自分が変わる生き方

sprinkle今朝は雨で散歩もままならずラジオ体操は室内で一人ですませた。ラジオから東京放送児童合唱団の「富士山」やいきものがたりの「茜色の約束」という曲が流れていた。天候が回復してからのんびりと公園を散策した。9時43分の気温は10.2度でした。

crownさて、映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞したという快挙でテレビはこのことばかり報じている。「おくりびと」は英語でDepartures出発・旅立ちを意味する。僕自身も「おくりびと」になって、この世から飛び立つ日がやがてやってくる。

sleepy宮崎がWBCで大フイーバーだった。この寒い中で徹夜して整理券を求める人たちが大勢いた。イチロー選手を一目見ようと集まったようだった。

bookきょう吉永みち子さんの著書を読んだ。「40代。自分が変わる生き方」というタイトルです。僕は40代どころかもう78です。今さら変わることもないが「夫婦の会話を業務連絡でおわらせない」ということが気になった。

toilet夫婦で会話がはずまない。ほとんど業務連絡のみになっている。一緒にいても何かつまらない。夫がいる休日より、家にいない平日の方がずっと楽。ゴロゴロしている姿を見ているだけで何だかムカつくと書いてある。

lovely女同士が寄り集まると、配偶者への苛立ちを全開させるのは一種のストレス解消なのかも。しかし、ダメさ加減自慢で何かが変化するわけでもなく、家に戻ればため息が倍加するばかりだ。

apple僕自身は東京や大阪での単身赴任が長く、たまに妻と会うとしゃべっていることがおおかった。今、思うと単身赴任していてよかった。一人で自由に大都会を旅行できたし、いろいろと経験できないことが出来たのも単身の自由気ままな生活だったからです。

tvこの本は読んでいくうちにいろいろといいことが書いてある。吉永みち子さんはテレビでもよくお目にかかれる。読んでいるうちに彼女の顔がおもい浮んでくる。

down僕は昨年10月に自分で作ったパソコンサークルがわずらわしくなって脱会した。そうすると今まで自分の周りに吹いていた風が変わった。風向きも変わった。

sign03サークル活動でも職場でも、いろいろな人がいる。気の合わない人だって当然多数います。サークルそのものは楽しいが、すごくイヤな人もいます。でもなぜイヤなヤツだと感じるのか考える。それは自分を知ることにつながるからです。

sign02うまくいかないという関係は、おおむね、自分こそが正しいと双方が自分本位にしか考えられなくなった時に生まれる。うまくいかなくて当たり前。当たり前のことにカッカしていてもしょうがない。こんな風に吉永さんは摩擦の解消する方法を書いていた。

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健康の味は健康が損なわれた時に味わえる

rain朝は雨だった。歩くこともままならずラジオ体操を家の中でする。早起きの習慣がついていて5時からは寝ておれなかった。

waveラジオから倉本祐樹の「美しい季節」や小鳩くるみの「山の音楽家」、くるりの歌で「春風」の曲が流れていた。午後、天気が回復し公園散策にでかける。13時46分の気温は12.5度でした。

book南伸坊さんが雑誌「壮快」に連載した「健康の味」が本になって白水社からでている。どんなことが書いてあるか以下に抜粋してみよう。

hospital健康の味は、健康の時に味わえず、健康の損なわれた時にはじめて味わえる。病院に出かけてみると、まず「イヤ」というほど待たされた。「病院は人を待たせるなあ」と私は最近の病院事情を勉強した。

run健康の味は、健康が損なわれて、そして回復できた、ほんの短い期間にのみ味わえる味である。健康が常態になった時、人はすみやかにその味を忘れてしまう。

sign02健康なときよりも、死にそうだと思っているような時の方が、美しいものが美しく見える。自分にご都合いい主義の楽天人生。健康の味は喉越しの味かもしれない。喉元をすぎれば忘れてしまう。

up徒歩もけっこう体重減に効くと思う。そんなにタイソーな距離を歩かなくとも、なるべく歩くようにするだけで体重が減るようだ。

flair病気なんて、びくびくしていたら、カンタンに本格化してしまう、というのが私の考えで、病人をびくびくさせる医者は信用できない。

punch病気になる前に、今ムリしている人に、生活を変えるか、ガンバリすぎない生活をするっていう選択肢があるっていう、そのことだけがつたわったらいいなと思ってます。

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またもや南部丘陵公園で自殺騒動

xmas5時28分の気温は9.4度で湿度は65%でした。風速は3.8mで温かい朝です。ラジオから高木良子の「もう春だ」や松任谷由美の「春よ、来い」の歌声が流れていた。ラジオ体操は24名が集った。さて、昨日の朝、またまたこの南部丘陵公園で若い女性が自殺した。

sign01わが家の前の市道をサイレンの音もけたたましく走っていく救急車や消防車を見たのは昨日2月15日の朝7時ごろだった。多分、山火事かボヤかと思っていたら、北部ゾーンの市民壇うしろの坂道を登った付近で自殺があり、たちまち立入り規制がしかれたという。

sign03このことを知ったのは今朝のラジオ体操のときだった。僕は体操が終わってから詳しく知っている人に確認のインタビューした。新聞には載らなかったがと昨日の朝の騒動を話してくれた。この公園での自殺者はこれで2件目。いつも早朝の公園を散歩している僕は怖くなってきた。

snowboardさて、本日のテレビ街歩きはブタベストだった。ブタベストとはアマチュア無線で交信したことがある。QSLも受け取っている。それだけに興味深々でした。

yachtハンガリーの首都ブダペストは、ブダとペスト2つの街を合わせた名前。ドナウ川の東のペストは、ハプスブルグ王朝の皇后が愛した街だ。

nightドナウ川をはさむブダとベスト、2つの街が一つになったブダペスト。今回は古き王宮が建つブダの丘の尾根歩き。煙突そうじ、冬支度のご婦人、午後3時半からは夜景を満喫。

wine冬空を支えるかのように王宮が建つブダの丘を歩く。丘の尾根づたいに歩くと静かな住宅街。ふと物音に見上げると煙突そうじの人が冬支度していた。

event中庭では落ち葉の景色が大好きという婦人に出会う。公園の池には青々としたハスの葉。その理由は落葉で作った肥料にあった。

waveドナウのほとりに戻った午後3時半には、もう建物にイルミネーションがともり、川面(かわも)に映る。夜景を満喫した。

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バレンタインチョコの思い出

sprinkle今朝は雨で歩けなかった。ラジオから西六郷少年少女合唱団の「鉄道唱歌」や五輪真弓の「心の友」という曲が流れていた。著者に聞きたい本のツボは第140回直木賞受賞作の「利休にたずねよ」の作家、山本兼一氏だった。

snowboard雨のためラジオ体操は家の中ですませた。9時半ころから晴れてきた。9時53分の気温は15度で湿度は78%でした。風速8m~8.7mの強い風が公園を吹き抜けていた。紅白の梅が咲き乱れていた。3月1日梅見会ですが、それまでもつだろうか。

sign03舛添厚生労働大臣からtoo late ツーレイト(遅すぎる)という言葉を2回ほど耳にした。舛添大臣は「参議院との調整ということなら『too late(遅すぎ)』。言うならもっと早く言って下さい」 と発言していた。

yachtキャロル・キングの名曲で中島美嘉が 「愛にルールなど邪魔になるだけ」IT'S TOO LATEと歌っている。約束も言い訳もIT'S TOO LATEです。

heart04バレンタインデーのチョコは可愛い小3の孫娘がくれる。昔、多摩川の巨人軍グランド近くで若い娘が選手からサインをもらっていた。豪華な車の中をひょいと覗くと義理チョコが座席にいっぱい転がっていた。現監督の原選手の車だった。

baseball原選手は練習を終えて帰途につくべく車を走らせようとした。そのとき車に若い娘が近寄っていってサインを求めたのだった。原さんは「早く、早く!」と言っていたが娘はなかなかサイン帳がでてこない。原さんはかなりあわてていた様子。監督にみつかるとまずいと思ったようでした。

carそばにいた僕が「娘のお父さん?」とでも思ったのか原選手はサインすると会釈して立ち去ったのです。僕も何か悪いことしたようで、あの場所から早く立ち去ればよかったと後で反省した。

sign05今日は「聖バレンタインデー」です。今年もバレンタイン商戦は不況知らずのようです。最近は自分用の「マイチョコ」を買う人が増えたという。友達への「友チョコ」や男性から女性への「逆チョコ」など贈り方も多様化している。この時期にしか食べられないチョコを買う人、自分へのご褒美に買う人も多いという。

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きょう必要なものだけ買う

night5時40分の気温は6.6度で湿度は73%でした。そして6時26分では7.8度で湿度は65%に変わっていた。ラジオ体操は23名が参加した。散歩中、ラジオから吉川忠英の「春が来る」やジャネット・ジャクソンの名曲「急がせないで(Let's wait A whiie)」という曲が流れていた。

sign02岡田斗司夫さんという評論家が2月7日の朝日新聞ばらんすシート欄に「きょう必要なものだけ買う」と書いていた。いいことが書いてあると僕はその先を読んでみた。

down続きを原文掲載すると「大半の人が買い物で使うお金の額は、本当に必要な額の3倍になっていると思います」。つまり①本当に不可欠なもの②理想や希望を満たすもの③念のためのものに分けられると見る。

wave②と③の抑制のために買い物の細かい支出を振り返って自分を「バーゲン買いや買いだめはしない」 「その日その時本当に必要なものしか買わない」ようにし向けてゆく。

ski先々の支出を予算化して「未来家計簿」をつけるのが有効だそうだ。経済格差が広がり二極化が進む一方で、富者も貧者も同じ文化を楽しむ入り組んだ社会。その進展と変化に目を凝らす。以上のように補足してあった。

apple僕もつい買いだめしたりバーゲンに走ったりしていた。今、買っておかないと値が上がってしまう。灯油なんか安くなると買いに走る。今あるのにさらに買う。灯油は値段が変動するから安いと判断すると買いに走る。

bud衝動買いはいけないと思いながら、つい買ったりします。バーゲンのちらしを見ると少しでも安く買いたいために予算を無視して買う。自分の意思の弱さをつくづく感じます。予算化して「未来家計簿」をつけたほうがよいのだろうか。何かむつかしく考えてしまう。

up本当は「その日その時に必要なものしか買わない」のが良いことはわかっていながら意思が弱いというかついつい買ってしまうのです。安いうちに買っておかないと何か損をした気分になるのです。僕は宝くじに弱く、めったに買わないが「3億円の当選者が当店から出ました」と書いてあると胸がさわぐ。あの時に買っておけばよかったと思うのです。

