで紳助の魅力、生き方が少しわかってきた。

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参議院予算委員会で漢字テスト

きょうは大寒。4時56分の気温は3.4度で湿度78%でした。意外にも暖かく感じる。ラジオからタンポポ児童合唱団の「おおさむこさむ」の曲が流れていた。大寒なれど春遠からじです。

ニュースで歌手の秋元順子が、昨年1月23日に発売した「愛のままで…」が26日付のオリコンシングルランキングで1位になったという。61歳7ヶ月での首位獲得は、小田和正の1歳8ヶ月を更新する最年長記録という。団塊世代の星といわれる所以です。

今朝のラジオ体操は26名が来ていた。神社に参拝し帰宅すると万歩計は15.631歩になっていた。朝食のとき「悼む人」で直木賞をとった作家の天童荒大さんがテレビ出演していた。静人日記を書いているという。

天童さんは物語の主人公の静人と同じように3年間日記を付け、資料を集め、地図を頼りに現場を歩き、辛く厳しい夜を経験し、自身も“悼む人”になった。「静人が5年かかったように、同じように時間が必要だった」という。

「自分が死に近づいていたことが分かった」「生きていることのむなしさが分かった」「取りつかれた感じがあった」と、天童さんは言う。それは「これを作品にできなければ、作家になる意味がない。大切な作品になる」と、思っていたからだ。作品になるかどうかは完成するまで分からなかったという。

参議院予算委員会をテレビで見ていた。民主党の石井一議員が麻生首相に漢字テストでかみつく一幕があった。石井議員は、月刊誌「文芸春秋」の昨年11月号に掲載された首相の手記で使われた「就中(なかんずく)」など12個の漢字を並べたボードを用意し、「相当高度な漢字だ。これを隠して、どれだけ読めるかやってみたかったが、先に渡してあるから今なら読めるだろう」と首相を挑発していたが失礼な人だと思った。

これに対し、首相は「多分、みなさんが読みにくいのは『窶し(やつし)』ぐらいではないか。後の漢字は普通、みなさん読める」と答えたが、さらに石井氏は「もしそうなら、なぜ未曾有を「みぞうゆう」、踏襲を『ふしゅう』と言うんだ。おかしい。強弁だ」と反論していた。

出口宗和氏の単行本「読めそうで読めない間違いやすい漢字」の本がよく売れているという。ミヤネ屋で早速、テストしていたがなかなか完璧には出来なかった。正しく読んでいるつもりが実は…というのはよくあることです。

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東京で大地震はいつ起きるか

sprinkle5時58分の気温3.5度、湿度99%で風速は2.4mで少し温かい。雨は止んで曇天でした。6時27分には4.4度になっていた。ラジオ体操は19名が来ていたがライオン像広場は薄暗い。今朝は雨が降らないことを確認してから散歩にでた。ラジオから小鳩くるみの「冬景色」や山下達郎の「ずっと一緒さ」の曲が流れていた。

heart02さて、夢の扉という番組で地震の予知を含め、安心して暮らせる日本をつくり出そうと活動する2人に密着していた。東京で大地震は起こるのだろうか? 東京で大地震起こる可能性は何%か徹底調査をした。

pen地震との関連で注目される活断層を調べる2人の研究者を紹介した。名古屋大学の鈴木康弘教授は糸魚川静岡構造線断層帯の調査を続け、インターネットなどで情報公開して人々に注意を呼び掛けている。

club産業技術総合研究所活断層センターの主任研究員・遠田晋次氏は地震発生地で活断層の位置を確認したり、古い航空写真から活断層の位置を割り出したりする研究などを行っている。

yacht1995年阪神淡路大地震が発生した。そして2005年福岡県西方沖地震。2008年岩手宮城内陸地震などで活断層真上の被害がわかってきて活断層研究がされてきた。アメリカ・カリフォルニア州の条例でダンベル市は活断層が走っていて断層の上には住宅は作れないという。

snowboardあなたの家は大丈夫? 平成7年7月11日付朝日新聞によると政府が活断層の再調査を通達し詳細活断層地図をネット公開している。活断層がどこにあるかという情報から始まる防災があるのではないかという。断層のうちでも最近もズレを繰り返しているものが要注意である。

up2008年12月12日三重県庁で記者会見があった。(平成20年12月13日付け読売新聞) 熊野から新宮にかけて新たな活断層が平成19年度の共同研究におきまして判明し直下型地震に対応した三重県と名大が調査にのりだした。

ring御浜町では活断層の上に家が建っていた。住民たちにそれを聞いてどう思うかと質問すると「そりゃあんたびっくりするわ、そういう情報は出来るだけ早く知らせていただいたらありがたい」と言った。

soon鈴木氏は「活断層があるからといってそう頻繁に大地震が起こるわけではありません。すぐにどうしなくてはいけないということではないのかも知れません。しかし何かのタイミングで例えばあらためて住む場所を選ぶとかあるいは建て直しをするといった時にも断層の真上だとわかればちよっと離して建物を建てようとかしてほしい」という。

lovely三重県四日市市の河原田小学校は活断層の上に校舎がある。石黒友博校長は「ある意味防災体制を整えるいい機会ととらえて何かあった時にどうしていけばいいのかということを普段からしっかり持っていると良い」言われた。河原田小学校は活断層のない校庭側に校舎の移転を検討中とのこと。

enter東京の巨大地震が起こる可能性は何%かNAVIGATORの川瀬良子さんが遠田晋次氏(42)に試算していただいた。 首都圏に大きな地震が起きる確率は今後30年で約30%くらいかなという。
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間寛平がオーラの泉で語る

5時2分の気温は氷点下1.3度でした。ラジオから「恋人と別れる50の方法」という曲が流れていた。ラジオ体操はこの寒い中23名がきていた。神社参拝をして帰宅7時過ぎだった。万歩計は14.365歩になっていた。

さて、夕べは間寛平がオーラの泉に出演していた。1月15日現在、寛平は日本から2056km進んだ太平洋上を航海中でこの番組はアースマラソンに出発直前に収録されていた。

