天皇の青春秘話と身近にみた陛下

5時24分の気温は0.4度で湿度は84%で風速1.3mだったがラジオ体操が始まる6時半では氷点下1.1度になった。ひんやりしたが30名ほどが体操にやってきた。いつものようにラジオをききながらの散歩です。NHK東京放送児童合唱団の「冬景色」、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」の曲が流れていた。

さて昨日のテレビで「天皇陛下青春秘話~銀座脱出事件」を見ていた。天皇がまだ学習院大生の皇太子時代のことを学友で元共同通信記者の橋本明さんが語っていた。皇太子から銀座に行きたいと相談され、「今宵、殿下を目白の方にご案内したい。」と皇太子側近を騙し、同級生の千家崇彦氏と3人で銀座に繰り出し大騒ぎとなる。いわゆる銀ブラ事件だった。

「花馬車」という店に入り2階の窓際の席で落ち着いてアップルパイと紅茶を頼んだ。殿下もあり金を全部出してお金を払って下りていったとき「殿下こんばんは~」と声がかかって殿下も「こんばんは」と言ってすれ違った。慶応ボーイだった。目白警察署の刑事4人くらいが15~16メートル後ろからついてきた。

銀座の街では私服警官が警備をしていたという。愚息が学習院に入学の当日、キヤンパスで今の皇太子が近くで学友と談笑していた。このときも私服警官が遠くから見張っていた。春、皇居のほとりを家内と歩いていたとき突然、半蔵門から出てこられた陛下の車とバッタリでくわし、信号のところで緊張して待っていると窓から手をふって応えてくださった。あの日のことは今でもはっきり脳裏に浮んでくる。

さて、遠藤実さんが国民栄誉賞の授与が決定的になったとテレビが報じていた。彼は昭和7年東京生まれで疎開先の新潟で歌に目覚めた。家計を助けるために14才で工場の見習い工になる。17才で上京、流しとなり独学で作曲を始める。18才の時に3つ年上の節子さんと結婚。苦節8年ののち昭和歌謡のヒットメーカーになった。作曲家になるまで妻が貧乏生活を支えてくれたという。その節子さんも遠藤さんより先に逝ってしまった。

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