12月8日をふりかえる
今日12月8日は何の日か知っているかと妻に聞いても即答がなかった。僕も昭和16年(1941)12月8日のことは少し忘れかけているが、確か12月8日か翌日9日の朝刊に9人の軍神の写真が載っていた。当時の新聞が残っていたらもう一度、見たいものです。僕は満10才2ヶ月だった。軍神とは真珠湾攻撃で敵艦を急襲して戦死した9人の神様と呼んだ軍人たちです。
いまどきの若い人にとっては何のことかさっぱりわからんと思うが僕は国民学校4年だった。日本がこれから太平洋戦争が始まり鬼畜米英と戦うのだという大変な時代に突入したことを子ども心にも悟っていたようです。いよいよその日が来たと学校でも国民学校と呼ばれるようになり軍国調になっていきました。真珠湾攻撃のことや12月8日のラジオ放送については、検索するとたくさんの記載があった。
ラジオから流れたニュースは「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。 大本営陸海軍部。十二月八日午前六時発表、帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋に於いて、アメリカ・イギリス軍と戦闘状態に入れり」と、ラジオから館野守男アナウンサーが緊迫した声で放送していたのです。
この日、午前中だけでも開戦を知らせる臨時ニュースが5回放送されているらしい。午後は勇壮な音楽放送が行われていた。午後6時半から30分間、「合唱と管弦楽」と題して、軍艦行進曲や海ゆかば、敵性撃滅、遂げよ聖戦などが放送されていたとラジオの昭和史には書かれていた。
大本営発表はこの日を期に何回も聞かされたが今にしておもうと日本に都合のよいことばかり発表していたのです。学校の様子も急激に変わったいきました。学校では太平洋と東南アジアの大地図がはられ、日本軍が進軍してゆき次々と日の丸がついていた。僕もシンガポール、ボルネオなど日本が占領したところを赤色鉛筆で赤くぬっていたものです。
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