60歳目前に挑戦を決意した寛平だがなぜ今、命がけのマラソンに挑むのか彼らしく答えていた。元マネージャーの比企さんの事を語りはじめた。比企さんは、寛平が「ダメ男」だった時代を支えてくれた人だった。寛平はアメマバッジ10万個生産して約6000万円の借金ができていた。

酒もやんちゃもする中で、借金の保証人になるのを断りきれず「歩くハンコ男」とまで言われて借金まみれになったとき、返せるくらいスケジュールを埋めてやると言ってマネジメントしてくれたんだという。

比企敬之さん(45)元マネージャーは大学時代ヨット部だった。世界一周の航海の部分をパートナーとして、まったくヨット初心者の寛平と一緒に回ってくれることになった。エコ時代なので、人力(マラソン)と風力(ヨット)だけにするという。

比企さんは吉本興業の子会社、よしもとデベロップメンツ社長で寛平を何が何でも届けないとダメなんでつきっきりでヨットを指導した。大西洋を横断した後、比企さんはヨットを中国へ陸送し整備する。

寛平がマラソンを始めるようなきっかけとなった連続してみた夢は、守護霊が見せてくれた。それは寛平がイカンガーで、瀬古さんをレースで負かす夢だった。

お酒もやんちゃもとことんまでやってしまうのは、力を注ぐ何かを見つけられずにいたからで、その何かを見つける手がかりを暗示してくれたという。

直接的には、一緒に飲んでいた吉本新喜劇の池乃めだか師匠が夢の話を聞いて「いっぺん走ってみたら」と勧めてくれたからという。

前世の話では、ネイティブアメリカンだった時代があるということで、寛平がネイティブアメリカンのアクセサリーを蒐集していると告白した。

寛平の話を聞いていた江原氏は真剣な顔になって航海には難しいことがつきまとうと霊視した。だからあんまり賛成できないと言った。

海で戦死した先祖や若くして亡くなった友の事を思うと、どうも困難なほうへ引っ張られるという。船で進む時に躍起にならないで何かあったら無理せずに戻ること。太平洋の航路は慎重に無理しない。退く勇気も大切だという。寛平は神妙に聞いていた。

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安田講堂落城~学生たちのその後~

heart045時22分の気温は1.8度で湿度は70%でした。ラジオからタンポポ児童合唱団の「森の鍛冶屋」の曲が流れていた。ラジオ体操は22名が集まってきた。7時過ぎに帰宅すると万歩計は12.680歩になっていた。

event東大紛争・学生たちのその後をテレビで見ていた。40年前、大学紛争で東大・安田講堂に立てこもった学生たちのその後を追っていた。

down昭和44年1月18日、安田講堂の封鎖解除が始まった。8500人の機動隊による激しい放水と催涙弾の中、安田講堂は翌日落城し、350人以上が逮捕された。

mobaqこの闘争にかかわった若者たちの10年後、それからさらに30年たった現在の姿を紹介していた。彼らの40年を通して、「あの時代は何だったのか」「彼らは何を残したのか」を検証した。

happy0140年前の1969年(昭和44年)1月18日東大安田講堂事件は起こった。その当時、僕は38歳で長男は10歳だった。僕が学生だった昭和26年~30年当時は大島渚氏が京都府学連の委員長だった。僕は当時は大学新聞を作るために学生運動を取材していた。

heart01当時、東大生だった「中核・革マル」の著者、立花隆氏や浜松生まれの片桐一成氏も出演していた。片桐氏は出版社にいて29歳で退社し弁護士事務所を開いた。

sign021968年6月15日、6月28日大河内一男総長は1200名の機動隊を導入した。7人の学生処分をした。1969年1月18日、今井清さんは医学部6年生だった。38歳で実刑判決を受けた。

recycle東大全共闘議長の山本義隆さん(当時26歳)はのちに素粒子論研究家として有名になった。今は駿台予備学校講師らしいが学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。

cherry今井澄さんは薬剤師になり国会議員にもなり62歳で亡くなった。今井澄の獄中日記が「たちまち日記」の書名で遺族によって発表された。諏訪市の中央病院院長として働き今井さんはガンで62歳で亡くなられた。ご冥福をお祈りします。そして当時の加藤一郎総長は「ノスタルジアで一昔前の思い出」と語っていた。

annoy1978年11月25日放送の『ルポルタージュにっぽん「おとこ東大どこへ行く」~10年目の東大全共闘~』。 作家、橋本治氏がでていた。東大紛争の真っ最中に橋本さんが作った東大駒場祭のポスターが話題を呼んだ。

up武田和夫さんは落城2日前まで安田講堂内にいた。その後、東大を中退して山谷で働く。その武田さんも60歳になってビル管理会社で働いていた。大学を中退したことに後悔していないと言う。

bud山崎晴久さんは1947年生まれで60歳。当時は25歳で日本大学の学生だった。今は自動車整備工場を経営していた。妻の恵子さん(中国出身)と5歳の長男と暮らしていた。

enter山崎さんは、プロジェクト猪 編集の「全共闘白書・アンケート 今こそ語りはじめよう」で次のようにアンケートに答えていた。運動に参加した理由は自らの意思です。自己評価は懐かしい。いろんなことがあった。また、あの時代に戻れたらの質問に、「しない」「アオらしい」と答えていた。

cherry相原亮司さん(60)は、茨城県日立市生まれ。 67年に東京大学に入学し、翌年、同大医学部の学生に対する大学側の処分に端を発した「東大闘争」に加わった。学生運動の中で、教授を監禁した容疑で逮捕され、4ヶ月間、服役した。相原さんは大学ではマルクスの著作などを読み、仲間たちと議論にふけったという。そして三里塚農民になった。

tulip芥 正彦(あくた まさひこ)さん(63)も、全共闘側の一人として参加しのち大学を除籍になり俳優になった。

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都電荒川線で下町レトロ散歩

5時6分の気温は氷点下2.9度で湿度は91%でした。風速1.3mでそれほど寒くない。暗い公園からぬけでて明るい街路灯のある道をいったりきたりした。ラジオから鮫島有美子の「りんごのひとりごと」や宇多田ヒカル「Stay Gold」の曲が流れていた。

