あの日から63年

あの日から63年がたった。今日は終戦記念日です。でも新聞もテレビも北京オリンピックがメインでこのことには殆ど触れていない。 1945年8月15日正午の天皇の放送を私たちは或る部隊で聴いていた。この日、その部隊まで銃をかついで歩いていった。その日も暑い日だった。戦争が終わった。みんな泣いていた。これから占領軍がやってきて男はみんな殺されるらしい。そんなうわさ話がされていた。

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ニューギニア帰還兵の話

ラジオ深夜便は昭和37年の流行歌、可愛いベイビー、遠くへ行きたい、星屑の町などを聴いていた。いつものように4時から散歩にでる。4時21分の気温は26.1度で湿度91%でした。もう何日も雨が降らないから早朝から大変に暑い。「朝日は昇りぬ」や福山雅治の「メロディー」という音楽が流れていた。

4時5分からこころの時代で、ニューギニア戦線の日々からの話は昨日の続きでした。ニューギニア帰還兵 川村正風氏の話を聴きながら薄暗き道を歩く。多くの兵が飢餓とマラリアにさいなまれジャングルに消えていった様子、やっと名古屋港に帰国したときの話など川村さんの話に涙がでてきた。

私は旧制中学のときに終戦になり徴兵されることなく戦争は終わったが、平和のありがたさをつくづく感じた。まもなく8月15日終戦の日が来る。自分の息子や孫が川村さんのような悲惨な戦争の犠牲者にならないようにと祈る。本当に今、思うとあの頃の日本は戦争一色で馬鹿げたことだった。

あのころの軍歌を思い出す。「勝ってくるぞと勇ましく誓って故郷(くに)を出たからは手柄立てずに死なりょうか進軍ラッパ聞くたびに瞼(まぶた)に浮かぶ旗の波」と歌っていた。当時を振り返るとなんとバカな悲しい時代だったかと思う。川村さんのような兵隊さんもいたんだと当時のことがよみがえってきた。

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家族の笑顔は心のささえ

4時34分の気温は24.6度で湿度は97%でした。曇天で蒸暑い朝です。2時~3時台はクーラーつけてラジオ深夜便をずーと聴いていた。ケンタッキーの青い月、星を見つめないで、三波春夫のチャンチキおけさ、瞼の母、大利根無情、雪の渡り鳥という曲が流れていた。

4時から散歩にでる。いつものコースを歩く。小学校の角に「いつの日も家族の笑顔は心のささえ」という標語があった。子どもが非行に走るのも家族の愛情がないからだろうかと思った。

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中庸をゆく

ラジオ深夜便で思い出の流行歌:カバー・ポップス集を聴いて寝ていた。アンカーはのど自慢で全国区になった宮川泰夫さん。月影のナポリ、ビキニ・スタイルのお嬢さん、渚のセニョリーナ、上を向いて歩こう、などが聴こえていた。4時35分の気温は21度で湿度95%でした。まだ梅雨は明けず朝からどんより曇っている。

今朝もラジオききながら歩く。たんぽぽ児童合唱団の「ほたる」や宇多田ヒカルの「HEART STATION(ハートステーション)」の曲が流れていた。今朝のラジオ体操は50名ほど来ていた。帰宅すると万歩計は17282だった。歩きすぎもよくない。万事ほどほどがいいのです。そして何事も中庸がよい。渡世のコツというものは、右か左かという両極端より、その中間を行くのがよいのである。

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つらいときいつもそばにいるのは家族だよ

ラジオ深夜便を聴いていた。伊藤久男の「あざみの歌」「夕月のうた」若原一郎の「雨の日だって楽しいさ」「夏の思い出」という懐かしい歌を聴きながらうつらうつらとしていた。

このごろあっという間に一日が過ぎてゆく。今朝4時32分の気温は24度で湿度は94%でした。風速3.6mですが公園まで歩いてくると蒸し暑い。いつものコースをラジオ聴きながら歩いた。「われは海の子」「太陽の下」という曲が流れていた。小学校の西門に「つらいとき、いつもそばにいるのは家族だよ」というPTAの作った文字が目にとまる。悩んでいる子に励ましているようにもとれる。家族が守っていてくれる。自殺なんか考えたらあかんと言っているようです。6時10分過ぎから雨が降ってきた。ラジオ体操は一人で家の中ですませた。

