ラジオ、日曜朝一番を聴きながら歩く

night4時57分の気温は3.9~4.0度で湿度は87%でした。1時間後の5時57分では3.6度に、体操の始まるころには3度まで下がった。ラジオ体操は29名が集まった。

fujiラジオから「愛につつまれて」やクライマックスロマンティック・ソングスの曲が流れていたようだった。中島裕子アナは遠田恵子アナや佐治真規子アナと違って曲名などを2回と放送しない人です。今朝も案の定でした。

notes元NHKジャーナルキャスターだった中島アナが担当する土・日は音楽を聴くとき神経尖らしてじっと聞いていないとわからなくなる。この人は音楽の初めと終わりに2回同じ事をいうのが煩わしいようです。

bell「音に会いたい」では、リスナーの思い出の光景をNHK所蔵音源や効果音で再現するコーナーである。今朝のそれは、あの太平洋戦争末期、22歳で白木の箱になって息子が帰ってきた静岡出身の母親からのリクエストだった。

shoe昔の兵隊さんと言えば起床ラッパの音で起床して就寝ラッパの音を聴いて床につく。その音はなぜか悲しい音でした。そして隊列を組んで行進する軍隊の靴の音。ザックザックザックと遠ざかっていくまで聞えたものです。

scissorsお母さんが軍隊へ面会に行くと新兵さんだけは面会できず、あきらめて裏門にまわると息子たち新兵さんたちの行進と出くわした。母は息子の顔をみつめているそのとき、息子は2本の指を見せて行進して去っていった。あとで考えると2本の指は2日後に戦地に行くよという別れの合図だった。

danger天皇陛下バンザイと言った死んでいったものは誰もいなかった。短い人生でした。よもや親より早く死んでいくとは。「父上、母上、こんな親不幸な自分をお許しください」と言って死んでいったのです。

musicなぎら健壱の「あのころのフォークが聴きたい」では「フランシーヌの場合(新谷のり子)」だった。白髭神社に参拝し7時に帰宅すると万歩計は14650歩になっていた。帰り道でウグイスの鳴き声を聞いた。「ホーホケキョ」 「ホーホケキョ」としっかりした鳴き声だった。

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末川博先生の音声を聞く

ラジオ深夜便の「生きるということ」と題した今は亡き立命館大学総長、末川博先生の録音を聴いた。昭和42.2.16-18の録音らしい。懐かしい先生のお声をほんの少し聴くことができた。53年昔がしのばれる。先生は平安神宮近くの岡崎に長年すんでおられた。詳しくいえば神楽岡の南にある小さな丘の西側、東福の川にずっと住んでおられた。

「京都ならではの濃い緑の中にいて東京や大阪は人間の住むとところではないが京都はまだ人間が住める。平安神宮につながるこの地域は何となく落ちついた空気がただよって好きである」と著書の中でも書かれている。

さて、4時からラジオ深夜便、わが人生の歌語り、五木寛之と須磨佳津江アンカーの対談を聴きながら公園へと急いだ。公園から抜け出て国道1号線へと歩く。5時10分ごろより夜は明けてきた。晴れて今日は雨の心配もなさそうです。南沙織の「色づく街」、「浮世絵の街」、森進一の「冬の旅」、五木寛之作詞の「2丁目の子守歌」などが流れていた。

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高齢化するラジオ愛好家

毎朝NHKラジオを聞いて散歩している。寝ているときもよく聴くのはNHKのラジオ深夜便だ。今朝もダンスはうまく踊れない、赤いスイートピー、居酒屋の歌が流れていた。4時半から散歩にでる。4時43分の気温は26.3度で湿度は88%でした。ラジオ聞きながらいつものコースを歩く。ボストンの「宇宙の彼方へ」という曲が聞こえていた。

新聞によると「高齢化するラジオ愛好家」とある。ラジオ深夜便はお年寄りを意識してかアナウンサーの言葉もゆっくりと丁寧です。なかでも葛西聖司アナ、宮川泰夫アナ、遠藤ふき子、須磨佳津江が好きです。そしてラジオあさ一番では濱中アナ、遠田恵子、佐治真規子、はゆっくり丁寧に言うのが好きです。高齢者になると早口で言われると聞きずらいのです。

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