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今日のために今日がある。

fujiきょうは立春です。5時40分の気温は1.3度~1.6度になっていた。6時20分では2.6度で湿度は74%になり6時23分に1.9度になり、それからは再び気温は少しづつあがっていった。

noteラジオ体操は30名が参加していた。ラジオからダークダックスの「星の界(よ)」やスピッツの歌で「魔女旅にでる」という曲が流れていた。

tulip暖房の居間に置かれたシンピジューム、ハイビスカス、ルビースター、ロージーセンセーション、ローズジャイアント、アリスデライトなどを庭にだしてシャワーで洗う。それから部屋の掃除をする。

carouselpony確定申告書を試算してみた。結果は昨年同様に吐き出しです。昔は無線雑誌の原稿料などもらっていて目黒税務署へ確定申告に通った当時が懐かしい。今はほそぼそと年金で生きている。

sign03どうせ、あちらへは手ぶらで行くのです。何もアクセクしてもいまさらどうしょうもない。人間の欲望はキリがない。トシとって貪欲にはしるのはみっともない。ほどほどに食っていければいいじゃないか。

bud「一日は一日のために、今日は今日のために、今日のほかに人生は無い。今日のために今日がある。のんびりとゆっくりと気の向くままに」「そうか、もう君はいないのか」「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」と城山三郎氏も述懐している。

shoe南部丘陵公園の梅の花が咲いていた。もうだいぶ前から咲いていた。僕もテレビばかり見ている。書斎にいても妻がつけているから当然、こちらもテレビに気がいってしまう。毎日が散歩、ラジオ体操、買物、そして読書に耽る。

pc寝ころんで好きな本を読むのも何よりの楽しみ。本を通して人間を観察する。ときどきインターネットで検索してその人を詳しく調べるのも面白いものです。

yacht城山氏は余生の指針。楽楽鈍。何も気にしないと書いている。自分も楽しむことを優先したい。テレビで楽しむもよしです。もうこのトシになったら日々楽しむことです。自分も眼前のみこそ人生、楽々鈍で!

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教師が生徒の指紋採取したことに思う

chick5時29分の気温は氷点下1度で湿度は91%だった。いつものことながら6時27分では氷点下2.9度まで気温は下がっていた。ラジオ体操は20名が参加した。散歩中、ラジオから内田裕子の「冬の夜」やハナレグミの「家族の風景」という曲が聞えていた。

sign01さて拙宅からも近い海星高校で紛失物の盗難を疑った担任の教師(57)が、生徒の指紋を集めていたことが分かりNHKニュースやみのもんたの朝の番組、ミヤネヤの番組でも報道された。この教師は紙を渡し、生徒一人ひとりに指紋を押させ、クラスほぼ全員の23人分を取っていた。

enter海星高校によると、1年の男子生徒が去る1月21日、体育の授業中に貴重品袋に入れていた携帯電話からメモリーカードが盗まれたと申し出た。担任の男性教師はクラス内での盗難事件と疑いましたが、誰も名乗り出なかったことから、一部の生徒を除く23人に紙と朱肉を回し、指紋を押させた。

sign03海星高校の西田校長は「盗難問題を早く解決したかった。指紋を取って調べれば、いずれ分かるんだから、早く言いなさいということでやったそうです」そして男性教師は、「生徒の指紋を警察などに出すつもりはなかった」と話していた。

bud学校は処分を検討するというがこの教師はいつもこんなことを考えていたとしたら人権軽視も甚だしく問題ですが、単なる脅しでやってしまったようだから厳しく処罰するのは可哀想です。父兄たちの意見も聞いて穏便にすましてやってほしいと思う。

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なにごともホドホドがよい

note今朝も3時過ぎから「にっぽんの歌こころの歌」歌謡スター・思い出のヒット:前川清集をベットで聞いていた。東京砂漠、長崎は今日も雨だった、花の時・愛の時、そして神戸、中ノ島ブルース等の曲が流れていた。

happy015時28分の気温は氷点下2.9度で湿度93%でした。それから1時間後の6時28分では氷点下3.2度になった。ラジオを聞きながら暗い公園を歩く。川田正子の童謡「春よ来い」やMISAの「約束の翼」の曲が聞えていた。ラジオ体操は22名が参加していた。

down古新聞を再生ゴミに出すべく整理していたらコラムニスト天野祐吉さん朝日新聞の「CM天気図」にこんなことを書いていた。「なにごともホドホドがいい。風呂の湯加減じゃないが、いいかげんがいちばんだ。

cherryこの半世紀、ぼくらは働きすぎた。豊かさを測るモノサシは、カネ尺だけじゃない、ヒマ尺も必要だ。職を失うのはもちろん困るが、働きすぎもいい加減にしなくてはいけない。

sign05ヒマができれば、乾きがちな自分の心に水やりをするゆとりもできるし、仕事を分け合うワークシェアリングだってやりやすくなる。

appleそれじゃ食えなくなるというのもわかるけれど、ここはひとつ、「おてんと様と米の飯はどこへでもついてくる」という昔の人の言葉を信じるしかないだろう。

t-shirtヒマすぎるのも考えものだが、ヒマ人がいないような世の中は、とかくギスギスして、ロクなことはない。

up何事もホドホドがいい。僕も本当にそう思う。いい加減がいいのです。働きすぎもよくない。適当に中庸を行くのがいいのです。

book城山三郎の「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。この本は妻の容子さんがガンで倒れる前年から自身が世を去る3ヶ月前までの9年間に綴られた感動の記録でした。僕たちはもう、余生いくばくもない。死んだらなにもかもなくなる。そして、あちらへはみんな手ぶらで行くのです。

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みんな夢持って生きよう

rain5時39分の気温6.9度で湿度は99%でした。温かくて少ししぐれていた。ラジオからタンポポ児童合唱団の童謡「きしゃ」やスキマスイッチの「冬の口笛」やエンドレ・ヘゲドシュの「愛の夢」が流れていた。午前中は晴れて温かかったが午後からにわかに曇ってきた。

happy01昨夜は日テレのモクスペ(Special on Thursday)を見ていた。紳助VS100人の子ども達、 親の知らない仰天世界ドキドキ初体験SPで2時間を楽しむことができた。いまどきの子ども達はわれわれの子ども時代とはまったく違う。

apple「恋」や「友情」「ケンカ」「試練」など、子どもたちが初めて味わう”ドキドキ体験”に密着していた。管野圭祐君は8歳で63kの巨漢だった。お父さんは迷わず「将来の横綱」を夢見て、わんぱく相撲道場へと入門させた。

shoeしかし、体は大きいのに泣き虫なのが玉にきず。連日の厳しいけいこに泣いてばかりで、実力もそれほどではない。そんな圭祐君に好きな人ができた。クラスのマドンナ的存在のミナミちゃんだ。そのミナミちゃんと「次の大会で優勝する」と約束してしまった。

bud旅芸人の子は2ヶ月ほどで学校を変わる。親友がなかなか出来なかったが友達が村の祭りに誘ってくれた。嬉しくて芸のセリフを覚える時間もなくなるまで友達と遊んでしまった。そして父に叱られて懸命にセリフを覚える。でもなかなか覚えられない。

spaチビッコ旅芸人はお礼にはじめてできた親友を呼んで一緒に遊ぶ。そして僕がもっとも感動したのはチビッコ旅芸人が初めての親友が出来て別れる時だった。別れる時「みんなからのプレゼント」と言って学友たちがかけつけた。去っていくチビッコ旅芸人一行の車をみんなが走って追っていた。

up紳助は言った。「イジメの問題は親の問題。親に言えばイジメを解決できると思っている子どもは親にちゃんと話をする。でも親に言っても仕方がないと思っている子どもは一人で抱えてしまって、命を落とす場合もある」
sign05「親に必要なのはイジメに対する態度である。自分だったらどう解決するのかのノウハウを常に子どもに話しておくことが必要で子どもがそれを理解していれば万が一のときにも親に話をするだろう」

tulip紳助は小学生に「オッチャンの話を聞け!」と一喝し「今キミたちに伝えたい事は学校は勉強しに行っている場所ではない。みんな夢を持って生きよ!」と励ました。あの紳助がいいことを言ってくれた。
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参議院予算委員会で漢字テスト

きょうは大寒。4時56分の気温は3.4度で湿度78%でした。意外にも暖かく感じる。ラジオからタンポポ児童合唱団の「おおさむこさむ」の曲が流れていた。大寒なれど春遠からじです。

ニュースで歌手の秋元順子が、昨年1月23日に発売した「愛のままで…」が26日付のオリコンシングルランキングで1位になったという。61歳7ヶ月での首位獲得は、小田和正の1歳8ヶ月を更新する最年長記録という。団塊世代の星といわれる所以です。

今朝のラジオ体操は26名が来ていた。神社に参拝し帰宅すると万歩計は15.631歩になっていた。朝食のとき「悼む人」で直木賞をとった作家の天童荒大さんがテレビ出演していた。静人日記を書いているという。

天童さんは物語の主人公の静人と同じように3年間日記を付け、資料を集め、地図を頼りに現場を歩き、辛く厳しい夜を経験し、自身も“悼む人”になった。「静人が5年かかったように、同じように時間が必要だった」という。

「自分が死に近づいていたことが分かった」「生きていることのむなしさが分かった」「取りつかれた感じがあった」と、天童さんは言う。それは「これを作品にできなければ、作家になる意味がない。大切な作品になる」と、思っていたからだ。作品になるかどうかは完成するまで分からなかったという。

参議院予算委員会をテレビで見ていた。民主党の石井一議員が麻生首相に漢字テストでかみつく一幕があった。石井議員は、月刊誌「文芸春秋」の昨年11月号に掲載された首相の手記で使われた「就中(なかんずく)」など12個の漢字を並べたボードを用意し、「相当高度な漢字だ。これを隠して、どれだけ読めるかやってみたかったが、先に渡してあるから今なら読めるだろう」と首相を挑発していたが失礼な人だと思った。

これに対し、首相は「多分、みなさんが読みにくいのは『窶し(やつし)』ぐらいではないか。後の漢字は普通、みなさん読める」と答えたが、さらに石井氏は「もしそうなら、なぜ未曾有を「みぞうゆう」、踏襲を『ふしゅう』と言うんだ。おかしい。強弁だ」と反論していた。

出口宗和氏の単行本「読めそうで読めない間違いやすい漢字」の本がよく売れているという。ミヤネ屋で早速、テストしていたがなかなか完璧には出来なかった。正しく読んでいるつもりが実は…というのはよくあることです。