6時28分の気温は氷点下3.1度になった。ラジオ体操は25名が薄暗い中、集まった。7時過ぎに帰宅。歩数計は14.000歩をオーバーしていた。

近鉄百貨店で10時の開店を待っていた。ギフトセット解体バーゲンは開店と同時に5F催場に走った。八丁みそ、食品、パジャマ、缶詰、バラ石鹸詰め合せ、サラダ油、鰹節、焼きすしのり、コーヒーなどどっさり買ってきた。

夕方、テレビで都電荒川線の旅をやっていた。「下町レトロ散歩荒川線で巡る雑司が谷・鬼子母神 」をみていた。僕は練馬の豊玉から鬼子母神へ2~3度は訪ねたことがある。よく見ると鬼という字がここでは省略されていた。そのわけを鬼子母神堂の高野顕郁師が語っていた。ぶらり下町のレトロ散歩は楽しいものです。

メトロはわかるがレトロとはなんだろうか。レトロ(Retro)とはretrospective(回顧)の略語である。懐かしい散歩です。僕にとってもこの都電荒川線は東京にいた10年間に何度か乗車したことがあって懐かしい。荒川線では駅とは言わない。バスと同じように停留所という。早稲田から三ノ輪橋まで30停留所がある。

鬼子母神は「安産・子安・子育て」の神様として知られているが、もともとはインド出身で他人の子供を奪って食べてしまう鬼神として人々から恐れられていました。過ちから救おうとお釈迦さまは彼女が一番可愛がっている末子を隠して、子を失う母の悲しみを諭したそうです。

庚申塚停留所のホームにある「いっぷく亭」はまだ行ったことがないが一度、訪ねてみたいものだ。いっぷく亭の一等席でチンチン電車が丸見え。それもそのはず、ホームに隣接してある。停留所を作るときに東京都交通局と相談していっぷく亭は出来たらしい。

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お歳暮解体セール始まる

bud5時37分の気温は0.2度で湿度72%でした。6時22分には気温、氷点下0.6度で湿度76%になった。いつものように公園からでて街路灯の下を歩いた。ラジオからダークダックスの「ペチカ」や平原綾香の(優しい時間の主題歌)「明日」の曲が流れていた。歌詞を検索してみた。今朝も寒い中、ラジオ体操は26名が参加した。7時に帰宅すると歩数計は11.000歩になっていた。

ringテレビでデパート売れ残りお歳暮の激安セールに主婦が大行列しているのを見る。そのあと中央大で教授が刺殺され黒い帽子の謎の男を追っていた。また別のテレビ局も学内のトイレで45歳中央大教授を刺殺した犯人追跡をやっていた。どこの大学も簡単に誰でも入れることを規制できないのだろうか。

school最近は小中学校は防犯カメラが設置されているが大学のキャンパスは広いからどこからでも入れる。東大正門には守衛がいるが一般人はなんのとがめもなしに入れる。慶大や早大も簡単に侵入できるから困ったものだ。犯人は簡単に電車でも逃げられるから、もっと監視カメラをキャンパス内に設置してほしいものである。

P1010013s あの田宮栄一氏が犯人像について語っていた。就職、進級のトラブルか業者とのトラブルなどの怨恨からではないかと語っていた。

sign02さて、お歳暮解体セール情報を見る。たとえばフルーツジュース120円→55円。みりん529円→240円。焼豚1260円→315円。2割から5割くらい安く買えるようである。近くの近鉄百貨店でも明日から解体セールが始まる。解体セールは缶ビール、べにばな油、みりん、コーヒーなど重いから配送にしたほうがよいかもしれない。

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20人の医師が病気の疑問解決

5時の気温は氷点下2.6度で湿度90%でした。今朝は霜が降りていた。月光で明るい公園です。ラジオは永田峰雄の「スキーの歌」や小田和正の「今日もどこかで」という曲が流れていた。6時29分の気温は氷点下3.2度まで下がった。低温注意報が発令され、とても寒い中、ラジオ体操は26名が参加した。

昨夜のテレビで、名医20人が激論。爆笑問題の医療クエスチョンに答えていた。医師が本気で薦めるカゼの(秘)予防法は何か?「お医者さん編」で、最初のテーマは「風邪」。うがいには本当に予防効果があるのかを検証した。

スタジオのドクターたちの見解は意外にも分かれた。関連して、「鼻うがい」や「お茶うがい」「首にネギを巻く」などの予防法や、実際に医師はどうやって風邪を防いでいるのかを聞いた。僕はお茶うがいをしている。スーパーに出かけるときはマスクをしている。

続くテーマは、「ダイエット」と「血液型」。「同じカロリーを減らすなら肉でも野菜でも効果は同じか」や「血液型の違いでなりやすい病気が分かるってホント」など。また、最近はやったダイエット法の中で、ドクターが選ぶ衝撃のベスト1とワースト1が発表された。

朝バナナは効果がない。僕の家内もやっているがどこまで続くことやら。ほとんど効果はないと思っている。ギャル曽根のようにいくら食べても太らない人もいる。僕はダイエットはしない。便通がよくて太らない。朝バナナはテレビで宣伝され簡単にできることから、多くの人が始めたが長続きするはずがないと思う。

血液型でなりやすい病気があるって本当か? 医学的には根拠がないとされていると20人の医師全員が血液型の違いで病気や性格が変わらないと答えていた。

ど忘れが多くなると認知症の前兆ですか? ど忘れが多くても心配なしと答えた医師は20人中10人いた。「ど忘れ」は年齢的な変化で起こる「ど忘れ」と「認知症」は別物と答えた。 ど忘れしたことに自覚があれば認知症ではない。