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いつだって今が一番幸せ

4時42分の気温は20.8度、湿度98%で風速は0.8mでした。曇天からだんだんと晴れてきた。ラジオ深夜便のこころの時代は女優、小山明子さんの「いつだって今が一番幸せ」というタイトルで早口でしゃべっていた。松竹映画「ママ横をむいてて」でデビューし女優になった彼女は当時、松竹の助監督だった大島渚と仕事を通じて知り合い結婚した。

翌年、松竹を退社しやがて二人の息子の母となった。夫の大島監督が脳出血で倒れてからは、その介護に専念し13年になるという。この話の続きを明日も聞きたい。大島は京都府学連委員長だった。彼は私より1才若いが学年は同じ。よくアジ演説をしていた昔を思い出す。

戦後、天皇が京大に行幸されたときに大島は首謀者となって学生を集め、天皇が乗った黒塗りの車が京大構内に入ってきたところを一斉にとり囲み騒ぐという京大行幸事件があった。僕は学生新聞の取材でいつも大島の格好いい破防法反対闘争名演説を聞き入っていた。その妻がラジオで大島との夫婦愛について語っている。野坂昭如と大島渚の パンチ騒動をテレビでみたことがあった。 スピーチを何時間も待たされた腹いせに、拳をあげた野坂が1発。 逆上した大島も負けじと2発。 会場が騒然とし中に入った明子夫人のことを思い出した。

散歩しながらボニージャックスの「あなたの笑顔」や秦基博の「虹が消えた日」の曲が流れていた。朝食のときテレビで癒しの歌姫カノンが歌っていた。学生時代ボディービルディングをしていたという。声を出すのも筋肉という。

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あれから20年

ラジオ深夜便で美空ひばり集、港町十三番地、一本の鉛筆、人生一路、悲しい酒などをうつらうつらと寝ながら聞いていた。ひばりは平成元年6月24日に52才で亡くなった。今日で満20年がたった。平成元年7月22日に青山葬儀所で葬儀があり多くの人がつめかけた。

当時、私は目黒区碑文谷に住んでいて青葉台のひばり家までは近かったから行ってみた。レポーターなどの姿も近くで見かけた。青葉台の下のほうの路地でたくさんのひばりを見送る人の中にいたのです。その日は晴天でした。その日の無線業務日誌にはインド(VU)、クレタ(SV9)、ギリシヤ、トルコ(TA)、アメリカ、フィンランド、ブルガリアと無線電信で交信していた。クレタと交信したのはうれしく忘れられない。

今朝、4時27分の気温は18度で湿度は95でした。ラジオから「浜千鳥」や美空ひばりの「真赤な太陽」の歌が聞こえてきた。そして先月5月26日、京都嵐山美空ひばり座へ行ってみた。1200円で入場できたのです。Kyoto24sjpg

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June Bride

ラジオを聴きながら散歩しているときトワ・エ・モワのジューン・ブライドの曲が流れてきた。「6月の花嫁」は幸せになれるというが日本ではどうもあてはまらない。ヨーロッパの6月と日本の6月はまったく違う。ハワイの6月は素敵ですが日本では梅雨でなにもこんな時期に結婚式をあげることもあるまい。6月はハワイで結婚式をあげればよい。私たちは昭和32年4月に質素な結婚式を挙げた。これといった思い出になることはなくゲストは親戚だけだった。著者に聞きたい本のツボは「中国動漫新人類 日本のアニメと漫画が中国を動かす」の著者、遠藤誉さんでした。

 

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Yさんの思い出

5時3分の気温は21.2度で湿度は94%でした。早朝から蒸し暑い。ラジオからひばり児童合唱団の「ほたる」ゃ米米クラブの「君がいるだけで」という曲が流れていた。今朝ラジオ体操の会場でA夫人から、あまはね きこの著書「地球一周夢つむぎ」の本をいただいた。ご主人の作られた「トパーズ号 船旅スケッチ帖」は昨年の春、CDにしていただいていた。この本で船内の生活も書いてあった。船の揺れは凄まじく足の不自由な人は難儀していたと書いてある。そして船内の空気は悪く、若者たちの騒音が夜通し音楽をかけ踊るなどするので眠れない様子も書かれている。本にはYさんがスケッチされた絵が載っていた。