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お歳暮解体セール始まる

bud5時37分の気温は0.2度で湿度72%でした。6時22分には気温、氷点下0.6度で湿度76%になった。いつものように公園からでて街路灯の下を歩いた。ラジオからダークダックスの「ペチカ」や平原綾香の(優しい時間の主題歌)「明日」の曲が流れていた。歌詞を検索してみた。今朝も寒い中、ラジオ体操は26名が参加した。7時に帰宅すると歩数計は11.000歩になっていた。

ringテレビでデパート売れ残りお歳暮の激安セールに主婦が大行列しているのを見る。そのあと中央大で教授が刺殺され黒い帽子の謎の男を追っていた。また別のテレビ局も学内のトイレで45歳中央大教授を刺殺した犯人追跡をやっていた。どこの大学も簡単に誰でも入れることを規制できないのだろうか。

school最近は小中学校は防犯カメラが設置されているが大学のキャンパスは広いからどこからでも入れる。東大正門には守衛がいるが一般人はなんのとがめもなしに入れる。慶大や早大も簡単に侵入できるから困ったものだ。犯人は簡単に電車でも逃げられるから、もっと監視カメラをキャンパス内に設置してほしいものである。

P1010013s あの田宮栄一氏が犯人像について語っていた。就職、進級のトラブルか業者とのトラブルなどの怨恨からではないかと語っていた。

sign02さて、お歳暮解体セール情報を見る。たとえばフルーツジュース120円→55円。みりん529円→240円。焼豚1260円→315円。2割から5割くらい安く買えるようである。近くの近鉄百貨店でも明日から解体セールが始まる。解体セールは缶ビール、べにばな油、みりん、コーヒーなど重いから配送にしたほうがよいかもしれない。

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テレビで見る福袋争奪戦

6時5分の気温は4.9度、湿度は77%だった。そして体操が始まる前6時25分では4.2度になっていた。18人の仲間たちとラジオ体操をする。サザンオールスターズの「涙のキッス」という素晴らしい音楽が聞えていた。

今日は快晴。午後のひととき南部丘陵公園を散策した。気温は10.7度になっていた。ラジオ体操会場の近くから「伊吹山」が見えていた。そこからしばらく歩いて73段の階段を登った展望台から南のほうに「神島」がくっきりと見えていた。さらに少し東の丘から「御嶽山」が見えていた。

昨夕と今朝とテレビで気になる福袋争奪戦に密着取材していた。名古屋では松坂屋、丸栄、パルコ。丸栄での福袋の売上げはおよそ2億円とのこと。不景気のなか福袋戦線に異常ありと思いきや客が殺到した。

メーテレの小原佳代子アナがこの福袋争奪に密着している。正月の運試しに来る人が殆どである。中には事前に店に電話をかけて調査する人もいる。福袋の個数や置き場所をチエックするという。エスカレーターはもしかしたら人数を区切られて上がっていくかもしれない。そうなると自分のペースで行ける階段の方がいいかもしれない。

娘のために母が奮闘していた。携帯で連絡とりながら別々に行動していた。またバイトしてお金をためて買いにきた若い女性がインタビューに応じていた。丸栄で福袋を買うのははじめてだから、どういう風になるか分からないいから、この後どうなるか不安だという女性もいた。そして丸栄はAM9時スタートした。松坂屋は8時30分にスタートしていた。1月2日の丸栄全館の売上げは前年比2.5%のUPだった。

銀座松屋の開店は9時間半だった。10万円相当のものが1万円です。あと戦い大丈夫でしたか?と聞くと転んじゃいましたが大丈夫です。プラタン銀座ではオープンから1時間たった時点でまだ25袋売れ残っていた。整理券をもらいながら買いにこない人がいる。果たして完売するのか?

ただいまモード館で女を磨く福袋がキャンセル待ちのお客さんが続々と購入。キャンセル待ち販売しても10袋も残っていた。売り場が7階のためにお客さんが集まりにくいという。

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今年は牛になろう

bullettrain5時50分の気温は4.6度で湿度は66%になっていた。風速は2.6~3.0m。ラジオから東京混声合唱団の「箱根八里」やジェイク・シマブクロの「タッチ」という曲が流れていた。ラジオ体操は16人が薄暗いライオン像広場に集まった。体操を終えてから白髭神社に参拝。靖国遥拝所から東京に向かって参拝する。

sign02朝9時前からスーパーに並んで10時開店を待つていた。電動自転車が47.700円で3台限り売るので整理券配布まで待つ。待っている間、前に並んでいる主婦の話を聞いていた。長男が電気通信大学大学院生で次男は京大生、三男は都立高校生とのこと。主婦は旦那さんと一緒に来ていた。

moneybag待っている1時間はとても長く感じるものである。こうして僕と家内と4人で世間話している間に時間がきて、早速、妻は電動自転車初乗りで帰宅し僕は一人で帰る。乗り心地はいい。坂道が楽々である。買ってよかった。でもバッテリーがよく故障すると聞く。

bicycle電動自転車も千差万別、今では色々なものが売られている。本日、買ってきたのはナショナル製で安いが10万もするものもあるらしい。上をみていたらキリがない。妻は自動車免許がないからこれでガマンするしかないのです。

down僕は大型、中型、大型自動二輪の免許を持っている。でも、最近はバックの車庫入れが簡単には出来ず、何回もやり直すようになった。78歳になってこれから先どうなることか吾ながら心配である。

rvcar今日の新聞に昨年の交通事故死5155人。過去最悪だった70年は16765人だった。それと比べると最多時から7割減になった。都道府県別の死者は①愛知②埼玉③北海道④東京で東京は戦後最小になったと報じた。

car交通事故死が少ないのは①鳥取②長崎③島根と徳島の順となった。年齢別では65歳以上の高齢者が126人で全体の45%を占めた。警察庁の今年の目標は「死者5千人以下」と設定。高齢者運転者対策を重点に置くという。

parking「東京でくらした3ヶ月の間に、待つことがずいぶん苦手になった」とうニュージーランドの記者のことが天声人語に載っている。「便利さや快適さ、効率などへの期待がずっと増した。要するに、私はベストなものを今すぐほしがるようになった」日本社会の魔法だろう。

cherry夏目漱石の言葉<吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れない>を反芻しながら、牛歩の価値に思いをはせてみた。と天声人語は結んでいた。

up電動自転車で便利で快適になった。ベストなものがほしがるようになった。そして高齢者の事故死が多いなか高齢者は牛のようにゆっくり歩くほうが無難なのだ。こういうことを反芻しながら、つまりくり返し味わいながら、せかせかせずに牛のように悠々と暮らしたほうがよいようだ。

carouselpony牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないものです。夏目漱石の言葉を思い出して今年は牛になろうと思うがせっかちな僕にはこれまた至難なことである。

baseball午後はアメリカンフットボール日本選手権の「立命館大学×パナソニック電工」を見ていた。前半で大きくリードした立命館大が逃げきって5年ぶり3回目の優勝を果たした。

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年の初めに

5時40分の気温は0.2度で湿度は92%風速1.4mだった。2009年の幕開けです。元旦でもいつものように1万600歩を歩き、ラジオ体操を23名でする。体操が終わってからご来光を見るべく小高い丘へ。一番高い展望台は既にいっぱいの人が集まっていた。僕たちはコンビナートやセントレア空港が見える小高い丘に行く。

素晴らしいご来光だった。今年の元旦は晴天でよかったと思ったら、8時半を過ぎるころから曇ってきた。今朝もラジオからクラウン少女合唱団の「一月一日」や水前寺清子の「365歩のマーチ」の曲が流れていた。

朝から福袋をもとめてスーパーとスポーツ店とパソコンシヨップなどをみてまわった。9時開店のところ10時開店のスーパーもあった。また11時開店の店もあった。僕たちはここで衣料を買った。

さて、大晦日はNHK紅白歌合戦を最期まで見ていて終わってから入浴し就寝したのは元旦の午前1時になっていた。そして5時半ごろから暗い公園へ散歩とラジオ体操にでかけた。4時間しか寝ていなかった。

紅白は今年はなぜか照明が悪かった。歌手の服装に合わしているのだろうか。でもちょっと変だった。せっかくの歌手の盛装が照明が青くなったりして台無しになった。NHKがこのように過去最悪の照明だった。

僕は過去4回、NHKホールで紅白歌合戦を見てきたがテレビを見ている側からみると今回の照明は失敗だったと思う。司会は二人とも大変よかった。歌手では森進一の「おふくろさん」、コブクロの「時の足音」、SMAPの「この瞬間(とき)きっと夢じゃない、東方神起という韓国人の歌がよかった。

紅組の大橋のぞみ、水森かおりの輪島朝市、そして大トリを勤めた氷川きよしの「きよしのズンドコ節」が好感がもてた。

元旦の朝、東京の孫から電話がきた。お年玉のお礼を言っていた。孫よりも今年は自分がぼつぼつおかしくなってきた。このままいけば完全に認知症である。

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トシとってから後悔すること

5時42分の気温は1.8度でした。6時25分には0.4度にまで下がっていた。公園は月の光で明るくラジオから土居裕子のエーデルワイスやクリスマス(ベイビー・プリーズ・カム・ホーム) の曲が流れていた。

さて、最近は僕たちの若いころとちがって40才になつても独身でいる人が結構多いようです。なぜ結婚しないのだろうか。独身生活を送っているほうが勝手ができていいのだろうか。僕は25才で結婚した。妻が21才だった。当時はこれがごく普通でした。40才で独身の人はほとんどいなかった。給料は安かったが結婚すると一家の大黒柱として一生懸命に働かなくては食っていけなかった。

会社と家庭とどちらを大事にするか両方とも大事ですがどちらかいうと家庭を大事にしてきた。子どもができればそれなりに父親としての責任感もわいてくる。子どものためにも精をだして働くものです。当時は土曜日は休日ではなかった。それでも子どもが大きくなるにつれ一家の犠牲になって働いた。

このトシになって、いちばん大切な生き方とは何なのかと反省する。 休日は自分だけの趣味に凝っておれなかった。でも僕は結構、休日はアマチュア無線を楽しんでいた。その当時は送信機も受信機も電源もアンテナも自作する時代でした。県立工業高校でコイルを作らしていただいたり電源を作ったりした。真空管の時代で、秋葉原まで真空管を買いに行ったものです。アンテナも割り箸を使ってダブレットアンテナを自作した。

その当時は今のように物がなかった。苦労して自作した電源、送信機、受信機、そして自作のダブレットアンテナからおそるおそる電波を発射し北海道のアマチュア局と交信できたときは天にも昇る気分でした。テレビがやっと世に出たころです。当時はアマチュア無線は「趣味の王様」でした。