「認知症」の初期症状は「ど忘れ」で見逃すのは危険と答えた。全体の約10%の認知症は早期に発見できれば治療可能と答えた医師もいた。痴呆に象徴される原因不明の病はアルツハイマー型認知症である。

認知症を予防する方法はあるの? この質問に①手紙を書く②日記を書く③気配りと答えた医師がいた。特に日記は記憶をたどり表現するので効果があるという。

そのほか脳梗塞(こうそく)は手のしびれ関係あるか? うつ病って何か? 医者が薦める楽にやせるダイエット方法は?という質問があった。今、研究中でダイエットの薬はやがて作られるという。

爆笑問題、伊集院光、上原美優、柴田理恵、中尾明慶、山中秀樹、ラサール石井などが質問し医師20名が答えていた。かぜの予防に部屋の加湿も大事なことである。

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なかなかいい生き方

ようやく3連休も終わった。僕はこの3連休ほど嫌なものはない。正月1~4日まで休日で後5日たっての3連休である。僕が若いころは土曜日も休まなかった。休みといえば日曜日だけだった。それが今月は平日19日で休日は12日になる。

そして現在、土曜日は小中学生も高校も大学もみんな休みです。僕たちが小学生のころは軍事教育下で祝日も今のように成人の日もなかった。昭和の日、みどりの日、海の日、敬老の日、体育の日、勤労感謝の日は僕はなくてもよい。どうでもよいと思う。

少なくとも義務教育の9年間は土曜日は休みなしのほうがよい。塾に通わすとお金はかかる。父兄の負担がかからないように日曜日だけ休みにしたほうがいいと思う。今の子どもたちの学力が低下したのは休日が多くなったせいと思う。

塾にやりたくても貧乏家庭ではやれない。それでも親は子どもにピアノとか水泳とか子どもの友達が行くから自分の子にもやらしたくなる。貧乏人は子どもを塾に通わすことも出来ない。それなら少なくとも9年間の義務教育だけは土曜日は学校は半日でもよいからあったほうがよい。

今朝4時47分の気温は0.3度で湿度は63%でした。杉並児童合唱団の「雪」や山崎まさよしの「Heart of Winter」の音楽が聞えていた。満月で公園は明るくラジオ体操は27名が集まってきた。私たちのラジオ体操は年中休日なしです。出席もとらない。きょうは平岩弓枝の「なかなかいい生き方」という随筆を読んだ。

次のような書き方で随筆は綴られている。昭和7年生まれだから僕より若い。東京渋谷区の代々木八幡宮が彼女の実家という。直木賞作家の平岩弓枝の随筆の一コマを書いてみる。

やるせない東京。私の住んでいる町には環状六号線が通っている。長崎は雪。長崎の天候が悪化して、すでに雪が降り出しているとのこと、明日は更に荒れ模様になると予報されていて、ひょっとすると飛行機が欠航になるおそれがあるので、なんとか今日中に東京を発ってもらえないだろうかといわれた。

さて、きょうは新型インフルエンザの訓練があった。行政と病院が連携して万全を期していたが患者を受け入れる病院がどこまでできるか疑問に思った。これから春4月までが心配である。「なかなかいい生き方」もままならないのである。

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小さな旅 「故郷のまなざし 若者たち」

5時6分の気温は0.3度で湿度は77%だった。今日は成人の日で音楽担当スタッフが考えた歌2曲がラジオから流れていた。タンポポ児童合唱団の「翼をください」と馬場俊英の「スタートライン」の音楽が聞えていた。ラジオ体操は寒い中、27名が参加していた。

1983年から小さな旅は25年(1262回)を迎えた。特集「故郷のまなざし・若者たち」若い力と出会う7つの旅だった。四半世紀の節目に放送する特別番組のキーワードは「風景が人をはぐくむ」。

日本各地の美しい風景と人々の暮らし、そして時代を見つめてきた「小さな旅」が今年度25周年を迎えた。故郷に支えられひたむきに生きる若者たちの姿を伝える特別番組だった。

経済不安が漂い、かつてない不況、雇用不安が広がり希望を抱きにくい時代の中で、ひたむきに生きる若者たちの姿を伝える。故郷の風景の中で、生き生きと瞳を輝かす若者と出会う7つの旅。かつて旅した地も再訪していた。

樋口貴明さん(24)は父の幸夫さんがガンで「後をたのむ」と言って亡くなった。今は母の由美子さん(46)と40頭の牛を飼育する酪農家。父が亡くなる3年前に書いた「今後の課題」というレポ-トを発見。そこには父から息子への夢が書かれていた。

栃木県鹿沼市の増田三恵子さん(18)は麻畑で地域の特産品の麻を栽培していた。平成14年に小さな旅で紹介された小太刀清さん(75)が指導していた。

東京銀座の渡瀬みつ子さん(75)を20年ぶりに山根基世アナが訪れた。みつ子さんは昭和62年当時歌舞伎座界隈の屋上でいろんなものを作っていた。今はハワイの高校に留学している孫の鈴木裕道さん(19)と暮らしていた。孫は銀座でレストランのアルバイトをしているという。

不況のなかで7年間、この番組を担当してきた名取将さんが平成9年に訪れていた日立市の旋盤の町工場を12年ぶりに訪れた。赤津秀男社長の長男浩史さんが主に営業を担当し次男の将之さんが旋盤の仕事を継いでいた。

大地震があった宮城県栗原市でリンゴ200本を育てている三浦麻衣子さん(24)はサラリーマンだった父の敏郎さん(53)とリンゴ栽培に励んでいた。麻衣子さんは今も仮設住宅からリンゴ畑へ通う。

あのイージス艦と漁船が衝突し行方不明になった吉清哲大さんの友人、浜野浩之さん(24)は千葉県勝浦でマグロ漁業をしている。「一緒にマグロつりをしょう」と言った哲大さんの言葉が忘れられないという。今は父の光夫さんと民宿を始めたという。

福岡県宗像市で「なぎさの家」の指導員している川端美輝さん(25)は子どもたち6人と暮らしている。不安いっぱいの中、「真剣に子どもたちと向き合う」と決意を胸に共同生活を始めた川端さんはUTU業証書をカメラに向けていた。