A夫人のご主人Yさんは帰国後、入院されてガンでなくなられた。この本を読んで、このような環境下での船旅で命を落とされたのかと思うようになった。Yさんと最後に話したのはYさんご夫妻が明日、横浜港から乗船する前々日だった。船の中か、寄港地からメールするよと言われて元気に別れたのが最後だった。メールは待てど待てど来なかった。Yさんが亡くなられたのは帰国後、しばらくした07年5月14日だった。入院先の市民病院でガンと壮烈な闘いをしておられたようだ。世界一周の船旅を楽しまれ、好きなスケッチを行くとこ行くとこでされて、天国に召されたYさんのお顔が浮かんでくる。京大卒でスポーツマンのYさんだった。長い船旅で命を落とされたように思えて仕方ない。静かに思いいづるときわれ君を忘れじ。ご冥福を祈る

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孫に注意された

今朝も雨で予定が崩れた。5時に起床、だんだんと夜があけていくが、いっこうに小雨が止まない。とうとう6時15分になって最終決断で公園でのラジオ体操を断念し6時半から一人、部屋の中での体操です。一人でするラジオ体操とみんなの前の高い所からする体操は同じ体操でも違っている。みんなの顔を見ながらのほうが何か元気が出るのです。一人では味気ない。

ラジオからひばり児童合唱団の「メダカの学校」や森山直太朗くんの「花」という曲が流れしていた。ラジオのアナウンサーがちょっととちってしまった。すかさず女子アナウンサーが間違いを直していた。この連携ぶりはさすがです。ラジオを聞いていると朝の一時間はあっという間に過ぎてゆくのがよくわかる。そのあわただしい時間の中で今、何をすべきか、手早く判断をしなければならない。ぼさっとしておれない。

私たち老人には余生いくばくもない。のんびり余生を送っている人もいるだろうが私の性分は、いっぱいすることだらけで、ぼんやりしている時間がもったいない。ホームページを少しいじくって更新するにも大変な時間がかかる。考えて考えてやっているから、あっという間に時間が過ぎてゆく。 歳とともに、いろんな機能がにぶっている。頭の中はもちろん、指先だって思うようには進まない。勘もにぶっている。

周囲の環境の中で時間は流れてゆく。家族との関係、きょうのように天候などによっても予定が変わったりする。やむを得ないことだが、この急変する時間の中ですばやく対処していかないと後で後悔することにもなりかねない。ちょっとおおげさだが僕は周囲の人たちにずいぶん迷惑をかけている。自分の意にかなわないとすぐ切れるからだ。先日も孫にまで注意された。 

孫は錦糸町から亀戸に行って遊はびたかったらしいが僕はすでに歩き過ぎて疲労が極度に達していた。それでダメだと言わんばかりに一人、さっさと反対方向に歩み、孫と雑踏する地下駅で別れた。すかさず孫からケータイで呼ばれ怒られた。孫からみて祖父がこうあってほしいと願うのは当然だ。後になって都バスの中で反省するばかりでした。小5の孫と喧嘩するなんて情けない。

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好きな東京の風情

今朝は5時半に起床、あわてて公園へと歩く。5時57分にやっと気象観測所前に到着した。気温は0.5度で湿度は83%です。しばらく歩いているとY子さんに出会った。ラジオから小鳩くるみの「りんごのひとり言」や大塚愛の「プラネタリウム」の曲が流れていた。

6時27分の気温は1.9度で湿度は83%になっていた。ラジオ体操を21名の仲間たちとする。3時台の「にっぽんの歌こころの歌」は思い出の流行歌、文芸歌謡作品集で「青い山脈」、「すみだ川」、「婦系図の唄」、「雪國」などの懐かしい歌が聞こえていた。 これを聞いているうちに寝すぎてしまった。

早朝7時に白髭神社に参拝する。靖国神社遥拝所から東京の孫娘が志望校の中高一貫の女子中に無事合格したお礼参りをする。九段の靖国は昨年の春も行ったが今年も桜が満開のころ近くの千鳥ケ淵へいってみようと思う。そこから英国大使館前まで皇居を左に眺めながら歩くのが好きです。

散歩コースとして最適です。都会の中のオアシスです。水辺の水鳥、若葉の香りなどがとても素敵です。もっともっと人と自然が一体となれる空間をふやしてほしい。靖国の青銅色の大鳥居、その下をくぐると神々しく身がひきしまる。春から九段の中学に通学する孫娘は半蔵門線で40分ほどかかりそうだ。