今は昔と違って生涯一人で暮らす人も多くなった。一人住まいマンションも結構多いようです。シングルライフを送る人たちが増えたことはこうした一人向けの住宅が登場し食事するテーブルと書斎机が一緒だったりする。一人住まい住宅はドア一つですべての部屋に行けるように設計され家族住宅よりも制約がなくなり、趣味の部屋まで設ける贅沢な一人暮らしがますます結婚せず、子どもも作らない傾向になっていった。

女性は男に頼らなくても十分生きていける。でも子づくりは女性に頼るしかない。子どもがほしければ男女とも精子、卵子を使って人口受精させればよい。そう考えるともはや子づくりは結婚の前提にならない。そして女性は男に頼らなくても食っていける時代になった。

こう考えてくると独身で暮らしたほうがよいかも知れない。でもトシとると妻がいない子どもがいないということはものすごく寂しいものです。結婚しなくても籍をいれずに事実上の夫婦生活を送っている人もいるが子どもは宝です。子どものために働く、苦労するのも生き甲斐になる。

結婚したほうがいいか、しないほうがよいのか。どちらでも後悔するだろうという人もいる。理由はどちらでも愉しめるからだという。僕は反対です。子どもいないとトシとると寂しいものです。トシとってから後悔しても遅いのです。

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博士就職とホームレス中学生

朝5時50分の気温は10.3度で湿度は94%もあり、公園は暗かったがもうこの時間帯では散歩する人が多い。大体はいつも出会う人たちです。ラジオから木山裕策の「ありがとう」の曲が流れていた。いつもありがとうという心がけで毎日を過ごしたいものです。

朝食のときテレビが今は博士号をとっても将来が見えない。人生設計ができないという話をしていた。博士になっても厳しい試験があるという。大学院で博士コースを出て博士になっても就職できない時代である。

研究内容が生かせる会社がないとみじめなものである。たとえ就職しても無能な上司がうろうろしている。そんな上司に仕えるのはたまらず結局退職することになる。博士になる人の大多数は東大卒でそれ以外の人が満足に一生研究畑で過ごせる所はそうはないのです。

昼食のときにNHKの「スタジオパークからこんにちは」を見た。 壮絶ホームレス中学生の強運な人生物語です。麒麟の田村裕が中学の夏休みに帰宅すると家は差し押さえられていた。 父は、「はい解散」と言ったなりどこかえ行ってしまった。

13歳のときに突然住む家を無くし、近所の公園に一人住むようになった。彼はのちに「ホームレス中学生」という本をだした。ダンボールで飢えを凌いだり、ハトのエサであるパンくずを拾い集めた日々だった。いつも見守ってくれた亡き母への想いが詰まった貧乏自叙伝である。

田村は「不幸は財産」という。彼の自伝とも言われている「ホームレス中学生」を僕はまだ読んでいない。執筆中は仕事が17~24時に終わり、主な執筆場所はホテルアイビス六本木で3~4時まで書いていたと言われている。この本は印税や税金を差し引かれ田村の手元に残ったのは8千万円といわれている。

昔は末は博士か大臣かと言われた時代もあった。今は博士になっても満足に食っていけないし大臣になっても世間から非難を浴びて辞職に追い込まれる大臣もいた。田村のようにホームレスしても「不幸は財産」と考える。その考え方こそ大切だと思った。今日は朝と昼といい話を聞いた。

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日本はシビリアンコントロールの国

5時20分の気温は11.9度、湿度は73%でした。ラジオから槙原啓之の「冬がはじまるよ」の曲が流れていた。ニュースは小室哲哉・音楽プロデューサーの5億円詐欺容疑で逮捕を報じていた。次に朝青龍のことをやっていた。僕は横綱がモンゴルから帰らずこのまま引退するように思えて仕方ない。そして、柔道で金メタルの石井がプロ格闘家に転向する声明をした。

つぎの話題はこれでした。政府見解に反する論文問題で航空幕僚長を更迭された田母神(たもがみ)俊雄氏が記者会見した。「国家国民のために信念に従って書いたことで断腸の思いです。日本は決して侵略国家ではない。日本は被害者」と改めて持論を展開した。「むしろこれを契機に政府の歴史認識は検証され活発な議論を願うものです」と彼は結んだ。

「日本はまさにシビリアンコントロールの国ですから大臣が適切でないと判断してやめろということならそれは当然のことと思う」そして政府の見解とかに一言も反論できないということでは北朝鮮と一緒と発言し国会への参考人招致に応じる考えを明らかにしたのである。防衛大出身らしい発言ですがこの人はもうひらきなおっているように思った。

午後2時から4時まで南部丘陵公園の市民壇で近くの市立泊山小学校4年生84名が公園のことについて総合学習発表会をするというので僕もでかけた。最後まで父兄席で見ていた。今日は晴天に恵まれてかなりの見学者です。近くの泊山幼稚園児たちも応援にきていた。ケーブルテレビ局が取材していた。夜、さっそく夏から続けてきた総合学習の成果をホームページ「私の散歩道」に写真入りで紹介した。P1010014s

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灯油の値が一気に下がる

5時33分の気温は9度で湿度は96%でした。いつものようにラジオをききながら暗いうちから公園を散歩した。ラジオから大滝詠一の「幸せな結末」という曲が流れていた。夕方、寒くなって灯油を買いに走った。1ℓ112円で一缶15ℓだけ買った。サービス券が15ℓぶんあったからです。

僕の行きつけの店では明日から2日間だけ灯油が1ℓ74円に下がるという。長蛇の列に並んで、買うことにした。なにしろ一晩で38円も安くなるのです。灯油が下がればガソリンも下がるだろう。まだまだ下がりそうです。ぎりぎりまで買わないほうがよさそうです。

話は変わるがきようの朝日新聞に「医療費むしばむ架空請求」「患者側、何も知らぬまま」「不正のツケで保険料が高くなる」という見出しの記事があった。これは東京都世田谷区の駅前商店街のある接骨院に肩こり治療に行った主婦の証言。接骨院では打撲やねんざなどケガ医療費は請求できるが単なる肩こりは対象外となっている。

「ただの肩こり」と伝えたのにこの接骨院では保険がきく。後で届いた医療費通知には、治療日数が水増しされていた。主婦は別の接骨院にも1日だけ行ってみた。ここでも治療日数が6日に水増しされていたというのである。ほかにも神戸市の主婦が歯科医院で、1日の治療で上の前歯6本を削られ神経も抜かれた。納得がいかず、神戸地裁に提訴し歯科医の不正請求がみつり慰謝料を勝ち取ったという記事があった。

もらった覚えのない薬、一連の治療なのに「初診」が2回あったり。架空の治療で医療費が不正請求されていることが多々あります。僕も昔、名古屋の歯科医でこのような治療をうけたことがあった。当時はまだ40代で若かったし仕事に追われていたので歯科医の言われるままに見過ごした。

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こんな先生に任せられないと橋本知事が応戦

橋本知事がまたキレた。9月はあの「クソ教育委員会!」とか10月は「なぜ2週間早く芋ほりをしてくれなかったのか」と畑の所有者に言ったり、朝日新聞には「朝日がなくなれば世の中のため」とか、また高校生には「GDPはインターネットで調べればわかる!」といったキレ語録が続いていた。
そして橋下知事と府民らが教育問題について意見を交わす討論会が10月26日、堺市の大阪府大で開かれた。橋下知事が学力テストの自治体別結果を公表させたことについて賛否が寄せられたほか、職業教育の重要性や授業を面白くする必要性を訴える声があがったのです。
一方で知事の発言のたびに、現場教員らから「くそ教育委員会発言を撤回しろ」などとヤジが飛び、会場は終始騒然とした雰囲気。知事も「こういう先生に子供たちを任せられない」と発言をエスカレートさせていた。そして「必ず子どもたちの学力を上げます」と大阪府の学力向上を語っていた。
 
GDP問題で高校生を正論で打ち負かして泣かした橋下知事が今度は教員と対決していたのです。テレビで見ているほうは面白かった。この知事は言ってくれるなあと感じた。こういう状態にならないようにしたいと知事は涙声で絶叫していた。こうした熱血漢あふれる知事に応援したい。大阪府はいい知事をもったもんだと思う。

でも、発言中はヤジが多く、たまりかねた橋下知事は「まず人の話を聞きなさい。いい大人なんだから」「夢や希望を持っていない子どもたちの率がものすごく高いんです」続いて「こういう先生方に子供たちを任せておくことはできない。中山前国交相の発言こそ正しいじゃないですか」と持論を述べると、知事の発言を支持する他の参加者たちから大きな拍手がわいていた。

「参加した教員の質が悪すぎる」「明らかに教育より政治運動に重きをおいてる糞教師は困ったモンです」と知事は言った。そして知事のお母さんは息子の「クソ教育委員会」発言について、そんな行儀の悪い子に育てた覚えはないと知事を叱ったというが親だったら当然でしょう。でも知事の一連のキレ語録に僕は拍手を送りたい。
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なかなか物の整理ができない

書斎にあるいろんなモノの整理をしたい。たくさんあるアマチュア無線の交信カードは捨てがたいが僕以外の者にとってはこのQSLカードは何の興味も価値もないのである。片づけ事は他人に頼めと言うけれど自分では何を残し何を捨てるか判断に迷うものです。愛着のある趣味の物は保存したいから作業は一向に進まない。そしてカードの量がばかにならない。ダンボール箱3箱ほどになりそうだ。

僕が死んだらこのQSLカードは妻が誰かにたのんで処分することだろう。一枚一枚ダンボール箱に詰め込んでおくのが忍びがたい。珍しい国や地域と交信し苦労したQSLカードを捨てがたく一枚一枚、懐かしく見ていると整理どころではない。こんなことしていたらいつまでたっても片付かないのです。

片づけ事というのは、細かくチエックしていてはできない。見ないで行わないと、どうしょうもない。ましてや、どこの国でどんな地域の局の発行したQSLだろうと読みだしたらだめである。私が亡くなればこのQSLカードはゴミとして捨てられるに違いない。この趣味は自分一代限りで、後に残す必要はないのである。

当用日記が32年分どっさりある。僕の半生記です。表紙がしっかりした博文館製の厚さ3cmもあるものです。これだけは捨てることが出来ず焼却場所もないから僕が亡くなったら、そのまま残ることになる。きっと息子たちが処分すると思うが私が今からこれを処分することはどうしても耐え難い。若き日の自分の日記はこうして全部残すことになった。人生とは、そんなものです。

未練あるものは親族にたのんでおくしか仕方がない。日記以外には私の大事にしている衣服がどっさりある。これは自分しか寸法が合わないからどんどん着て捨てるしかないのです。老いるとは死と隣り合わせになることである。老いの支度は、死の準備にほかならない。そしてどんな人でも死は身ひとつで迎える。だからトシとったら、そんなに衣服は持たないことである。でも、これとて実行が難しい。人生とはそうこうして終わっていくものです。