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青森・岩木山ろくの心いやす家

4時52分の気温は氷点下0.2度、湿度は88%でした。大雪注意報が発令されていた。ラジオ体操はN県議など21名が参加していた。朝9時前から灯油が1ℓ52円で売るスーパーに並んだ。18ℓ1缶で936円は今冬では一番安いので連休もあってみんな並んでいた。

さて、青森・岩木山のふもとに山荘「森のイスキア」を開き、特製の”おむすび”で人々の心を癒やす佐藤初女さん(86)をテレビが訪ねた。僕は番組が終わってからホームページを検索してみた。

初女さんは教職を退いた後、染色工房を営みながら教え子たちの人生相談に乗ってきた。そのうわさを聞いて全国から相談者が訪れるようになり、今では年間300人もの人がやって来る。

初女さんは訪ねてきた人を、質素ながら丹念に作った家庭料理でもてなす。その1つが絶妙なおむすびである。初女さんは「おいしいものを食べれば心は自然に開き、気持ちが和む」と語る。津軽の里山で、森の四季・恵みを食べる。 初女さんと人々の交流を見詰める番組だった。

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森進一の波乱万丈人生

今朝も散歩ができなかった。ラジオを聞いていると日本列島はすっぽり寒気の中にあって日本海側では吹雪のようです。東海地方も朝は荒れてくるようだった。ラジオからダークダックスの「富士の山」や「花の歌」が流れていた。そしてラジオ体操は家の中でする。

夕べはTBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」を夜遅くまでみていた。森進一の波乱に満ちた半生を振り返る。母子家庭で育ち、貧乏な少年時代を経て歌手として成功した。しかし、熱狂的なファンの虚言が原因で最愛の母親が自殺。婚約不履行で訴えられたこともあった。

あまりにも切ない真実にテレビをみていた人はすごく苦労していたんですね「おふくろさん」にこんな深い話があったなんて知らなかった。人って世間って怖いですね。森進一って強いなぁという人もいた。

マスコミってひどい。ひどすぎる。ひとりの人間の命を奪っておいて、報道が全て誤りだったと法廷で証明されても、謝罪なんかないんですね。こんなひどい話ってあるでしょうか???今日の金スマは感動的でした。

僕も家内と金スマをみていた。あまりにも不憫です。裁判の結果を報道していたのはたった一社だけだった。フランク永井もそうだった。マスコミのエサになったらつぶされる。森進一は九州男児で強かった。

作詞家の故川内康範さん(享年88)から「おふくろさん」の歌唱禁止を通告された。そして金スマでは婚約不履行の真相が明かされるほか、母親や川内氏への思いなどを告白していた。さらに、昨年大みそかのNHK紅白歌合戦で解禁した「おふくろさん」を熱唱した。「おふくろさん」を歌っているときだけお母さんと話しながら歌っているという。

うつ病、自殺願望、病との戦いで森進一は2005年3月31日に入院する。長くは生きられない、突然襲った病魔、離婚と試練は続く。やっとできた家族だけどこの家庭だけは壊したくないと思った。

「一人で結婚生活はできる訳じゃないんで、その想いと現実の差が悩みになって本当にその時C型肝炎が悪化したんです。そして知人が別居めぐりテレビで批判しドロ沼代理戦争になっていたのです」と語った。

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寅さんの街、柴又ぶらり旅

どうも今朝は雨らしい。5時過ぎに庭にでてみて小雨がしょぼしょぼと降っていた。この程度なら散歩はできないこともないが、あきらめて再びベットに戻る。ラジオ朝一番を聞いてらくねしていた。クラウン少女合唱団の「雪の降る街を」や露崎春女の「Everyday」の音楽が聞えていた。

テレビであのお笑い芸人の友近が寅さんの街、柴又1万歩の旅をやっていた。寅さんのコスプレをした友近が立ち寄った。1885年創業の天ぷら屋(大和家)。非常に大きなエビが乗っている上天丼(1575円)を食べた友近は、「おいしーねー!」と大喜びだった。

食べながら店員と話をして、柴又が初めてだと知った店員が「まあ、何の変哲もない街ですけど」と言うと「いや、すっごいいい街です、凄いのんびりしてて」と友近は褒めていた。

行き当たりばったり 入った店「大和家」は帝釈天参道沿いにあり、店先では揚げたてのアツアツの天ぷらが味わえる。おすすめはエビやキスなどがのった天丼。香の物がつく。友近はそば処やぶ忠にも立ち寄った。

友近の人生最大の転機とはなんだったか? 友近は自分ならではの笑いを表現できる芸人になりたいと平成12年26歳のとき旅館の仲居時代に自分の本当の居場所はここではないと一念発起して芸人を志し、NSCに入学したのでした。

僕がこの柴又を最初に訪ねたのは昭和58年(1983)11月12日だった。この日は土曜日で晴天だった。仕事は休みだったから9時過ぎより山手線で日暮里へ。京成電鉄で柴又帝釈天に参詣した。「矢切の渡し」で船に乗った。高砂まででて成田新勝寺に参詣する。そして、あの渥美清が亡くなったのは1996年8月4日(満68歳)だった。

当日は温かくて、紅葉がすばらしかった。練馬から柴又、そして成田へと一人ぼっちの旅だった。お土産にちょうちん、せんべい、草もち などを買って練馬に午後5時ごろに帰宅したと日記に書かれている。 月日の経つのは早いもので、あれから25年が過ぎた。その後、目黒区碑文谷にいたころにも水元公園に行っての帰りに柴又帝釈天に参詣した。

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歌舞伎町のこころちゃん

4時54分の気温は1.1度で湿度は69%だった。6時18分には氷点下0.5度、湿度は76%に変わっていた。ラジオからポニージャックスの「スキーの歌」、DREAMS COME TRUE の「スノー・ダンス」の曲が流れていた。ラジオ体操は23名が参加していた。