千鳥ケ淵から英国大使館前を通り最高裁へと逍遥する。そこから皇居を左手に見ながら警視庁前にでる三宅坂界隈の並木のたたずまいが好きです。なんともいえない風情がある。皇居お堀の黄色い菜の花が見られる3月下旬ころがよさそうだ。

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桜咲く

Kuroda_2198jpgs_1 昨日はこのブログが一日閉鎖されて書けなかった。至極残念でした。せっかく書こうと準備していたのに出来なかったからだ。さて毎朝、早朝散歩とラジオ体操をしています。ラジオを聞きながら散歩しているとき毎朝いい音楽を聴いています。先日の朝は「時計台の鐘」を聴いて歩いていた。昨日の朝は「旅たちの日に」が聞えていた。好きな季節の歌を聴きながら広い丘陵公園を歩き6時半から40名ほどでラジオ体操しまた丘陵を歩いて帰宅すると7時。朝食が大変おいしいのです。今朝、公園の桜がちらほら咲いていた。

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知ったかぶりする

Dsc_1755 知らないことは何も恥ずかしいことではないのです。誰でも最初から知っている人はいないと思う。あまり知らないくせに知ったかぶりをする人もいます。でもそれはそれでよいことかと思う。知ったかぶりすると後であのときどうしてあんなことを言ったのか悔やみ、自己嫌悪に陥るかもしれない。そうだとすれば、それはそれで見込みのある人だと思うのです。

知ったかぶりして、他の人が感心しているさまを見て、ますます得意げになっている人もいます。そういう人は単なる見栄っぱりです。知的な面で非常にコンプレックスがあるからこそそうなるようです。多くの人は少しでも自分をよく見せたいと思っています。自分はこんなことを知っている、やっていると知らせることで物知りと思わせたい気持ちがあるからです。

こういう人は普段からいろいろと知識を取り入れようと努力している人に違いない。知ったかぶりをする人はつい見栄を張ってしまうからそれなりにふだんから努力している人だというのです。見栄張りの人こそ努力している人です。見栄を張る人は自己嫌悪にこそ陥っても大変に努力している人です。知ったかぶりをする人は見栄を張るがゆえにその見栄についていくために人の知らないところで努力をしている人だと思うのです。

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わが人生の歌語り

Kuroda_2718jpgs 昨夜はテレビでフィギュアスケート世界選手権を見ていた。安藤美姫が逆転V浅田も上昇2位だった。日本勢2人が表彰台に上がるのは、世界選手権史上初めて。そして3位に韓国のキム・ヨ・ナが入りアジア勢が初めて表彰台を独占した。 今朝は雨のために久しぶりに早朝散歩とラジオ体操ができなかった。雨でラジオ体操を休んだのは2月18日以来のことである。南部丘陵公園では雨天の時、大勢が体操する場所がない。せいぜい5人程度が収まる屋根つきベンチがあるだけ。暖かくなって今では毎朝40名ほどが集まってきます。

この雨のおかげでラジオ深夜便、『特集・わが人生の歌語り』第二十四回 作家 五木寛之と聞き手 須磨佳津江アンカーの話を聞きながらゆっくり朝寝していた。「アカシヤの雨が止むとき」や「川岸のベンチで」が聞えていた。五木さんは悔いの多い人生だったと当時を振り返っていた。

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保坂尚希が仏門入り

Kuroda_2908jpgs 俳優の保阪尚希さん(39)が在家のままで仏門入りすると出家の真相を語った。また俳優と両立とのこと。僕は小学校の頃、親が自殺した。上級生から「心中の子」って言われた。1年ほど前に熊本の女性住職とお会いし住職の活動を見ていたら引きこもりの子や精神的に不安定になった子を引き取って一緒に導いて今の社会に戻してあげるということをずっと考えていた。この方なら僕の考えと近いのではないかと思った。この人ならいいなと思ったと語っていた。

彼は静岡市で誕生し7歳の時に両親が自殺した。地元の高校を1学期で退学し芸能活動のため上京する。劇団に所属し役者として勉強を開始し18歳でテレビドラマに俳優デビューし21歳で元タレントと結婚する。24歳で元タレントと離婚しドラマで共演した高岡早紀と交際4ヶ月でスピード結婚した。29歳で長男誕生。32歳で二男誕生し36歳で離婚している。