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僕がパソコンオーナーを辞めたわけ

僕は2008年10月4日付けで四日市パソコン同好会というサークルのオーナーから自発的に突如身をひいた。会員数120人8クラブあって日永地区と四郷地区の2市民センターで6年3ヶ月にわたってサークル活動してきた。クラブの設立、ホームページ作り、講師さがし、会員募集と一人でやってきた。誰に相談することなくやってきた。そして突然に誰にも相談することなく辞めることになった。

ちょつと早い辞職。まだまだやれそうだが潮時があるように思った。それと嫌気がさしていた。場所は役所である。その公共の場所で市の管理しているパソコンを使う。従ってサークルが終了すると清掃、冷暖房のスイッチ点検、窓の施錠、パソコン保管ケースの施錠、そして鍵の返却です。また、サークル開催日は土・日だから役所がオープンしている時間にパソコン収納の鍵を借りておかねばならない。こうした小使い仕事は誰しも嫌がるものです。

各クラブに統括と事務局を置いた。しかし、この鍵の授受が面倒です。そんなことは最初からわかりきったことといえばそれまでですが官庁というところは融通がきかない。まあ色々とあって僕は77才という高齢も重なって今が辞める潮時だと思った。後のことなんか考えずさっさと辞めようと2ヶ月前から決行の日を模索していた。そして四日市パソコン同好会はこれからどうなっていくのだろうか。

四日市市は23地区に市民センターがある。東京23区じゃあるまいし多すぎる。11月に市長選挙がある。市長が代わればこの23地区市民センターがそのまま続くとは限らない。しかも、今あるパソコンは古くなって故障も生じるし使えなくなるときもやってくる。みんながみんな自分のノートパソコンを持ってくるわけもないし、講師だって3時間3000円ですから、そう簡単にはなる人がいなくなる。

今こそ引退すべき時です。そしてこれからは読書もしたいしアマ無線もしたいし、旅行もしたい。土曜日曜というときはスーパーのショッピングも行きたくなる。まあ、いろいろと総合的に判断して思い切って辞めることにしたわけです。僕には役所の一方的なやり方には耐えられないしこまめに人のお世話が出来る人間でもないし、さっさと辞めたほうがみんなのためになる。

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身近に三浦氏を見た日

三浦和義容疑者がロサンゼルス市警の留置場でTシャツで首をつって自殺したニュースを知り驚いた。なんと新聞の号外まで出たという。私の古い日記によると「三浦和義」の顔を身近にみたのは、三浦ヒーバーも下火になりようやく世間の噂から忘れられたころでした。僕は東京地裁で平成4年(1992)4月28日、富士見産婦人科事件の民事を傍聴しょうとしたが満席だった。そこで何気なしに刑事裁判を傍聴することになった。

刑事事件の傍聴席は少なかった。入廷すると右手前席の三浦氏にぎょろりとにらまれた。その距離は約4メートルほどです。彼はこの人物は何者かと言わんばかりに僕を見つめていた。それもそのはず、僕は途中から入廷し傍聴席に腰掛けたからだ。彼は弁護人の前の椅子に腰掛けていた。しきりに後ろ席の女性弁護士と打ち合わせしていた姿が目に浮ぶ。弁護席はたしか、この女性弁護士とほかに3人ほどの弁護士がいた。

僕が練馬にいたころ三浦氏のロス疑惑は毎日、大きく報道されていた。それから何年かたち僕は目黒に移り住んでいた。僕はこの日は銀座で胸部レントゲン検査を受け終わってから新橋~有楽町~日比谷公園へと歩いた。日比谷公園のイチョウ並木のすばらしい風景をみてから東京高等裁判所に入った。あのとき、ぎょろっとにらまれた三浦氏の顔は今もわすれられない。

この日は火曜日で晴天でした。霞ヶ関から目黒の碑文谷に帰宅してから大岡山、緑ヶ丘、中根などへと散歩している。当日は晴天で2万歩ほどウォーキングしたと日記に書いている。今から16年半ほど昔のことがよみがえってくる。三浦氏は61才での自殺だったから当時の彼は45才だったのです。そして裁判を傍聴したときの僕は61才でした。61という数字にも因縁があるようだ。

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お金に支配されずに生きたい

今朝は孫たちの運動会の予定だったが弱い雨で中止になってしまった。早朝から弁当つくりしていた家内はがっかりしている。たくさん作ったお寿司や果物はそっくり孫3人の元へ。そして明日に順延になったので再びお肉やお寿司の材料、果物を買いに走る羽目になった。結局、雨のために運動会が2回もあったも同然におカネがかかってしまったのです。

カネによって人間が支配されているといってもよいこの世の中です。日本人4氏ノーベル賞でおめでたい話題と同時に金融危機が深刻さを増し、株安が止まらない。いま国内的にも国際的にも大きく揺れ動いて、日々混迷の度を加えている。ニンゲンがカネを支配する世界をつくり出そうとあせりもがいている。あせればあせるほど、もがけばもがくほど、カネの支配力は大きくなって、ニンゲンどもはカネにふりまわされている。

ワシントンで開かれているG7では金融システムの安定化には公的資金注入が必要ということで合意したようだ。僕は経済のことはよくわからないが、なぜ公的資金で不良資産を救うのだろうか。個人の損害は救ってくれないが破綻した大和生命のような大きな損出をだした企業は救わないと政府が苦しい立場になるのだろうか。

経済はよくわからないが、おりしも先進七ヶ国の財務相や中央銀行の総裁が世界経済の直面している諸問題について協議している。次から次へとカネが世界中を駆けめぐってむずかしい問題を生じているのを解決してほしいものだ。10月になって物価が値上げラッシュになり弱い人たちの預貯金が目減りし、生活は苦しくなってきた。

もうすぐ灯油を買わねばならないが今日は105円にちょっぴり下がっていた。1缶18リットルで1890円ですがまだ、もっと下がるかなあ~と思案の末に2缶、買ってきた。お金があればケチなことを考えなくともよいが貧乏人たるがゆえに生活防衛上、仕方がないことです。こうしてカネに支配されて生きている。せめて心のなかだけでもカネに支配されずにカネを支配して生きたいものです。

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物を減らすことに専念したい

このブログのタイトルはごらんのようにJA2KPR見聞記です。JA2KPRとは私のアマチュア無線局のコールサインです。世界に同じものが2つとないのがコールサインです。だからこのコールサインではJAは日本国で2は東海管内ということはわかります。見聞記はテレビ、ラジオ、新聞などで見たり聞いたりした私の手記、つぶやき、記録ということになります。

そのJA2KPRもアマチュア無線では、華々しい空中戦を展開してきた。空中戦といっても海外局といかに多く交信(QSO)したかです。若いころはDX局と交信し交信カード(QSL)を集めることに熱中していた。そのころはパソコンもケータイもデジカメもない時代ですから楽しみは趣味の王様といわれたアマチュア無線オンリーだった。さらにアマチュア衛星通信、パケット通信へと広げていった。そんなころは無線機器やアンテナも買いあさっていた。

ホームページを作成したいと思ったのは今から11年前の平成9年11月だった。そして完成したのは平成10年1月でした。当時はIBMのホームページビルダーVersion3でした。そのころは高価なビルダーでしたが僕はこの便利なものに頼らざるを得なかった。 あれから10年がたち77才になった今もホームページ作成は楽しいが、トシとともに記憶力はボロボロに低下し、製作意欲も下り坂です。

どんなに大事にしたものでも死ねば人間は万事休すです。僕は最近、思い切ってパソコンのサークル活動から引退した。喜寿を過ぎてぼつぼつゆったりとした日々を送りたいと思うようになった。好きな読書もしたいし旅行もしたい。そして少しモノを減らす時だと思う。どんなに大事にしていたものでも死ねばみんなゴミです。人生のエンディングにむけて、少しずつ身辺を整理しておきたい。これからはモノを減らすことに専念したいと思う。

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もみじマークの義務化に反対

今朝6時13分の気温は16.6度で湿度は96%でした。昨夜は巨人対阪神の野球をテレビ観戦していて就寝は11時になってしまった。まだ巨人が優勝するとは断言できないが一歩、優勝に近づいたことは確かです。一時は阪神に大きく差をつけられ今年は阪神かと思った。そのとき或る記者が原監督にぶっつけた。「もう、自力優勝はかなり難しくなりましたね」というような質問でした。むっとした監督は「それがどうした」と言い返していた。今になってその一言の意味が理解できる。

さて話は変わるが今朝の新聞に僕と同じ考えの記事が載っていた。それは75才以上の車に「もみじマーク」をつけることを義務づけたことによって起こるかも知れない別の不安です。もみじマークが貼られた車に対する犯罪が多発しているとのこと。高齢者であることを示して、つまり年齢をさらけ出して車は走っているのです。僕も罰則がイヤで仕方なしに貼っている。

高齢者とみて因縁をつける「当たり屋」の餌食となる恐れもあります。新聞には「もみじマークの後をつけ、生命にかかわる犯罪を誘発するようなことはないでしょうか」と書かれている。ここまではまったく僕が予想していたことが書かれていた。世間には同じことを考える人もいるものだと思った。犯罪が起こってしまってからでは遅いのです。

そして現に8月下旬に信号待ちしていたもみじマークの車に、後ろからつけていた車から降り立った男が乗り込み、押しつけまがいの商売を強要した事件が発生していた。「シルバー運転者なら金があるだろう」と脅されたらしい。このようにもみじマークをつけた車が格好のカモになることは、これからも十分予想できるのです。

もみじマークをつけていない車に対して警察は、やがて手厳しい罰則を適用することでしょう。いやでもつけねばならないもみじマークです。もみじマークの車をみて75才以上の高齢者だとわざとイヤがらせする人もいないとは限らない。もみじマークの車を表示していたがゆえに前後を不審な車にはさまれて当たり屋的な犯罪が起きそうです。もみじマークをつけたからといって高齢者の事故は防げるもでもないと思う。僕はもみじマークの義務化には反対です。

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僕の賞味期限

賞味期限がうっかりしていたら切れていた。そんなことがよくあります。酢、蜂蜜などが買ったままになっていた。ピュアとかウエルネットという自然食品のお店で買ったものです。何しろ安く買ったものが机の上にでかんと置かれたままになっているのです。安く手にいれるとこのように駄々草に扱われます。作った日があれば、どんなものにも賞味期限はあるはずです。

先日、テレビで有馬稲子の話を聞いていた。「老後は身軽に」するほうが良いという話だった。有馬稲子流の小さな暮らし3ヶ条とは①しまいこんだものはいらない。②気長に楽しむ。③ものは少なく心は豊かに。なるほどと思った。彼女は大きな豪邸に住んでいたが今は小さなマンション暮らしに変えたという。P1010021s