日本一の歓楽街、新宿歌舞伎町のど真ん中で「こころ」という名の4歳の女の子が父親と路上で暮らしていた。虫歯だらけの 笑顔。垢(あか)まみれのおなか。「豊かなはずの国で、なぜ」。半年間、彼女を撮り続けた韓国人カメラマンが、写真集「歌舞伎町 のこころちゃん」(講談社)を出版した。

毎日新聞 2008/12/10に「だいあろ~ぐ:東京彩人記」より(カメラマン 権徹氏へのインタビュー記事が掲載された。日本は豊かな国ではなかったのか、という疑問が強くなりました。
歌舞伎町に遊びに来る人たちは、こころちゃんに無関心でした。これは父親一人の責任じゃない、社会全体に責任があると思います。こころちゃんの姿は私たちに何かを問いかけてくれる。
理不尽な現実を社会にぶつけてみることは価値があると考えています。

権徹(ゴンチョル)さん(age41)が初めてこころちゃんと会ったのは去年9月。新宿コマ劇場前の広場だった。遊び相手となるうち、 彼女が父親と路上生活していることを知った。

ジュースを買い与えようとすると、父親が飲んでいるのと同じドリンク剤を選んだ。父親がいない昼間は、ゲームセンターで ゲームを眺めながら、時間をつぶしていた。
こころちゃんがシャツをまくり上げ、垢で黒ずんだおなかをかいている姿を見たとき、権さんの好奇心が吹き飛んだ。歌舞伎町を 12年間撮り続けて初めて受ける衝撃。人として助けたいという思いが、取材対象としてカメラのシャッターを切る行為を押しとどめた。

父親は日がな1日、路上で酒を飲んで暮らしていた。権さんは「仕事をするつもりはないのか」と詰め寄ったが、「どうしようも ないんだ」とうなだれるだけ。別々に暮らす妻から月に1、2度、小遣いをもらっていたが、その妻もネットカフェを転々としていた。

「これは親子の問題ではなく、社会の問題ではないのか」。知り合って1ヶ月、やり場のない怒りが込み上げる権さんに、こころ ちゃんは笑いながら聞いてきた。「カメラを持っているのに、何でこころを撮らないの?」。権さんはこころちゃんの撮影を始めた。

3月、こころちゃんが突然、いなくなった。母親が児童養護施設に連れて行ったと、権さんは人づてに知った。

2008の年の瀬、こころちゃんはあと数日で6歳になる。そして、周囲が遊び場だったコマ劇場も大みそかで52年の歴史に幕を閉じ、父親と通った敷地内の食堂も閉店する。店員の中国人女性の陳さん(38)は、厨房の中のいすにちょこんと座って、笑っていた 姿を思い出す。「私は帰国するけど、大きくなったこころちゃんとまた会いたい。歌舞伎町じゃないところで」と、つぶやいた。

権さんは、こころちゃんが1日も早く、父母と一緒に暮らせるよう、写真集の印税を親子に寄付する。「写真集には続きがある。 満開の桜の下で、一年生になるこころちゃんを撮りたい」 という権さんに尋ねていた。その後、取材を始めたきっかけは?

ある日、こころちゃんがシャツのすそをあげてお腹を掻(か)くのを見かけたんです。垢(あか)で黒ずんでいました。寒い冬が 始まれば風邪をひいてしまうかもしれない、死んでしまうかもしれない、と焦りました。

そんな姿を見かねて、一緒にいた父親に現金を渡したこともあります。でも、父親はそれでビールを買ってしまうような人でした。 「それでも、あんた親なのか」と怒鳴ったこともありますが、話を聞くうちに「どうしようもない」という気持ちもわかるような気がしました。

それがこの写真集で伝えたいことですか?

はい。取材の過程で、日本は豊かな国ではなかったのか、という疑問が強くなりました。歌舞伎町に遊びに来る人たちは、こころちゃん に無関心でした。これは父親一人の責任じゃない、社会全体に責任があると思います。こころちゃんの姿は私たちに何かを 問いかけてくれる。理不尽な現実を社会にぶつけてみることは価値があると考えています。

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とちもちを囲み新年を祝う

5時6分の気温は0.6度、湿度は66%だった。ラジオを手に早朝の散歩は暗くて寒い。タンポポ児童合唱団の「」や榎本くるみの「ぼくのうた」や「時計じかけのカーニバル」という曲が流れていた。ラジオ体操は22名が参加していた。

先日、テレビで特集 冬 小さな旅「新年をよぶ 恵みのとちもち~山形県・鶴岡市行沢~」を拝見しました。

山形県鶴岡市の行沢はトチモチの里。山には先祖伝来のトチの森がひろがる。厳しい冬、家族が集う新年の幸せを願いモチをつくる女性たち。伝統の味に込めた思いを訪ねる。

山形県鶴岡市の行沢集落は、戸数28の小さな山里。初雪で白く覆われた12月初頭、トチの実を使った「とちもち」作りが始まる。とももちづくりに関わってしまうと何もできないという。

お正月には家族そろってとちもちを囲み、新年を祝う。しかし、とちもちは地区の特産品として人気を博す一方で、手作りできる家は近年少なくなっている。

番組では、集落のトチノキ林で実をひろう9月から、もち作りの最盛期12月までを追い、伝統の味に込められた思いと、山里のいまを見つめる。 とももちが無いと何か寂しくなってくるという。

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テレビで見る福袋争奪戦

6時5分の気温は4.9度、湿度は77%だった。そして体操が始まる前6時25分では4.2度になっていた。18人の仲間たちとラジオ体操をする。サザンオールスターズの「涙のキッス」という素晴らしい音楽が聞えていた。

今日は快晴。午後のひととき南部丘陵公園を散策した。気温は10.7度になっていた。ラジオ体操会場の近くから「伊吹山」が見えていた。そこからしばらく歩いて73段の階段を登った展望台から南のほうに「神島」がくっきりと見えていた。さらに少し東の丘から「御嶽山」が見えていた。