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単身赴任

Rinku 単身赴任はさびしいものです。仕事しているときはいいのですが仕事から自室に戻ると話相手がいない。相談する相手がいない。ケータイすればいいでしょうが電話では話せないことだってあります。顔みながら会話ができない電話なんて味気ないものです。下着の洗濯から食事、掃除、ゴミだしまでせねばならない。テレビを見ていれば寂しさも忘れるかもしれませんが日曜日など外出すると家族づれを見るとたまらなく帰宅したくなります。単身赴任では家族がどうしているか?心配は絶えないものです。

息子がサンフランシスコから43日ぶりに家族が待つ東京に今日、戻ってくる。私も東京で5年もの長い間、単身赴任でした。そのときは新幹線で毎月1回か2回は家族のまつ自宅に帰宅し一泊すると又、東京に戻ったものです。4月から長年暮らした家から東京の大学へ進学する学生や、転勤でこれから単身赴任する人など多くなる。遠く離れて暮らすと家族が病気になったときも心配になります。お父さんがいないまるで母子家庭のようになる家だってあるだろう。進学して田舎から東京暮らしをする学生たちもいる。引越しのシーズンです。東京で5年、大阪で2年半、単身赴任していた昔のことがよみがえってくる。単身赴任中にあちらこちらと一人旅ができたのがせめてもの収穫だった。

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安藤優子キャスター

Kuroda_2653jpgs 私は安藤優子というテレビのキャスターが好きです。あの愛らしい瞳、口もと、教養が全身に溢れていて喋ると理性が溢れている。彼女はスーパーニュースのメーンキャスターとして活躍している。検索したら興味があることははジムで筋力トレーニングすること、ストレッチすること(身体づくりをすること)日本の安全保障について勉強することと書いてある。そしてTVダイアリーで書いていた。テレビのニュース報道は大変な仕事であるがこの世界で28年もやっている。1958年生まれだからたしか49歳だ。私の長男より一つ年上のようだ。彼女は生まれてから半分以上はニュースをやっているのです。それだけ長くこんなきつい仕事が出来るのは体力だと思う。次々に飛び込んでくるニュースに集中できるのも体力がなければ出来ないのです。

彼女自身も体力がなければ、様々な国、場所で、様々な人たちが主人公となるニュースに本気で向き合う心の余裕が持てない。自分の具合が悪ければ、どうしても「人様のこと」は二の次になってしまうからだと言っている。そして生のテレビニュース番組のなかで、いちばん私が警戒するのは、ふっと自分の心がどこかに飛んでしまう瞬間、つまりスキである。夕方の「スーパーニュース」は約2時間、そのうちコマーシャルが26分あるが、その間は次の打ち合わせと確認に追われている。むしろVTRが流れ始めた瞬間、どういう案配かふっと心が宙に浮いてしまうことがある。時間にすればほんの1秒にも満たないのであるが、こういうときは集中力が切れている証拠で、結果ミスにつながる。体力が落ちているとたかだか2時間の緊張の糸を張れなくなってしまうのだ。「人様のこと」を報道するのだからこそ、そういうスキは許されないと自戒している。

安藤優子は40歳過ぎたころからトレーニングを始めた。ピラティスを皮切りに、器具を使ういわゆる筋力トレーニング、水泳、そして今はもっぱらストレッチにはまっているらしい。完全なインストラクターとマンツーマンで個人指導を受けているらしいが、あんな多忙な彼女は一体いつどこでやっているのか気になる。特に股関節が問題で、もうこれ以上圧されたら筋が切れちゃうかもと危惧するくらい痛いそうだ。股関節と足首は腰痛に直接関係しているらしく、この2箇所を「ぐえっぐえっ」と言いながらよーく伸ばすと、その後あら不思議というくらい腰の痛みがとれる。少々の痛みは我慢、我慢であると述べている。

安藤優子は愛犬ブルドックのマル♂と暮らしている。マルのくるくると変る表情や小首をかしげて考え込み、おやつをもらえると笑い、相手にされなければふてくされた流し目がたまらないと言う。机に向かって書き物をしていれば、2本脚立ちになって、腕に前脚を乗せてくる。まるで、「ねぇねぇもうそういうことやるのやめたら?」とでも言っているかのように、じっと私の目をのぞきこむのだ。原稿の締め切りに追われているときなど、お願いだからちょっと静かにしていてと思うが、けっきょくはそのつぶらな大きな目に負けて、なんだかんだといっしょに遊んでしまう。ひとつのことにとりかかると、終わるまで根をつめてしまう性分の私に、実はかっこうの休憩時間をマルが与えてくれている。私は1歳のマルに育てられていますと言う。

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