なんでも欲深く貯め込む習慣の僕にとってはいい教訓です。ものを捨てることはもったいない。戦時中の物資欠乏したころに育った僕はものをそう簡単に捨てきれないのです。有馬流にものは少なくしたいものです。だったら捨てるものは最初から買わなければいいのだ。そんな簡単なことが出来ず、ついどんどん買ってしまう。だからモノがあっという間にふえて賞味期限が切れた事も忘れている。

生まれてきた人間にも賞味期限があるだろう。トシとってボケてきた。昨日のことでも今日になるとすっかり忘れている。する事が多いのではない。簡単なことでもメモしておかないと忘れる。メモした用紙がどこかえ消えたこともある。喜寿を過ぎてますますボケが始まっている。人間の賞味期限切れはいくら頑張ってもどうしょうもない。僕の人生の賞味期限はもうとっくに過ぎている。だからじっとしておれない。すばやく対応しなくちゃ。

アマチュア無線局の免許が来年4月4日に切れる。これだけは再免許申請することにした。JA2KPRというコールサインは永久保存にしておきたいからです。アマチュア無線局JA2KPRはお金では買えない僕の財産なんです。こればかりはさっさと捨てることが出来ない。昔のように面倒な無線局事項書も工事設計書も不要になって簡単に再免許申請ができるようになった。役所も、こうしてなるべく無駄を省けばよい。

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秋の日はつるべ落とし

今朝、5時50分ころから公園へ出かける。6時12分の気温は12.2度で湿度は95%でした。2日ぶりの晴天で35名ほどが集まってラジオ体操をする。N県議も参加していた。終わってから自治会のO副会長とお祭りの行事の事など聞きながら帰途につく。久しぶりに駅前の百貨店へでかけお菓子類を買ってきた。美味しいそうなものを見たのが運のつき、買わずには帰れないのです。「赤福」ゃ「桑名の時雨」を東京へ宅急便で送る。昼食後、睡魔に襲われ午睡をとること1時間ほどで頭がすっきり回復した。

「秋の日のつるべ落とし」と言いますが夕方6時には、もう暗くなっています。真っ暗です。5時から6時へかけてはあっという間に日が暮れていきます。僕は子どもの頃は外遊びばかりしていた。真っ暗になるまで遊んでいたものです。6時には我が家では夕食です。早く食事すましておいて、後はゆっくりテレビを見るのが楽しみです。特にこれからはプロ野球から目が離せられません。

きょうは桜井よしこ氏の「世の中意外に科学的」とう本を読むことにした。私なんか科学に縁遠く、なぜこの本を読むことになかったかというと桜井さんの人柄というか、この人の話しぶりも好きで、この本を読むことになった。桜井さんの本は何かが伝わってくるのです。今夜にかぎって野球中継もないし昼寝をしたおかげで秋の夜長を読書で楽しむことになった。

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小泉元総理の親ばか

テレビで小泉純一郎元総理の次男の進二郎氏を拝見した。率直に言って好青年のように見えた。短い挨拶だったが好感がもてた。関東学院大学経済学部を卒業しコロンビア大学院に留学されたようですがちょっとそのあたりが不可解に思うのです。学歴にケチつけるのはいけないが小泉総理の御曹司ということで縁故でコロンビアに入学されたのかどうかを知りたいものです。

難関のコロンビア大に入る人はそういないはずです。昔、私の義兄が大阪外大からコロンビア大へ留学した。あの野村サッチーが留学したとか言って騒がれたこともありました。とかく格好のいいものです。その大学院に日本の総理の次男だからということで、そう簡単に縁故で入れる大学なんでしょうか。縁故でなければ関東学院大時代から優秀な学生だったのか?

まあ、長男の幸太郎君は父が総理の時に俳優になった。そこで次男の進二郎君を政治家にするために先ず有名な米国の大学へ入れたかった小泉さんの野望がなんとなしにわかってきた。変人だと言われてもやっぱり人並みの父親だったんだ。まあ、そんなことはどうでもよい。その先は選挙民が決めることである。でも、僕はやはり学歴と人柄が気になる。その次にどんな家庭で育った人であるかを調べる。

世間には苦労して政治家になった人も多いはず。そしていわゆる二世議員の人も多い。まあ医者の子は出来が悪くても医者の跡継ぎをさせようとする。そのために莫大なお金を投資して私大の三流医学部に入れようとする。バカでも医者にしょうとする。国家試験さえ受かれば、三流大学だろうがいいわけです。 政治家は選挙で国会議員になれる。選挙、つまり顔形の見てくれと、お金の力で議員になった人も多いはず。僕の偏見だろうか。P1010008s

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季節の推移に万物も流れる

4時33分に気象観測所の掲示板前についた。電灯で周囲は明るいが怖いのです。昨日の早朝、若い女性が首吊り自殺した現場が見える位置にあり気持ち悪いのです。気温は18.1度で湿度は76%で風速0.6mでした。やっと夏は終わって涼しくなりました。僕は誰もいない怖い公園を一目散に走って一般道にでた。ラジオから浪花水滸伝の「時は流れていく」、麻生詩織の「恋唄綴り」、岩崎宏美の「思秋期」、鮫島有美子の「赤とんぼ」などが聴こえていた。

天声人語は「徒然草」の兼好法師は、「季節の推移に万物の流れる姿を見た。~春暮れてのち夏になり、夏果てて秋の来るにはあらず。 春はやがて夏の気をも催し、夏よりすでに秋は通い~」 同様に、死はすでに生の中にひそんでいると、哲学的な思索もめぐらせる。そして政界も、自民と民主の「ゆきあい」の風景だ。夏が生き残るか、秋が勝つか、天下分け目だろうと結んでいる。

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70歳からの読書

今朝は小雨模様だった。5時26分に公園の気象観測所前に着いた。気温23.9度で湿度は97%です。今週はずーと天候は不安定でした。ラジオからポール・モーリア・グランド・オーケストラの演奏曲「エーゲ海の真珠」やEPO(本名:佐藤 榮子)の「音楽のような風」や沢田研二の「追憶」という曲が流れていた。

本、読もっ!というタイトルの本がある。なんとなく面白くぺらぺらと読んでみた。今はケイタイやパソコンに走る人が多く「本離れ」が進んでいるようです。都会では本はどこに行ってもすぐ手に入り簡単に買うことが出来る。そして本のジャンルが増えて選ぶのに苦労します。本がありすぎてありがたみがないのです。

私は70代になってから一番本を読むようになった。「いい本との出会い」があるようにと市の移動図書館がやってくるとまっさきに飛んでいく。狭い車の中ですばやくみつけるには苦労します。たいていはタイトルと著者で決める。家にもちかえっておもむろに読むのですがすばやくぺらぺらと読むようにしています。そうしないと雑念が入りめんどうくさくなるからです。

高校のときもあまり本を読まなかったし、大学時代は新聞作りの雑用に追われ、社会人になったら転勤、転勤で書斎を持てなかった。机の周囲はアマチュア無線の本しかなかった。私は69歳からぼつぼつ本を読むようになった。でも一年に15冊ほど読むだけでパソコンに熱中してしまった。最近はパソコンで良書を検索できます。いい本をもっともっと読もうと思う。

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大分県教委は甘い!

3時ごろから雷雨になった。ベットで寝ながらラジオを聴いていた。にっぽんの歌、思い出の流行歌、ムード歌謡集です。東京ナイトクラブ、コモエスタ赤坂、六本木ララバイ、新宿の女、池袋の夜、雨の西麻布、ラビュー東京などです。 雨は一向に止まずラジオ体操は家の中ですました。毎日、歩行数とラジオ体操の記録簿を続けているから一回でも休むわけにいかない。

大分県教委が夏休み中にしてほしかった採用取り消しが5日から7日に延期になった。当初は5日をめどに決めると発表しておきながらこの始末。大分県教委はどうかしていると思う。理由はいろいろあるだろうが延期したこと自体、不正の重大さにまだ目覚めていないと言わざるを得ない。不正に合格したとされる21人のうち、1人だけ辞職しただけである。自主的に退職届を出さない反発している先生がいるという。甘やかすにも限度がある。

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生きるということ

昼寝をしたおかげで福井発深夜便「一筆啓上賞〜日本一短い手紙100万通の魅力」を聴いていた。日本一短い手紙「母」への想い―一筆啓上は単行本になっていた。明日の深夜便アーカイブスは「生きるということ」の著者、末川博先生の(昭和42.2.16-18) 話である。楽しみである。

       詩 『生きるということ』 

       生きるということ
       生かされているということ
       人は生を受けて生まれたときの
       本当の理由を忘れてしまったのだろうか
       
       自分本位でわがままな
       ことばかり考えて
       人は自分が生かされている
       地球ことも考えていない 

4時35分の気温は22.3度で湿度は97%でした。雲は多いがまだ雨は降っておらず公園から中学、高校の間から右折してどんどん歩いた。国道1号まで行って引き返し東海道名残りの一本松のところに来た。そして激しい雨となった。帰宅5時40分。万歩計は9800歩になっていた。ラジオ体操は雨のため家の中ですました。多胡さんの元気な声が聞こえてきた。

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ふと思うこと

4時38分の気温23.5度、湿度は98%でした。今朝も東京港区浜松町の文化放送を聴いていた。ここで音楽が次から次えと流れていた。「朝顔」「フランシングの場合」「崖の上のポニョ」「「勇気あるもの」「ひまわり」「おもかげ」「ケセラセラ」工藤慎太郎の歌「主婦」吉幾三の「酔歌」「飾り気ないのよ暁は」「コーヒールンバ」「たそがれ」さだまさしの「朝刊」「4つのお願い」「りんごのひとりごと」松任谷由美の「ハローマイフレンド」など聴きながら歩いた。

アフガンで伊藤さんという若者が武装グループに拉致され遺体が発見された。彼は現地で農業支援をしていたNGO職員だった。ご両親の悲痛、いかばかりか。さて、いつかは訪れる最後ですが何の備えもなく突然逝ってしまうと、後に残った家族に大きな迷惑をかけることになる。早朝散歩していて突然倒れて死にいたることもあるかも知れない。今は75歳以上のひとり暮らしの人が多いそうだ。妻に先立たれ、ひとり暮らしになったらどうしょうかとふと思った。もうじき77歳。ぼつぼつ人生のエンディングを考えておこう。

