僕の生き甲斐で夢だった

僕は昨日でサークルのトップ役員を引退した。もっともっと早く辞めるべきだったがなんやかんやで遅れていた。ねんごろに6年3ヶ月かけて作った四日市パソコン同好会は僕にとっては生き甲斐で夢だった。先ずサークルの場所作りで前途真っ暗になったこともあった。パソコンが拝借できて尚且つインターネットができるようになってから会員はどんどんふえた。

会員がふえると講師をさがすのに一苦労した。なかなか講師はみつからず縁故をたどって必死にお願いした結果、みんな安い謝礼でも引き受けてくれました。こうしていい講師にも恵まれ今では120名の会員を4人の講師でやってもらうようになった。120人を8クラブで均等割りにすれば15人。講師1人で15人を担当しますから4人の講師で大体いいわけです。

講師はベテランの熟年がよい、若い人もよい、女性講師もよい、ということを念頭にさがしサークルにふさわしい陣容で同好会は、大きな事故もなくやってこれました。でも、大波、小波はありました。センターの館長に叱られたこともあった。公用パソコンを落下させ壊して全額弁償してほしいと言われたこともあった。そのほかパソコンの保管キーを受けに行ったり終わると返却にいったり、余分なこともせねばならない。

まあ、得することは何もなかったが、最後にお別れの挨拶をしたとき、いつも僕に反抗的だった人が拍手してありがとうと言った。それがとてもうれしかった。僕も「ありがとう、お世話になりました」と言うのが精一杯で涙をぐっとこらえた。寝てからもその人の顔が浮かんできた。まあ僕のようなものでも気力だけでやってきた。みんながこれからもっともっと楽しい雰囲気でサークルを楽しんでいただけば本当に僕はうれしい。

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