間寛平がオーラの泉で語る

5時2分の気温は氷点下1.3度でした。ラジオから「恋人と別れる50の方法」という曲が流れていた。ラジオ体操はこの寒い中23名がきていた。神社参拝をして帰宅7時過ぎだった。万歩計は14.365歩になっていた。

さて、夕べは間寛平がオーラの泉に出演していた。1月15日現在、寛平は日本から2056km進んだ太平洋上を航海中でこの番組はアースマラソンに出発直前に収録されていた。

60歳目前に挑戦を決意した寛平だがなぜ今、命がけのマラソンに挑むのか彼らしく答えていた。元マネージャーの比企さんの事を語りはじめた。比企さんは、寛平が「ダメ男」だった時代を支えてくれた人だった。寛平はアメマバッジ10万個生産して約6000万円の借金ができていた。

酒もやんちゃもする中で、借金の保証人になるのを断りきれず「歩くハンコ男」とまで言われて借金まみれになったとき、返せるくらいスケジュールを埋めてやると言ってマネジメントしてくれたんだという。

比企敬之さん(45)元マネージャーは大学時代ヨット部だった。世界一周の航海の部分をパートナーとして、まったくヨット初心者の寛平と一緒に回ってくれることになった。エコ時代なので、人力(マラソン)と風力(ヨット)だけにするという。

比企さんは吉本興業の子会社、よしもとデベロップメンツ社長で寛平を何が何でも届けないとダメなんでつきっきりでヨットを指導した。大西洋を横断した後、比企さんはヨットを中国へ陸送し整備する。

寛平がマラソンを始めるようなきっかけとなった連続してみた夢は、守護霊が見せてくれた。それは寛平がイカンガーで、瀬古さんをレースで負かす夢だった。

お酒もやんちゃもとことんまでやってしまうのは、力を注ぐ何かを見つけられずにいたからで、その何かを見つける手がかりを暗示してくれたという。

直接的には、一緒に飲んでいた吉本新喜劇の池乃めだか師匠が夢の話を聞いて「いっぺん走ってみたら」と勧めてくれたからという。

前世の話では、ネイティブアメリカンだった時代があるということで、寛平がネイティブアメリカンのアクセサリーを蒐集していると告白した。

寛平の話を聞いていた江原氏は真剣な顔になって航海には難しいことがつきまとうと霊視した。だからあんまり賛成できないと言った。

海で戦死した先祖や若くして亡くなった友の事を思うと、どうも困難なほうへ引っ張られるという。船で進む時に躍起にならないで何かあったら無理せずに戻ること。太平洋の航路は慎重に無理しない。退く勇気も大切だという。寛平は神妙に聞いていた。

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