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あの日から63年

あの日から63年がたった。今日は終戦記念日です。でも新聞もテレビも北京オリンピックがメインでこのことには殆ど触れていない。 1945年8月15日正午の天皇の放送を私たちは或る部隊で聴いていた。この日、その部隊まで銃をかついで歩いていった。その日も暑い日だった。戦争が終わった。みんな泣いていた。これから占領軍がやってきて男はみんな殺されるらしい。そんなうわさ話がされていた。

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ニューギニア帰還兵の話

ラジオ深夜便は昭和37年の流行歌、可愛いベイビー、遠くへ行きたい、星屑の町などを聴いていた。いつものように4時から散歩にでる。4時21分の気温は26.1度で湿度91%でした。もう何日も雨が降らないから早朝から大変に暑い。「朝日は昇りぬ」や福山雅治の「メロディー」という音楽が流れていた。

4時5分からこころの時代で、ニューギニア戦線の日々からの話は昨日の続きでした。ニューギニア帰還兵 川村正風氏の話を聴きながら薄暗き道を歩く。多くの兵が飢餓とマラリアにさいなまれジャングルに消えていった様子、やっと名古屋港に帰国したときの話など川村さんの話に涙がでてきた。

私は旧制中学のときに終戦になり徴兵されることなく戦争は終わったが、平和のありがたさをつくづく感じた。まもなく8月15日終戦の日が来る。自分の息子や孫が川村さんのような悲惨な戦争の犠牲者にならないようにと祈る。本当に今、思うとあの頃の日本は戦争一色で馬鹿げたことだった。

あのころの軍歌を思い出す。「勝ってくるぞと勇ましく誓って故郷(くに)を出たからは手柄立てずに死なりょうか進軍ラッパ聞くたびに瞼(まぶた)に浮かぶ旗の波」と歌っていた。当時を振り返るとなんとバカな悲しい時代だったかと思う。川村さんのような兵隊さんもいたんだと当時のことがよみがえってきた。

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家族の笑顔は心のささえ

4時34分の気温は24.6度で湿度は97%でした。曇天で蒸暑い朝です。2時~3時台はクーラーつけてラジオ深夜便をずーと聴いていた。ケンタッキーの青い月、星を見つめないで、三波春夫のチャンチキおけさ、瞼の母、大利根無情、雪の渡り鳥という曲が流れていた。

4時から散歩にでる。いつものコースを歩く。小学校の角に「いつの日も家族の笑顔は心のささえ」という標語があった。子どもが非行に走るのも家族の愛情がないからだろうかと思った。

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中庸をゆく

ラジオ深夜便で思い出の流行歌:カバー・ポップス集を聴いて寝ていた。アンカーはのど自慢で全国区になった宮川泰夫さん。月影のナポリ、ビキニ・スタイルのお嬢さん、渚のセニョリーナ、上を向いて歩こう、などが聴こえていた。4時35分の気温は21度で湿度95%でした。まだ梅雨は明けず朝からどんより曇っている。

今朝もラジオききながら歩く。たんぽぽ児童合唱団の「ほたる」や宇多田ヒカルの「HEART STATION(ハートステーション)」の曲が流れていた。今朝のラジオ体操は50名ほど来ていた。帰宅すると万歩計は17282だった。歩きすぎもよくない。万事ほどほどがいいのです。そして何事も中庸がよい。渡世のコツというものは、右か左かという両極端より、その中間を行くのがよいのである。

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つらいときいつもそばにいるのは家族だよ

ラジオ深夜便を聴いていた。伊藤久男の「あざみの歌」「夕月のうた」若原一郎の「雨の日だって楽しいさ」「夏の思い出」という懐かしい歌を聴きながらうつらうつらとしていた。

このごろあっという間に一日が過ぎてゆく。今朝4時32分の気温は24度で湿度は94%でした。風速3.6mですが公園まで歩いてくると蒸し暑い。いつものコースをラジオ聴きながら歩いた。「われは海の子」「太陽の下」という曲が流れていた。小学校の西門に「つらいとき、いつもそばにいるのは家族だよ」というPTAの作った文字が目にとまる。悩んでいる子に励ましているようにもとれる。家族が守っていてくれる。自殺なんか考えたらあかんと言っているようです。6時10分過ぎから雨が降ってきた。ラジオ体操は一人で家の中ですませた。

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いつだって今が一番幸せ

4時42分の気温は20.8度、湿度98%で風速は0.8mでした。曇天からだんだんと晴れてきた。ラジオ深夜便のこころの時代は女優、小山明子さんの「いつだって今が一番幸せ」というタイトルで早口でしゃべっていた。松竹映画「ママ横をむいてて」でデビューし女優になった彼女は当時、松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合い結婚した。

翌年、松竹を退社しやがて二人の息子の母となった。夫の大島監督が脳出血で倒れてからは、その介護に専念し13年になるという。この話の続きを明日も聞きたい。大島は京都府学連委員長だった。彼は私より1才若いが学年は同じ。よくアジ演説をしていた昔を思い出す。

戦後、天皇が京大に行幸されたときに大島は首謀者となって学生を集め、天皇が乗った黒塗りの車が京大構内に入ってきたところを一斉にとり囲み騒ぐという京大行幸事件があった。僕は学生新聞の取材でいつも大島の格好いい破防法反対闘争名演説を聞き入っていた。その妻がラジオで大島との夫婦愛について語っている。野坂昭如と大島渚の パンチ騒動をテレビでみたことがあった。 スピーチを何時間も待たされた腹いせに、拳をあげた野坂が1発。 逆上した大島も負けじと2発。 会場が騒然とし中に入った明子夫人のことを思い出した。

散歩しながらボニージャックスの「あなたの笑顔」や秦基博の「虹が消えた日」の曲が流れていた。朝食のときテレビで癒しの歌姫カノンが歌っていた。学生時代ボディービルディングをしていたという。声を出すのも筋肉という。

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あれから20年

ラジオ深夜便で美空ひばり集、港町十三番地、一本の鉛筆、人生一路、悲しい酒などをうつらうつらと寝ながら聞いていた。ひばりは平成元年6月24日に52才で亡くなった。今日で満20年がたった。平成元年7月22日に青山葬儀所で葬儀があり多くの人がつめかけた。

当時、私は目黒区碑文谷に住んでいて青葉台のひばり家までは近かったから行ってみた。レポーターなどの姿も近くで見かけた。青葉台の下のほうの路地でたくさんのひばりを見送る人の中にいたのです。その日は晴天でした。その日の無線業務日誌にはインド(VU)、クレタ(SV9)、ギリシヤ、トルコ(TA)、アメリカ、フィンランド、ブルガリアと無線電信で交信していた。クレタと交信したのはうれしく忘れられない。

今朝、4時27分の気温は18度で湿度は95でした。ラジオから「浜千鳥」や美空ひばりの「真赤な太陽」の歌が聞こえてきた。そして先月5月26日、京都嵐山美空ひばり座へ行ってみた。1200円で入場できたのです。Kyoto24sjpg

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June Bride

ラジオを聴きながら散歩しているときトワ・エ・モワのジューン・ブライドの曲が流れてきた。「6月の花嫁」は幸せになれるというが日本ではどうもあてはまらない。ヨーロッパの6月と日本の6月はまったく違う。ハワイの6月は素敵ですが日本では梅雨でなにもこんな時期に結婚式をあげることもあるまい。6月はハワイで結婚式をあげればよい。私たちは昭和32年4月に質素な結婚式を挙げた。これといった思い出になることはなくゲストは親戚だけだった。著者に聞きたい本のツボは「中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす」の著者、遠藤誉さんでした。

 

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Yさんの思い出

5時3分の気温は21.2度で湿度は94%でした。早朝から蒸し暑い。ラジオからひばり児童合唱団の「ほたる」ゃ米米クラブの「君がいるだけで」という曲が流れていた。今朝ラジオ体操の会場でA夫人から、あまはね きこの著書「地球一周夢つむぎ」の本をいただいた。ご主人の作られた「トパーズ号 船旅スケッチ帖」は昨年の春、CDにしていただいていた。この本で船内の生活も書いてあった。船の揺れは凄まじく足の不自由な人は難儀していたと書いてある。そして船内の空気は悪く、若者たちの騒音が夜通し音楽をかけ踊るなどするので眠れない様子も書かれている。本にはYさんがスケッチされた絵が載っていた。

A夫人のご主人Yさんは帰国後、入院されてガンでなくなられた。この本を読んで、このような環境下での船旅で命を落とされたのかと思うようになった。Yさんと最後に話したのはYさんご夫妻が明日、横浜港から乗船する前々日だった。船の中か、寄港地からメールするよと言われて元気に別れたのが最後だった。メールは待てど待てど来なかった。Yさんが亡くなられたのは帰国後、しばらくした07年5月14日だった。入院先の市民病院でガンと壮烈な闘いをしておられたようだ。世界一周の船旅を楽しまれ、好きなスケッチを行くとこ行くとこでされて、天国に召されたYさんのお顔が浮かんでくる。京大卒でスポーツマンのYさんだった。長い船旅で命を落とされたように思えて仕方ない。静かに思いいづるときわれ君を忘れじ。ご冥福を祈る

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孫に注意された

今朝も雨で予定が崩れた。5時に起床、だんだんと夜があけていくが、いっこうに小雨が止まない。とうとう6時15分になって最終決断で公園でのラジオ体操を断念し6時半から一人、部屋の中での体操です。一人でするラジオ体操とみんなの前の高い所からする体操は同じ体操でも違っている。みんなの顔を見ながらのほうが何か元気が出るのです。一人では味気ない。

ラジオからひばり児童合唱団の「メダカの学校」や森山直太朗くんの「花」という曲が流れしていた。ラジオのアナウンサーがちょっととちってしまった。すかさず女子アナウンサーが間違いを直していた。この連携ぶりはさすがです。ラジオを聞いていると朝の一時間はあっという間に過ぎてゆくのがよくわかる。そのあわただしい時間の中で今、何をすべきか、手早く判断をしなければならない。ぼさっとしておれない。

私たち老人には余生いくばくもない。のんびり余生を送っている人もいるだろうが私の性分は、いっぱいすることだらけで、ぼんやりしている時間がもったいない。ホームページを少しいじくって更新するにも大変な時間がかかる。考えて考えてやっているから、あっという間に時間が過ぎてゆく。 歳とともに、いろんな機能がにぶっている。頭の中はもちろん、指先だって思うようには進まない。勘もにぶっている。

周囲の環境の中で時間は流れてゆく。家族との関係、きょうのように天候などによっても予定が変わったりする。やむを得ないことだが、この急変する時間の中ですばやく対処していかないと後で後悔することにもなりかねない。ちょっとおおげさだが僕は周囲の人たちにずいぶん迷惑をかけている。自分の意にかなわないとすぐ切れるからだ。先日も孫にまで注意された。 