昨夕と今朝とテレビで気になる福袋争奪戦に密着取材していた。名古屋では松坂屋、丸栄、パルコ。丸栄での福袋の売上げはおよそ2億円とのこと。不景気のなか福袋戦線に異常ありと思いきや客が殺到した。

メーテレの小原佳代子アナがこの福袋争奪に密着している。正月の運試しに来る人が殆どである。中には事前に店に電話をかけて調査する人もいる。福袋の個数や置き場所をチエックするという。エスカレーターはもしかしたら人数を区切られて上がっていくかもしれない。そうなると自分のペースで行ける階段の方がいいかもしれない。

娘のために母が奮闘していた。携帯で連絡とりながら別々に行動していた。またバイトしてお金をためて買いにきた若い女性がインタビューに応じていた。丸栄で福袋を買うのははじめてだから、どういう風になるか分からないいから、この後どうなるか不安だという女性もいた。そして丸栄はAM9時スタートした。松坂屋は8時30分にスタートしていた。1月2日の丸栄全館の売上げは前年比2.5%のUPだった。

銀座松屋の開店は9時間半だった。10万円相当のものが1万円です。あと戦い大丈夫でしたか?と聞くと転んじゃいましたが大丈夫です。プラタン銀座ではオープンから1時間たった時点でまだ25袋売れ残っていた。整理券をもらいながら買いにこない人がいる。果たして完売するのか?

ただいまモード館で女を磨く福袋がキャンセル待ちのお客さんが続々と購入。キャンセル待ち販売しても10袋も残っていた。売り場が7階のためにお客さんが集まりにくいという。

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永田元議員の自殺に思う

きょうは小寒。5時27分の気温は3.2度で湿度86%でした。ダークダックスの「冬の夜」や綾香Jewelry Dayの曲が流れていた。6時16分の気温は2度に下がっていた。ラジオ体操は21名が参加していた。白髭神社に参拝して帰宅すると歩数計は12.000歩を越えていた。

さて、偽メール問題で06年に議員辞職した永田寿康・元民主党衆院議員(39)が1月3日、北九州市のマンションから飛び降り自殺を図り、死亡したと1月4日付新聞の片隅に写真入りで掲載されていた。

今朝のテレビは自殺のナゾについて語っていた。彼は2000年6月の衆院選で千葉2区で初当選。連続3期当選を果たした。06年2月、衆院予算会で、ライブドアの堀江貴文元社長が社内メールで、自民党の武部勤幹事長=当時=の親族あてに送金を指示したとする質問をした。その後、永田氏は「メールは偽物」と認め、武部氏らに謝罪し、06年4月に議員辞職した。

彼は慶応・志木高校から東大工学部を卒業し旧大蔵省に入省し2000年国会議員となり以後2回連続当選した。頭の回転も速く頭脳明晰で大衆に好感を与えた彼に辞職から約2年9ヶ月で何が起きたのか? 永田氏の友人、手塚仁雄前衆院議員が「メール問題というのが彼の人生を大きく変えた事件だった事は間違いない」と語った。死んでしまってはどうしょうもない。彼の冥福を祈りたい。

民主党の小沢一郎代表は偽メール問題で議員辞職した永田寿康元同党衆院議員が飛び降り自殺したことについて「心からお悔やみを申し上げる」と弔意を示した。その上で「命を自ら絶つというのは深刻な心理状態だったのだろう。国民の代表だった者がそのような手段を選ばなくてはならなかったことは甚だ残念だ」と述べていた。

東大出て、大蔵省入って、衆議院議員になって、イケメンで、なんで39歳という若さで自殺しなければならないの?というほど華々しい経歴だけど、人の人生とは分からないものです。死んでしまってはどうしょうもない。ご冥福をお祈りしたい。

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答志島から届く新鮮なサワラの刺身が美味しい

happy015時の気温は2.0度で湿度は85%になっていた。散歩中、ラジオは4時44分ごろニューギニアでM7.5の大地震があったと報じた。なぎら健壱の「あの頃のフォークが聴きたい」では遠藤賢司の「雨あがりのビル街」という曲が流れていた。ラジオ体操は16名が参加していた。

wave8時からマイカーで鈴鹿山麓に近い椿神社に参拝する。参拝客は予想外に少なかった。孫たちにお守りと「椿草もち」を買った。道路は空いていて早く帰り、今度は近鉄百貨店に行き東京へ「赤福」や「桑名のしぐれ」を送る。この近鉄に志摩の答志島から毎月8日18日28日と新鮮な獲りたての魚を販売している店がある。この店の新鮮な「サワラの刺身」がとても美味しいらしい。

heart01午後は三枝の新婚さんいらっしゃい、芸能人夫婦スペシャルをみていた。高橋ジョージと三船美佳夫妻、元木大介と大神いずみ夫妻、佐々木健介と北斗晶夫妻、山本文郎夫妻、草野徹と山田まりや夫妻などが出演していた。そして山本文郎と由美子夫妻がグランプリに輝いた。文さんがあのトシで奥さんに捧げる愛情ぶりに頭がさがる思いだった。

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今年は牛になろう

bullettrain5時50分の気温は4.6度で湿度は66%になっていた。風速は2.6~3.0m。ラジオから東京混声合唱団の「箱根八里」やジェイク・シマブクロの「タッチ」という曲が流れていた。ラジオ体操は16人が薄暗いライオン像広場に集まった。体操を終えてから白髭神社に参拝。靖国遥拝所から東京に向かって参拝する。

sign02朝9時前からスーパーに並んで10時開店を待つていた。電動自転車が47.700円で3台限り売るので整理券配布まで待つ。待っている間、前に並んでいる主婦の話を聞いていた。長男が電気通信大学大学院生で次男は京大生、三男は都立高校生とのこと。主婦は旦那さんと一緒に来ていた。

moneybag待っている1時間はとても長く感じるものである。こうして僕と家内と4人で世間話している間に時間がきて、早速、妻は電動自転車初乗りで帰宅し僕は一人で帰る。乗り心地はいい。坂道が楽々である。買ってよかった。でもバッテリーがよく故障すると聞く。