孫は錦糸町から亀戸に行って遊はびたかったらしいが僕はすでに歩き過ぎて疲労が極度に達していた。それでダメだと言わんばかりに一人、さっさと反対方向に歩み、孫と雑踏する地下駅で別れた。すかさず孫からケータイで呼ばれ怒られた。孫からみて祖父がこうあってほしいと願うのは当然だ。後になって都バスの中で反省するばかりでした。小5の孫と喧嘩するなんて情けない。

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好きな東京の風情

今朝は5時半に起床、あわてて公園へと歩く。5時57分にやっと気象観測所前に到着した。気温は0.5度で湿度は83%です。しばらく歩いているとY子さんに出会った。ラジオから小鳩くるみの「りんごのひとり言」や大塚愛の「プラネタリウム」の曲が流れていた。

6時27分の気温は1.9度で湿度は83%になっていた。ラジオ体操を21名の仲間たちとする。3時台の「にっぽんの歌こころの歌」は思い出の流行歌、文芸歌謡作品集で「青い山脈」、「すみだ川」、「婦系図の唄」、「雪國」などの懐かしい歌が聞こえていた。 これを聞いているうちに寝すぎてしまった。

早朝7時に白髭神社に参拝する。靖国神社遥拝所から東京の孫娘が志望校の中高一貫の女子中に無事合格したお礼参りをする。九段の靖国は昨年の春も行ったが今年も桜が満開のころ近くの千鳥ケ淵へいってみようと思う。そこから英国大使館前まで皇居を左に眺めながら歩くのが好きです。

散歩コースとして最適です。都会の中のオアシスです。水辺の水鳥、若葉の香りなどがとても素敵です。もっともっと人と自然が一体となれる空間をふやしてほしい。靖国の青銅色の大鳥居、その下をくぐると神々しく身がひきしまる。春から九段の中学に通学する孫娘は半蔵門線で40分ほどかかりそうだ。

千鳥ケ淵から英国大使館前を通り最高裁へと逍遥する。そこから皇居を左手に見ながら警視庁前にでる三宅坂界隈の並木のたたずまいが好きです。なんともいえない風情がある。皇居お堀の黄色い菜の花が見られる3月下旬ころがよさそうだ。

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桜咲く

Kuroda_2198jpgs_1 昨日はこのブログが一日閉鎖されて書けなかった。至極残念でした。せっかく書こうと準備していたのに出来なかったからだ。さて毎朝、早朝散歩とラジオ体操をしています。ラジオを聞きながら散歩しているとき毎朝いい音楽を聴いています。先日の朝は「時計台の鐘」を聴いて歩いていた。昨日の朝は「旅たちの日に」が聞えていた。好きな季節の歌を聴きながら広い丘陵公園を歩き6時半から40名ほどでラジオ体操しまた丘陵を歩いて帰宅すると7時。朝食が大変おいしいのです。今朝、公園の桜がちらほら咲いていた。

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知ったかぶりする

Dsc_1755 知らないことは何も恥ずかしいことではないのです。誰でも最初から知っている人はいないと思う。あまり知らないくせに知ったかぶりをする人もいます。でもそれはそれでよいことかと思う。知ったかぶりすると後であのときどうしてあんなことを言ったのか悔やみ、自己嫌悪に陥るかもしれない。そうだとすれば、それはそれで見込みのある人だと思うのです。

知ったかぶりして、他の人が感心しているさまを見て、ますます得意げになっている人もいます。そういう人は単なる見栄っぱりです。知的な面で非常にコンプレックスがあるからこそそうなるようです。多くの人は少しでも自分をよく見せたいと思っています。自分はこんなことを知っている、やっていると知らせることで物知りと思わせたい気持ちがあるからです。

こういう人は普段からいろいろと知識を取り入れようと努力している人に違いない。知ったかぶりをする人はつい見栄を張ってしまうからそれなりにふだんから努力している人だというのです。見栄張りの人こそ努力している人です。見栄を張る人は自己嫌悪にこそ陥っても大変に努力している人です。知ったかぶりをする人は見栄を張るがゆえにその見栄についていくために人の知らないところで努力をしている人だと思うのです。

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わが人生の歌語り

Kuroda_2718jpgs 昨夜はテレビでフィギュアスケート世界選手権を見ていた。安藤美姫が逆転V浅田も上昇2位だった。日本勢2人が表彰台に上がるのは、世界選手権史上初めて。そして3位に韓国のキム・ヨ・ナが入りアジア勢が初めて表彰台を独占した。 今朝は雨のために久しぶりに早朝散歩とラジオ体操ができなかった。雨でラジオ体操を休んだのは2月18日以来のことである。南部丘陵公園では雨天の時、大勢が体操する場所がない。せいぜい5人程度が収まる屋根つきベンチがあるだけ。暖かくなって今では毎朝40名ほどが集まってきます。

この雨のおかげでラジオ深夜便、『特集・わが人生の歌語り』第二十四回 作家 五木寛之と聞き手 須磨佳津江アンカーの話を聞きながらゆっくり朝寝していた。「アカシヤの雨が止むとき」や「川岸のベンチで」が聞えていた。五木さんは悔いの多い人生だったと当時を振り返っていた。

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保坂尚希が仏門入り

Kuroda_2908jpgs 俳優の保阪尚希さん(39)が在家のままで仏門入りすると出家の真相を語った。また俳優と両立とのこと。僕は小学校の頃、親が自殺した。上級生から「心中の子」って言われた。1年ほど前に熊本の女性住職とお会いし住職の活動を見ていたら引きこもりの子や精神的に不安定になった子を引き取って一緒に導いて今の社会に戻してあげるということをずっと考えていた。この方なら僕の考えと近いのではないかと思った。この人ならいいなと思ったと語っていた。

彼は静岡市で誕生し7歳の時に両親が自殺した。地元の高校を1学期で退学し芸能活動のため上京する。劇団に所属し役者として勉強を開始し18歳でテレビドラマに俳優デビューし21歳で元タレントと結婚する。24歳で元タレントと離婚しドラマで共演した高岡早紀と交際4ヶ月でスピード結婚した。29歳で長男誕生。32歳で二男誕生し36歳で離婚している。

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単身赴任

Rinku 単身赴任はさびしいものです。仕事しているときはいいのですが仕事から自室に戻ると話相手がいない。相談する相手がいない。ケータイすればいいでしょうが電話では話せないことだってあります。顔みながら会話ができない電話なんて味気ないものです。下着の洗濯から食事、掃除、ゴミだしまでせねばならない。テレビを見ていれば寂しさも忘れるかもしれませんが日曜日など外出すると家族づれを見るとたまらなく帰宅したくなります。単身赴任では家族がどうしているか?心配は絶えないものです。

息子がサンフランシスコから43日ぶりに家族が待つ東京に今日、戻ってくる。私も東京で5年もの長い間、単身赴任でした。そのときは新幹線で毎月1回か2回は家族のまつ自宅に帰宅し一泊すると又、東京に戻ったものです。4月から長年暮らした家から東京の大学へ進学する学生や、転勤でこれから単身赴任する人など多くなる。遠く離れて暮らすと家族が病気になったときも心配になります。お父さんがいないまるで母子家庭のようになる家だってあるだろう。進学して田舎から東京暮らしをする学生たちもいる。引越しのシーズンです。東京で5年、大阪で2年半、単身赴任していた昔のことがよみがえってくる。単身赴任中にあちらこちらと一人旅ができたのがせめてもの収穫だった。

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安藤優子キャスター

Kuroda_2653jpgs 私は安藤優子というテレビのキャスターが好きです。あの愛らしい瞳、口もと、教養が全身に溢れていて喋ると理性が溢れている。彼女はスーパーニュースのメーンキャスターとして活躍している。検索したら興味があることははジムで筋力トレーニングすること、ストレッチすること(身体づくりをすること)日本の安全保障について勉強することと書いてある。そしてTVダイアリーで書いていた。テレビのニュース報道は大変な仕事であるがこの世界で28年もやっている。1958年生まれだからたしか49歳だ。私の長男より一つ年上のようだ。彼女は生まれてから半分以上はニュースをやっているのです。それだけ長くこんなきつい仕事が出来るのは体力だと思う。次々に飛び込んでくるニュースに集中できるのも体力がなければ出来ないのです。

彼女自身も体力がなければ、様々な国、場所で、様々な人たちが主人公となるニュースに本気で向き合う心の余裕が持てない。自分の具合が悪ければ、どうしても「人様のこと」は二の次になってしまうからだと言っている。そして生のテレビニュース番組のなかで、いちばん私が警戒するのは、ふっと自分の心がどこかに飛んでしまう瞬間、つまりスキである。夕方の「スーパーニュース」は約2時間、そのうちコマーシャルが26分あるが、その間は次の打ち合わせと確認に追われている。むしろVTRが流れ始めた瞬間、どういう案配かふっと心が宙に浮いてしまうことがある。時間にすればほんの1秒にも満たないのであるが、こういうときは集中力が切れている証拠で、結果ミスにつながる。体力が落ちているとたかだか2時間の緊張の糸を張れなくなってしまうのだ。「人様のこと」を報道するのだからこそ、そういうスキは許されないと自戒している。

安藤優子は40歳過ぎたころからトレーニングを始めた。ピラティスを皮切りに、器具を使ういわゆる筋力トレーニング、水泳、そして今はもっぱらストレッチにはまっているらしい。完全なインストラクターとマンツーマンで個人指導を受けているらしいが、あんな多忙な彼女は一体いつどこでやっているのか気になる。特に股関節が問題で、もうこれ以上圧されたら筋が切れちゃうかもと危惧するくらい痛いそうだ。股関節と足首は腰痛に直接関係しているらしく、この2箇所を「ぐえっぐえっ」と言いながらよーく伸ばすと、その後あら不思議というくらい腰の痛みがとれる。少々の痛みは我慢、我慢であると述べている。

安藤優子は愛犬ブルドックのマル♂と暮らしている。マルのくるくると変る表情や小首をかしげて考え込み、おやつをもらえると笑い、相手にされなければふてくされた流し目がたまらないと言う。机に向かって書き物をしていれば、2本脚立ちになって、腕に前脚を乗せてくる。まるで、「ねぇねぇもうそういうことやるのやめたら?」とでも言っているかのように、じっと私の目をのぞきこむのだ。原稿の締め切りに追われているときなど、お願いだからちょっと静かにしていてと思うが、けっきょくはそのつぶらな大きな目に負けて、なんだかんだといっしょに遊んでしまう。ひとつのことにとりかかると、終わるまで根をつめてしまう性分の私に、実はかっこうの休憩時間をマルが与えてくれている。私は1歳のマルに育てられていますと言う。

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