bicycle電動自転車も千差万別、今では色々なものが売られている。本日、買ってきたのはナショナル製で安いが10万もするものもあるらしい。上をみていたらキリがない。妻は自動車免許がないからこれでガマンするしかないのです。

down僕は大型、中型、大型自動二輪の免許を持っている。でも、最近はバックの車庫入れが簡単には出来ず、何回もやり直すようになった。78歳になってこれから先どうなることか吾ながら心配である。

rvcar今日の新聞に昨年の交通事故死5155人。過去最悪だった70年は16765人だった。それと比べると最多時から7割減になった。都道府県別の死者は①愛知②埼玉③北海道④東京で東京は戦後最小になったと報じた。

car交通事故死が少ないのは①鳥取②長崎③島根と徳島の順となった。年齢別では65歳以上の高齢者が126人で全体の45%を占めた。警察庁の今年の目標は「死者5千人以下」と設定。高齢者運転者対策を重点に置くという。

parking「東京でくらした3ヶ月の間に、待つことがずいぶん苦手になった」とうニュージーランドの記者のことが天声人語に載っている。「便利さや快適さ、効率などへの期待がずっと増した。要するに、私はベストなものを今すぐほしがるようになった」日本社会の魔法だろう。

cherry夏目漱石の言葉<吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れない>を反芻しながら、牛歩の価値に思いをはせてみた。と天声人語は結んでいた。

up電動自転車で便利で快適になった。ベストなものがほしがるようになった。そして高齢者の事故死が多いなか高齢者は牛のようにゆっくり歩くほうが無難なのだ。こういうことを反芻しながら、つまりくり返し味わいながら、せかせかせずに牛のように悠々と暮らしたほうがよいようだ。

carouselpony牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないものです。夏目漱石の言葉を思い出して今年は牛になろうと思うがせっかちな僕にはこれまた至難なことである。

baseball午後はアメリカンフットボール日本選手権の「立命館大学×パナソニック電工」を見ていた。前半で大きくリードした立命館大が逃げきって5年ぶり3回目の優勝を果たした。

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こんなところに日本人

5時53分の気温は1.2度でした。ラジオ体操は12名だった。7時20分に帰宅するまでに9500歩をウオーキングした。ラジオからタンポポ児童合唱団の「お江戸日本橋」、コブクロの「エール」という曲が流れていた。

10時に開店のスーパーでジュリアンの花を買った。赤、黄、青、白など10ポットです。福袋がたくさん残っている。香水福袋、お菓子福袋、おもちゃ福袋もある。電動自転車が8万円であった。

昼過ぎ知人がやってきた。今日、横浜に帰宅するというので駅まで見送る。帰宅してテレビで四日市中央工業高校と山形中央高校のサッカーをテレビ観戦していた。地元の四中工高が先取点をあげる。

そのあと「世界の村で発見!こんなところに日本人」は興味深々で面白かった。「なぜこんなところに?」というような場所に住んでいる日本人も多い、本人に会って、その素朴な疑問をぶつけていた。

この番組は旅先案内人の芸能人リポーターへのサポートは一切なし。言葉が通じなくても、現地での移動や食事のすべてを自らの手でなんとかしなければならない。バスや鉄道がなければ歩くかヒッチハイク、ホテルに泊まれなければ野宿や現地人の家に世話になることもある。そこが面白いのです。

リポーターの安倍なつみと矢口真里は、アイスランドの”氷の町”に住むたった1人の日本人女性の川井千春さん(age24)を訪ねた。日本の高校になじめず不登校だった千春さんは2000年3ヶ月アイスランドに語学留学した。

また、千原せいじは、アマゾンの奥地にたった1人で住む日本人女性の河田菜摘さん(age28)に会いに行く。彼女にはウゴさんという彼氏がいた。この彼氏とその家族に囲まれ自分らしさを表現できる場所がここだという。

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年の初めに

5時40分の気温は0.2度で湿度は92%風速1.4mだった。2009年の幕開けです。元旦でもいつものように1万600歩を歩き、ラジオ体操を23名でする。体操が終わってからご来光を見るべく小高い丘へ。一番高い展望台は既にいっぱいの人が集まっていた。僕たちはコンビナートやセントレア空港が見える小高い丘に行く。

素晴らしいご来光だった。今年の元旦は晴天でよかったと思ったら、8時半を過ぎるころから曇ってきた。今朝もラジオからクラウン少女合唱団の「一月一日」や水前寺清子の「365歩のマーチ」の曲が流れていた。

朝から福袋をもとめてスーパーとスポーツ店とパソコンシヨップなどをみてまわった。9時開店のところ10時開店のスーパーもあった。また11時開店の店もあった。僕たちはここで衣料を買った。

さて、大晦日はNHK紅白歌合戦を最期まで見ていて終わってから入浴し就寝したのは元旦の午前1時になっていた。そして5時半ごろから暗い公園へ散歩とラジオ体操にでかけた。4時間しか寝ていなかった。

紅白は今年はなぜか照明が悪かった。歌手の服装に合わしているのだろうか。でもちょっと変だった。せっかくの歌手の盛装が照明が青くなったりして台無しになった。NHKがこのように過去最悪の照明だった。

僕は過去4回、NHKホールで紅白歌合戦を見てきたがテレビを見ている側からみると今回の照明は失敗だったと思う。司会は二人とも大変よかった。歌手では森進一の「おふくろさん」、コブクロの「時の足音」、SMAPの「この瞬間(とき)きっと夢じゃない、東方神起という韓国人の歌がよかった。

紅組の大橋のぞみ、水森かおりの輪島朝市、そして大トリを勤めた氷川きよしの「きよしのズンドコ節」が好感がもてた。

元旦の朝、東京の孫から電話がきた。お年玉のお礼を言っていた。孫よりも今年は自分がぼつぼつおかしくなってきた。このままいけば完全に認知症である。

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